一昨日、低俗な行為を通じて、自らの心身の健康を回復してきた。法律違反ではないが法律で保護されない程度の、誉められたものではない行為とでも言っておく。墓場まで持っていく堅牢な意志で、後ろめたさを抱えながら生きていくことと引き換えに、今この瞬間の自分を回復するための行為。「自らを傷つけ汚しながら別の部位を回復する」というスタイルで人生を自転車操業していくのが、弱い大人の渡世である。そうやって居直らなければとても正気で流行っていられない。
自分のいま手掛けている仕事が、世間に認知され、注目を集め、自らの社会的地位が高まるなんてことがあれば、おそらくその立場に伴う責任として「高潔」であることを求められるだろう。ただ、自分はその立場を得ていないので、「低俗」でいられる。
立場を得れば、「高潔」でありたくなるのか、立場とは関係なく「低俗」でありたいのかは、立場が上がってみないと分からない。
ただ周囲を見回すと、「低俗」であるから立場が得られない、「高潔」であったから立場を得た、なんてことは全くない。立場を与える立場の人が、立場を与えたり与えなかった理由を「高潔だ」「低俗だ」と後付けしているに過ぎない。なので、自分が立場を希求するからといって、自分の分を超えて自らを律することを課して、自壊しないようにしようと力を抜いてみた。立場を得なくても死にはしないが、健康を害すると死ぬ。立場を得るときは健康な状態で得たい。そんな心境。
どうやら、まだ自分にも引き合いが複数あるみたいなので、社会的に露出するような立場を得るまでは「低俗であること」を楽しもうと思う。低俗な内容で誠に申し訳ない。