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愛情はなくとも尊敬を

昨日はひょんなことから3時間に亘る口論に発展し、憔悴しきっている。不毛な対話による疲労と、寝不足により昨日の深夜から寒気と微熱がある。力が入らず、歩行にも難儀する。精神攻撃というのは免疫機能に直撃するのだなということをまざまざと感じる。こんな状態で今から東京に出張である。数十人の前でプレゼンがあるし、予算規模の大きな商談もあるが、今はただ無事に生還することしか頭になく、かえって緊張もない。

妻は基本的に口が悪い。何か手抜かりや失態が私にあったときに苛烈に詰る。それが高い期待の裏返しとしての落胆ならまだわかる。それは私のことをある程度高く買っているからだ。しかし妻は、「所詮アンタはそんな低俗なもんだと理解していえ何の期待もしていないが、ただ目の前の事象のお粗末さについては、事象として辟易している」という言い回しをする。やむにやまれぬ事情があったかもしれないと思いを馳せることなく、ただ自分から見えた景色だけで、「私の根本の性質が悪い」と一方的に断罪する。

長々と書いたが、曲がりなりにも一緒にやっていくパートナーとしての最低限のリスペクトがあまりにも乏しい。自分にも落ち度はあったけど、そんなにけちょんけちょんに詰られるほどのこと?という反発心が先んじてしまう。罪と罰があまりにかけ離れているのに、そんなのは言い訳にすぎなくて、「結局は謝りたくないだけでしょ」というラベリングで躱される。

私の主張は自己正当化だといって内容の吟味はされないが、妻の主張だって自己正当化だろう、そこで意見の性質そのものに優劣を最初から付けられては私の主張の基礎点がなぜか減点していることが受け入れられない。そういう事を言うと妻は「もう議論できない」とすぐ発狂する。被告は弁明すること自体が不遜な行為であるかのように。検察と裁判官が同一人物の裁判なのだから、そこを手放さないなら被告の主張に対してもっと寛容でなければならない。

そういう良心が妻から微塵も感じられないことについて、私は妻を軽蔑したほうがいいのかもしれない。醜悪で抽象的な思考ができない哀れな人間と徹底的に見下せば、妻の全ての主張が戯言に聞こえるだろう。トラブルを回避するにはそれが一番手っ取り早いのだが、私が人をそんな風に見限る事を躊躇っている。その甘さがこの事態を引き起こしていると考えれば自業自得である。

どこをどうこねくり回しても絶望しか無い。


妻が口論の終わりがけにこんな事を言った。

私が、他者から不当な評価を受けた時に、怒りの感情に駆られてしまうのは、自己評価をする機能を私が持ち合わせていないからであると。

一挙手一投足が自分の自由意志に基づき自分のためにする行為であれば、それが他人からどのような受け止められ方をしても構わないはずだ。怒ってしまうのは、自分はやりたくないことで、他人のためになると思ってやっている苦痛が多すぎるせいではないか。その苦痛の報酬は他者からの称賛か感謝であるからして、それを獲得できないと丸損と感じる。だから怒るのだ。妻はそう私のことを分析した。

私からすると、自分の満足のためにすることなんか人生でほとんど無い。そういう自分本意な事をするのは他者に迷惑のかかる行為であり、できるだけ控えるのが大人の嗜みだと思っている。私が自分のための時間を増やしたら、その時間でなされるはずだった家事や子どもの相手は誰がするのか?私の代わりに誰かが成した家事はその人にとって自分を満足させる「やりたいこと」なのか?誰にとってもやることそのものが喜びにならないものを積極的に取りに行くのが大人の務めでは?そんなことをグルグルと考えて思考がまとまらなくなった。妻の理屈は理解したが、そんな勝手な物の考え方をしているから私にとばっちりが回ってくるんじゃないだろうか。

妻には、システム思考というものについて造詣を深めてほしいと強く願う。




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