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本当の両面思考とは何か

先日社内提案した、隣接部署との基盤システム合流プランについて、頓挫したプロセスについて土日の間回想を続けていた。

自分の案が採用されなかったことを根に持っているだけではあるが、何か他にうまい手があったかなと将棋の感想戦のごとくネチネチと振り返ってみたところ、最善手を打ててはいたのでもう致し方ない結果だと悟った。

ネチネチと振り返って気づいたことがある。もともとは既存のシステムに追加投資するA案が走っていた。そこに私の部署のシステムと統合するB案を持ち込んだ。そしてB案が否決、A案が採用されて、A案の稟議が即日完了した。これって私が対案を持ち込んだことにより結果的にA案が速やかに実行されたのではないかと思えてきたのだ。

A案の追加投資は300万ほどの見積もりだった。零細企業にとっては安い物ではない。もし私の案がなく、A案単体での是非を問われていたら、ドケチな経営陣のことだ。A案の稟議をのらりくらりと引き延ばしていた可能性は大いにある。

そこに私が気に食わないB案をぶつけてきたので、そっちに話が傾くのを潰すために急いでA案を通した形になった。これはお隣の部署にとってナイスなお膳立てだったのではないか。

人は付き合っていた人とゴールインするか決めあぐねていたときに、急に恋のライバルが出現すると、それまでグズグズしていたのが嘘のようにプロポーズに踏み切ったりする。誰かに取られるリスクが生まれると途端にその対象物の価値が高くなり独占したいという気持ちが芽生えるのだ。

そういう意味においては隣の部署は労せずして投資予算をGETしたことになる。また経営陣に対しても、適切な施策を講じ予算を投下し続けていかないと、意に沿わぬ形の稟議が現場から飛んできて処置に難儀するということが起きるのだとプレッシャーをかけることに成功した気がする。その意味では経営の怠慢を牽制する効果があった。これもまた、高給取りをサボらせないための有効な働きかけだった。

そうやって自分の起こした行動が無駄ではなかったと昇華できたので、割と晴れ晴れとした気持ちで週明けを迎えられそうである。

何か自分が新たなことに挑んでそれが目論んだような結果を得られなかったとき、不平不満をこぼしたり、落胆したり、諦めたり白けたりするのは簡単だ。簡単だがそれでは無力感に浸るばかりで、投じた努力は水泡と化すしてしまうだろう。この一件からどうにかして教訓を引き出せないか。そうやって無理やり肥やしにすることで、また次の挑戦に向けて歩き出せるのだ。

「物事には良い面悪い面両方あるのだから良い面にも着目しよう」という考え方を両面思考と呼ぶらしいが私は大嫌いだ。それは物事の負の側面から目を逸らして現実逃避しているに過ぎない。失敗は失敗だし、その原因となった人の悪意は悪意でしかない。その点については忘れないし許さない。ただ、恨みがましく思うのではなく、何も手に入らなかったかのように見えて、実は自分が得たものがあったのではないか、というふうに思考し、得た何かを発見できたならそれは必ず教訓となる。

相手方はうまく私をやり込めて何も与えなかったといい気になっているかもしれないが、実は気づかず失っているもの、奪われたものがあるのだ、ということに私だけ気づけていたらそれは愉快なことだ。負け犬の気休めみたいな自慰など不要だ。挑戦には果実が必ずある。その「物事の結果の裏面に落ち込んだ」果実を目ざとく発見することこそが真に両面思考と呼べるんじゃないかと思っている。




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