以下の内容はhttps://un-deux-droit.hatenablog.com/entry/2024/12/04/105314より取得しました。


最高の準備

「努力は報われる」という言葉が嫌いだ。

というより、それを方々に吹聴して回る努力教の人間が嫌いだ。

そういうやつは、周囲の人間からどれだけ労力を自分のために搾取できるかしか考えていない。

そうやって努力を他人にけしかけて、その他人の努力の成果をすべて自分の懐にせしめてやろうという魂胆なのだ。
だから軽々に「努力は必ず報われる」とかいうやつが本当に日々どれだけ努力を積み重ねているかは注視する必要がある。
きっと「努力は必ず報われる」と言い続ける努力しかしていないはずだから。

「努力は報われる」の正しい使い方をしている人に、昔、出会ったことがある。
大学の体育会テニス部で副キャプテンをしていた先輩だ。
その先輩は、学業そっちのけで、毎日20kmのランニングと、ひたすら足腰を虐めるフットワークのトレーニングを何時間もやっていた。
どちらも地味でただただキツい。

その先輩は、実力は十分ではあるものの、大学リーグ戦の個人シングルスではベスト8が限界だった。もっと普段トレーニングをしていない、才能と体格に恵まれた選手にはどうしても勝てなかった。どのスポーツも努力だけでは超えられない無慈悲な壁がある。気の遠くなるようなトレーニングを積み重ねてきた彼だからこそ、その超えられない壁の存在は痛切に感じていたと思う。しかし彼は、何度才能の壁に阻まれても、地獄のトレーニングを怠ることは一切なかった。そして最後の大会までそのルーティーンを続け、シングルスベスト8で大学テニスのキャリアを終えた。

引退後の彼に、なぜあそこまでトレーニングを続けられたのですか、と聞いてみたことがある。はっきりとは言わなかったが、彼に「才能の壁」があることは双方十分に承知した上での、少し意地悪な質問だった。

彼はカラカラとした笑い声をあげて、こんなことを言った。

「試合をしているとさ、絶対落とせないぞ、っていうプレッシャーのかかる局面があるじゃん。その時に、『そのポイントを迎えるまでに自分ができうる最高の準備をしてきたじゃないか』ってあのトレーニングのことを思い出すんだよね。すると、すごくリラックスできて、自分の思い描いた通りのプレーができる。逆になにか『やり切った感』が足りない、あの時少し手を抜いたな、とか、あそこであきらめたよな、とか、どこか後ろめたい怠慢を思い出すとなんかパフォーマンスが落ちるんだ。もちろんそのポイントが取れるかどうかとは全然関係ないよ。自分の最高のパフォーマンスを相手が上回ることも当然あるし、逆に相手が自分以上にコンディションが悪くてイージーミスすることもある。だから努力と結果の相関関係はない。ただ、自分がやりきったことに自信を持った状態でプレーができていれば、たとえどんな結果になっても納得できる。そういう状態に自分を追い込めた時のテニスは勝っても負けてもとっても楽しい。ただそれだけなんだ。」

その後の彼はラケットをあっさりと置き、トレーニングに費やしていたエネルギーを就活に全振りした。結果、外資系トップのコンサルに入社し、早々に日本を離れて荒稼ぎをしている。きっと今も砂を嚙むような努力を躊躇なく続けて働いているのだろう。表面だけを見れば、彼の努力は報われているように見える。けれど、報われるという結果を求めて努力しているわけではない。ただその要所要所で自分の持っているポテンシャルを最大限引き出せるように、最高の準備をしているだけなのだ。



そんな彼のことを知っていながら、私は最高の準備をしてこなかった。いや、知ったからこそ、妥当な準備、妥当なポテンシャルの発揮、妥当な結果で満足しようと決めたのだ。つまり、万全の準備をしていないことを素直に認め、そのためにパフォーマンスが十分に発揮できないケースがあることを受け入れ、望まない結果が訪れることに腹を立てないようにした。

これからも私はそこそこ気が向いた分だけの努力しかしない暮らしを続けつつ、「努力は報われる」の悪意ある誤用をしている人間の魂胆を妨害することに心血を注いでいく所存である。




以上の内容はhttps://un-deux-droit.hatenablog.com/entry/2024/12/04/105314より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14