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独裁

昨日は子ども達を祖母宅に預け、ひたすら家の掃除。冷蔵庫上の拭き掃除、レンジフード上の掃除、風呂換気扇の掃除、トイレ掃除などを黙々と続けた。その合間に食事の準備。

妻は生理が近いとか夏バテとか転職先が見つからないとかで特に何も動いていない。もはや公平性とか対等性とかに何も感じなくなっている。妻の存在を労働力としてカウントしていない。家庭が抱えているタスクを勘定して、自分が解消できることに集中するだけだ。問題が解消すればよいのであって、誰がどれだけ貢献したかなんて些細なことではないか。家計や在庫の管理をしていて大変だと妻は言うけど、実働で汗をかき、時間を多く使っている方が偉いのだ。妻には生暖かい目でいつも大変な仕事をありがとうと言っておく。どうせ妻は、私の貢献は家事代行サービスに手配すれば抹消できる、代替可能なものでしかない=だから価値が低い=感謝しなくてもいい、という妻にとって都合の良い理論から離れることはない。そんな妻と心通わすことはない。

夕飯後、ブリタの水がぬるいとクレームを受けた。私からすればさっき料理で使ってしまってぬるい水道の水を足したばかりだからそりゃそうだろうと思い、そのことを告げた。そしたら、出しっぱなしだったからぬるいと思ったんだけど何その口ごたえ、と妻が怒りだした。これと口ごたえかよ、と自分も憤った。水がぬるいくらいで、ちょっと出しっぱなしだったくらいで、少し自分の思い通りにならなかったくらいで即他人を責める神経が理解できない。
「出しっぱなしだったのはついさっき調理後の味調整で使ったときにバタバタしていてうっかり忘れたけれど、それがぬるい原因ではない。いずれにせよ出しっぱなしだったことでいらぬ誤解を招いたのは申し訳ない。」と機械的に事実を伝えた。それが可愛くない言い方だったのは自覚している。でもそれが生意気だということで2時間以上口論となった。妻は妻の主張がどれだけ事実と反していても妻にとっては真実100%なので一切の反論をせず受容せよ。真偽を争うなということを昔から言っている。私からできるのは真偽の裁判が終わったあと、つまり偽が真と捻じ曲げられた不快に耐えたあと、事実の真偽とは別に感情としてさっきのやり取りで傷ついた、ということだけなのだそうだ。それなら妻の自尊心は守られる。妻が不当なクレームをゴリ押ししてこなければ私が傷つくこともないというのに。殴りたいと私が思ったのだから避けるな。大人しく殴られ出さえくれれば私はスッキリするのだから、その後に痛いと泣き喚くのにはすまんかったなと謝ってやる。それが家族だ。相手に違う事実があるかもしれないと慮って思ったことを言わないのは不健全だ。ということらしいです。私はそんな家族いらない。

妻の「事実と感情切り分け論」について譲歩したので一旦話は終結。事実は常に妻のもの。私は事実の真偽とは関係のない感情の訴えしか許されない。冤罪放題の理屈である。とても嫌な気持ちになって、深夜のランニングに駆け出す。久々に10km走ってみたら1時間切れた。怒りの力は恐ろしい。




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