自分が率いている新規事業で総額1200万の発注があった。これまで50〜100万単位が関の山だったので、一気にグレードアップ。この規模の案件がコンスタントに取れるようになると、もうこの事業だけで独立採算に持っていけそうだ。
チームメンバーは皆、待ち望んでいた大型案件に小躍りしていたが、自分はもうどこか他人事の気分でいる。仕組みや仕掛けは入念に設計したので、あとは営業サイドで煮るなり焼くなり好きにしてくれたらいい。どう調理されても不味くはならない。手柄も名誉も勝手に分配してくれて構わない。そんな投げやりな気持ちになっている。
その投げやりな気持ちは、私が妻と離婚できる見込みがないことによる絶望感から来ている。どんな成功も称賛も、帰り着く先がこの家庭か、と思うと急に味がしなくなる。妻には事業の成功の話はしない。管理職としての苦労とやりがいも語らない。ただ決まった金額を毎月振込むから、気を遣って話題を振ってくれるなと頼み込んでいる。淡々と家庭を維持する管理責任者としての職務を全うするから、空気のように扱ってほしいのだ。自分の存在が家族の中で極小化されることだけが今の望みである。死んでも2、3日気づかれないくらいが丁度よい。
先日家族の解散を打診した時、妻も子どもも泣いた。泣かれてしまうと罪悪感で、自分はそれ以上動けなくて立ちすくんでしまう。それを振り切っていける強さは自分になかった。そんな中途半端な自分にできることは自分を殺すことだけだった。
表面的には穏便な家庭生活が再開したが、自分の心はどこにもない。空虚。求められたら応じるだけ。自分から求めることはない。不要になったらいつでも打ち捨ててくれて構わない。それが一番の望みだから。早くみんなには私から自立してもらいたい。
妻はきっと、何かしら精神に障害を抱えているのだと思う。そうでなかったとしても、そうだと思うだけで少し優しくなれる。性格が悪いんじゃなくて、そういう精神的な困難を抱えているんだ。健常者と同じように扱うのはとても厳しいことだ。私はそんな妻と関係を続けていく義理はないけれど、見捨てるのは可哀想だ。誰かが支えになってやることで彼女が真っ当に生きていけるなら、自分が犠牲になろう。そう達観することにした。
その結果として自分の幸福を感じる機能は摩滅してしまったのだが、人生そういうこともある、と割り切ろうと思う。
今日、仲良くしている同僚とチャットをしていたときに、「あなたが私を必要としてくれている間はずっと、自分もあなたを必要としている」というようなことを呟いて、「なんて哀しい事を言うの」と怒らせてしまった。あなたから求めてきてくれることはないの、この関係の存続はいつでも私次第で、私だけがこの関係を求めているの、ということを言われた。とりあえず今の自分は、自分の幸せ、自分の心の支えになる存在を自分から掴み取りに行く気力が尽きている。いつまでこの生活が続くのだろう。