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これはな〜んだぁ???



大したこともしていないのに、日々はあっという間に過ぎて行く。
さてさてこれは何?
久しぶりにお絵かき帳の出番。
今日はこの話。
分りやすいかと色を分けてみた。
分りやすいはずが、絵が下手なので更に分りにくくなったようだ。






実際は藁で縄を縫いその二本をこのように置くのだ。
縄が交差する所は更にもう一度縄を縫うのだ。

縄をこのようにセッティングしながら藁で左右を通しながら編んでいくとこうなる。


変な絵だと尚更分らない?
文句を言いたい方は一度お絵かき帳を使って絵を描いてみてからにして。(先手必勝〜☆)
私の人生、批評家は要らない。実践あるのみの人生。
口では何とでもいえるから。言葉ほどいい加減な物はない。
批評と同じくらい、物凄く上手な絵をお絵かき帳で書く人がいたら
「は、は〜・・・・っ!!」とパソコンの前で私はひれ伏そう。(笑)

実は草鞋(わらじ)なのだ。
長いひげのあるゾウリムシではない。
先日草履(ぞうり)の所でちょっとふれた「草鞋(わらじ)」について書こう書こうと思いながらいたら早11月になってしまった。
皆さんはどういう風に草鞋を想像するかは分らないがこんな風に長い紐がびよ・よ・よ・・〜・・んと伸びる。

私が幼稚園の頃・・・
家に帰ってくるとほとんどいつも誰もいない。
父も母も日雇い仕事に出かけていたり、田や畑の世話、じいちゃんは浜仕事、で私は誰もいない鍵の全く掛かっていない家に「ただいま〜♪、一番乗り〜」と言って入ったものだ。あまり寂しいとかという気持ちはなく、広い開け放された居間に寝そべって猫相手に遊んだり絵本を読んだりお人形と遊んだりしていたものだ。外に出れば犬もいる、馬や牛もいる。鶏もいた。話し相手に不自由はない。しかも直に沢山いた姉ちゃんたちが学校から帰ってくる。姉ちゃんたちが帰ってきたら大忙しである。お風呂や、炊事、掃除、洗濯物と手伝わないといけないから。

ところが冬になればじいちゃんが漁に出掛けられない時など納屋にいた。なんだかんだとじいちゃんにまとわりついていたような記憶がある。浜で網を直す時は一緒について行って舟小屋の中で邪魔をしたり、浮きで遊んだり、浜に行かない時には納屋で菰(こも)を編むその傍らで幼稚園であった事など聴かれもしないのに話し続けていたような記憶がある。相手してもらったことは余り記憶にない。(笑)じいちゃんは物凄く嫌だったに違いない。とても無口な海の男でもあったから。

じいちゃんに関してはかつてブログで書いたことがある。
物凄く格好いい海の男であった。 爺ちゃん↓

     http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20130315/1363332753




で・・・今日はそのじいちゃんが冬に拵(こしら)えていた「草鞋」の話。
冷たい土間の上に自分で編んだ菰(こも)や筵(むしろ)を敷いて座布団を一枚ひく。その上でじいちゃんは藁仕事をしていた。秋の米の収穫の後には藁はアマに山ほどあったのだから、ひと冬のんびりと思うような菰や筵だけでなく、米俵、藁草履、などを作っていたのだ。

その時に横にいてガサツながら見よう見まねで作ったので何となく草鞋は仕組みが分っている。履くとこうなる。




  A緒(はなお)     B乳(ち)     C返し

後ろの返しは左右に分けて履く場合と一緒に二重にして履く場合がある。
もっと頑丈に履こうとすれば返しを「乳(ち)」の中に通すような長さに編んでもよい。
所詮手作りの消耗品である。地方によってもやり方は色々有るだろうし、その家々によっても工夫を凝らしたやり方があるだろうから一概には言えないがおおむねこんな感じであろう。

昔は10〜15キロ履くと草鞋はボロボロになると言われていたので旅に出る時など2〜3足は荷物にくくりつけて予備としていたに違いない。上から二番目の絵のような草鞋・・・決して足にはいた形では持参していないはず。うちの庭にも何足もの作りたての草鞋が釘に引っ掛けて有ったのを覚えている。
時代が時代であれば宿場町には必ず草鞋を売る家が有ったに違いない。また、農家ならばいつでも何足でも作った草鞋が柱に掛けられていたに違いない。
初めてこのブログを此処まで読んだ方、雲龍柳は100歳の婆さんか?と思われるかもしれない。
いやいやまだまだ見目麗しい成長期まっただ中のお婆である。ただ小さな時は物凄く辺鄙な部落に住んで文明の波がまだまだ遙か彼方で届かなかったのである。



左から金剛草履、藁草履、尻切(足半)という。これらは草鞋から草履に移行する間に使われたり、家の中やちょっと土間などでひっかけて履くときに使われたようである。
「二束三文」という言葉の語源になったという金剛草履はあまり記憶がなくてよく知らないのだが、藁草履は土間や庭仕事で今で言うスリッパのようにして使われていたのを記憶している。草鞋銭(わらじせん)と言う言葉があったくらいなので物凄く安かったに違いない。尻切(しきり)というかかとのないものは村の年寄りが履いているのを何度か見ている。かかとは強靭なのでかかとには不要だったのか、それともかかとがすりきれていても大事に使っていたのかは知らないのだが。

草鞋→藁草履→草履
と変わり今の草履や雪駄の形をとっていったのであろうが、今では藁は使用せず男性用の雪駄も棕櫚(しゅろ)や竹皮などがほとんど。
話は変わるが、棕櫚の木は案外一軒に二〜三本はあった。葉も使うが髭も使う。もさもさの髭は箒にして年末にはすす払いで大活躍した。

さてさて・・・生徒さんで荷造り用の紐の掛け方が下手な方は・・云々といつだか書いたのを気にされていた方がいた。
草鞋の紐も器用、不器用あるんでしょうか・・・と。
勿論あるにはあると思うのだが、紐の結び方は器用不器用よりもその草鞋でどういうような仕事をするかによって違ってくるのではなかろうか。
重労働もあれば・・・ぬかるむ道を歩かないといけない場合もある・・・急ぎ走りに走る人もいる・・・そういった方々が自分で足と草鞋をどう固定し仕事をしやすくするか・・と言うことを自分で考えているのではなかろうか・・・


紐と紐を結ばなくても、しっかりと強度を増すやり方は色々有るに違いない。上の絵は左右の紐を甲の上で交差させて乳と乳の間に渡して、さらに固定を強固なものにしたものである。又、左右の紐を足の土踏まずの裏で交差させて乳の所に持って行く結びもあるようである。面白い。各人が色々工夫して自分の目的に合せていたに違いない。

時代劇の旅籠から旅立つシーンなどで各出演者が役柄によってどのように草鞋の紐を結ぶかを見てみるのも面白いかも・・・
仕事によって、例えば飛脚とか・・・人夫仕事とか・・侍とか・・・鳥追女とか・・
侍でも敵討ちでは当然いざという時に鼻緒が切れても緩んでも困るので普通の締め方ではなかろう・・とか・・
時代劇も草鞋からの考察でどんな仕事でどんな状況かかもちょっと推察できるかも・・。
そのうち煙管(きせる)の話もしたい。爺ちゃんが粋に煙管を捌いていたので。又そのうちに。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪・・・・・・

今日のお気に入りの一枚・・・・題は「四面楚歌」
少しぼけているのも、まるで今の私かも。。。。




琵琶の演奏会、頑張りまっす〜♪
あとわずか・・・・




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