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暗いネットで待ち合わせ

休日の昼下がり、「そういえば最近職場の人たちに流行りのアニメをオススメされた」と夫が言い出した。
オモロいらしいでーなどと言いつつ夫はサクサクと検索してリビングで再生する。私はそれをなんとなく一緒に眺めている。ふーん。銀河系のお話ね。みんな宇宙人なのかな。女の子たちかわいいね。ふーん。
そんな具合にぼんやり見ていたのだが、ふと突然「あっこれツイッターでファンアートドカドカ流れてきてるアニメだ!!」と気づいてビックリした。中盤あたりまで全然気づかなかった。毎日毎日こんなにもインターネットにどっぷり浸かっているというのに。
「私のクソみたいな現実」と「私の愉快なインターネット」はもはや境界線が溶け切って何年も経つけれど、「ふつうの人たちのふつうの世界」と「私の根暗なインターネット」も繋がっていることにはいまだに驚いてしまう。インターネットに対して卑屈な夢を見過ぎである。



私が子どもの頃はまだネットがなく、漫画やアニメは中学生くらいで卒業するのが普通だよねみたいな空気もまだまだ残っていた。
なので最近の人たちの、アニメ観ててもネット入り浸っててもオタクとは限らないですよってゆーかオタクとか別にどうでもよくないですかみたいな、自然なインターネット仕草が私は上手く出来ない。
保護者のグループラインでネットミームをさらりと使うよそのお母さんに「それアリなんだ!?」と驚いてしまう。それなら私もこれくらい砕けて送った方がいいんかな?その方が今は自然なのかな?と考えを巡らせてオタクっぽい口調でレスを返した結果、ほのぼのグループラインを氷の大地に変えてしまったことも少なくない。我こそは雪の女王である。別にこのグループにおいてありのままの姿で生きたいわけではないので難しい。
職場の若い子たちがこれXで回ってきたんですけどめっちゃウケませんー?などと無邪気に携帯の画面を見せてくれるのもドキッとしてしまう。アカウントがモロ見えなのだ。できるだけそこから目を逸らして把握しないようにはしているが、そんな配慮は彼女たちには必要ないのかもしれない。この子たちはインターネットと現実でわざわざ自我を切り分けていないのだ。なんという健全な精神なのだろう。
私が入り浸っているインターネットはネチョネチョしたオタク語りがメインの陰気臭い場所なので、そのノリをふつうの場所に持っていくのはどうも躊躇いがある。どのラインまでがOKなのか分からない。
他のお母さんならさらりと受け入れてもらえるネットミームも、私が発すると途端にヤバい感じがしてみんな引いてしまう。それはおそらく私の体からネチョネチョした感じが漂っているからだ。同じインターネットを見ていてもカラッとネタにできる人とネチョネチョしたノリを引きずってくる人がいる。私は完全に後者だ。今日も暗いネチョネチョした場所へたましいひとつで嬉々として出かけていく。そういうところに私以外の「人間」がいることを確かめに行く。そうして少し安心する。ここにいる人間はみんな社会に馴染めているようで全然馴染めていない。よかった。一緒に頑張ろうね。



少し前に小学生のあいだでエッホエッホとかいうネットミームがめちゃくちゃ流行り、娘やその友達が家で何度も披露してくれた。
その場で駆け足をしながら嬉しそうにエッホエッホとリズムよく喋っている姿が本当にかわいくて、(臭くて汚ねえインターネットからやってきたものが濾過されとる……)などと思った。元ネタの鳥の可愛らしさに一周回って戻ってきたように感じられた。子どもがやると大抵の真似事流行りごとは可愛らしいものになる。
ママもやろうよ、と誘われてエッホエッホと駆け足をしてみた。みんな軽やかにステップを踏んでるから私もそういう感じでやろう、とちょっとはりきって足を上げ下げしたら普通に足首を捻った。痛かった。
自分は生身でインターネットを表現するタイプではないと体で理解したので、それからは子どもたちの間で次々流行っては廃れていくネットのあれこれをぼんやりと眺めている。




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