2月の大雪の日に私は生まれた。早生まれである。
母親に似たのか背が伸びるスピードがとても早く、早生まれだから不利なのだ、みたいなことを体格面で思ったことはほぼなかった。むしろ小学生の頃はずっとデカい女に分類されていた。
しかし今にして思うと、4月生まれなんかは私がようやくこの世デビューした頃にはもうつかまり立ちやハイハイで自立移動しているわけで、早生まれたちはそこからわずか数年でその差を埋めないと集団生活で困ることになってしまうわけで、まあ一般的にはハードなスタートではあったのかもしれない。
けれど私はたとえ4月の初めに生まれていたとしても、集団生活を上手くこなす園児にはなれなかっただろう。元々そういう子どもだった。なので早生まれだからどうこうとかはあまり思わずに済んでいる。
子どもの頃は誕生日が待ち遠しかった。
特に9歳から10歳。早くティーンを名乗りたかった。
14歳、という響きも思春期爆発感があって憧れた。同級生たちが次々14歳になっていくのが羨ましかった。まだ厨二病などという言葉がない時代だった。
17歳も憧れた。原田宗典の「17歳だった!」を読んで面白かったからだ。実際は17歳じゃないときのエピソードもあると知っていたけど、やっぱり17歳って響きがなんかかっこいいんだよね。
成人式のときも、成人おめでとうございまーす、という言葉に対してまだ19ですけど、みたいなツッコミがどうしても心の中に浮かんでしまい、自分で自分がめんどくさかった。
30超えたらオバさんだから誕生日が来るのが嫌だ、ギリギリまで20代でいたい、みたいなことは一度も思ったことがない。若い女としての価値が当時の私にはなかったのだが、それじゃだめだ、若い女なんだから若い女としての価値を高める努力をしろという周りからの声が非常にうっとおしかったので、さっさと若い女のポジションから降りたかった。今でも若者に対して一瞬の価値を煽りたがる風潮はクソだと強く思う。
最近困るのが年齢を記入するときだ。私っていくつになるんだっけ?もうなった?みたいなのが全然分からない。
40を超えた人間は大体みんなそうなるものだが、早生まれの場合は特にややこしい。同級生にうちらいくつになったんだっけ?と訊き、返ってきた答えからマイナス1をする、という風に解決していたのだが、最近同級生も自分自身の年齢が曖昧な状態で返事をするので、そんなつもりはなくとも書類上2歳ほど若返ったり歳を取っていたりしてしまう。
雑談の中で生まれ年を訊かれたときも、生まれ年は昭和何年ですが学年で言うとその一個前です、みたいな「学年で言うと」を足す必要がある。ややこしい。
ややこしくはあるものの、雑談のネタになるし、早生まれあるあると語るとその場にいる早生まれの同志が「分かる〜」を連発してくれるので助かる。早生まれも早生まれで、おいしいところがまあまああるのだ。
早生まれであること以上に、私は自分が2月生まれであることが気に入っている。正確には、うお座であることが嬉しい。
うおざ、という響きは力強くて口に出したくなるし、魚モチーフというところが最高だ。昔から人間より人間じゃない生き物の方が好きだった。
陸の社会で上手くやれないのは自分が魚とか水とかの属性の人間だからなんじゃないか、早く海に還りたい、などとちょっとファンタジックな言い訳を呟くだけで心が慰められる。まあ同じうお座の人間がバリバリ働いてるのも知ってるけど。
うお座は大抵の星占いで独特の感性があるとか愛情深く相手に尽くすとか書かれている。実用的な社会の思考が出来ずはみ出しやすいとか一度ハマった人間関係から抜け出せずズブズブグダグダしやすいとかそういう風には書かれない。占い側からの人の情けを感じる。ごめんて。そういうことやな。ごめんてほんとに。早く海に還ります。
うお座モチーフの雑貨やお菓子がかわいい魚なのもラッキーでハッピーである。しかも二匹セット。お得だ。
たい焼きが一匹余ったとき、私うお座なんで…あっうお座って魚二匹でうお座らしいんすよみたいなことを言ってちゃっかり余りをもらったことがある。図々しいにも程があるエピソードだが、そのときは私以外全員たい焼き二匹一気喰いは普通に無理みたいな、胃袋が穏やかな人ばかりだったのだ。これが高級寿司とかだったらさすがの私もそんなことは言い出せなかっただろう。
うお座ではないけど、職場の人が愚痴をちょっと吐いた後、あっ今日星占いでネガティブはよくないって言われてたんだった、もう言わんとこっと冗談ぽく愚痴を締めていて、いい切りの付け方だなと思った。星座は日常のしょうもない話に混ぜ込みやすい要素があっていい。
誕生日というより、誕生月の話を聞くのがわりと好きかもしれない、と最近気づいた。
6月生まれと言われれば紫陽花やこの世を覆うような雨が浮かぶし、12月生まれと言われれば切なくなるような光り方をしているクリスマスの飾りをイメージする。そういう光景と目の前の人とが重なるのがなんとなく楽しい。
自分が大雪の日に生まれた、と散々聞かされて育ってきたからだろうか。覚えていない、おそらく見てすらいないその年の青白い雪の壁を、私はたやすく思い描ける。真っ暗な夜空から大粒の雪がぽとぽと降ってくるのを見上げていたような気すらしてくる。ぽとぽとだ。ふわふわではない。二月の山村に降る雪はしっとりしている。
自分が生まれた頃の天気や光景を調べて想像するのは、なんだか不思議なタイムマシンに乗っているような感覚で面白いので、暇な時なんかにちょっとみんなやってみたらいいと思う。ところで私が生まれたのって何年前になるんだっけ。このブログを書く前に一度調べたのにもう忘れてしまった。やばい。