あっという間に年末である。
ハロウィンだのクリスマスだのと数ヶ月間子どもたちのパーティに走り回っていたわけだが、ようやく私のターンがやってきた。忘年会だ。
インターネット村において職場の忘年会といえばママ友ランチと並んで嫌われイベントとして語られがちだが、私はどちらも結構好きなのだ。
ちなみに私はお酒がほとんど飲めない。缶ビール一本で全身がまだらに赤らんで皮膚が膨れていくような感覚に陥る。
お酒は飲めないけど飲み会は好き、というと不思議そうにされるが、私にとって飲み会は雰囲気を楽しむ場なので別に矛盾はしていない。あのガチャついた感じの中に座っているだけで楽しい。
あまり話したことがない人や雰囲気的にちょっと苦手かもと思っていた人たちがニコニコと飲んだり食べたりしているのを見ると、別に会話をしていなくても勝手に親しみが湧く。労働と関係ないところでの笑顔っていいよね。
自分がやってみようと絶対思わないタイプの趣味や生活の話が聞けるのも面白い。なるほどこの人はこのために労働を頑張ってるんだなと感じられると安心する。労働ってつらいから。
とにかく仕事以外共通点のない集団である。誰が何を話しても、自分の人生では絶対経験し得ない話がポロポロ出てくる。それに対するリアクションも人それぞれで楽しい。今のそんなに面白かったか?というポイントで涙が浮かぶほど笑う人、軽い愚痴のつもりだった本人以上に怒りを滲ませて同調する人、誰かの話をきっかけに話すつもりのなかった話を語り始める人。どこへ向かって転がっていくのか分からない流れがいい。
もちろん気まずい話に転がることもある。そんなときは目の前の料理やお酒の話を差し込むとうやむやになるのも飲み会のいいところだ。えっこれおいしーとかお水頼むけど誰かいる人ーなどと挟み込みやすくて助かる。遠くの席の人に話しかけて席を離れたり、トイレに頻繁に行っても不自然じゃなかったり、話に困っても逃げやすい。
ママ友ランチもそんな感じで楽しんでいる。親関係は逆に子どもや学校という共通点がとても強いので話題にはまず困らない。その上で子どもと関係ない話ができると嬉しい。親同士でくだらない話をすることで親もしんどいよね感を分け合ってごまかし合えるのがありがたい。
ツイッターで「大人の遊びは飲み会とかお茶ばかりでつまらない、子どもの頃みたいにドッジボールとかしたい」みたいな意見が定期的に出てきては賛同されまくっているが、私は全然そう思わない。いい加減でもなんとかなる大人のおしゃべりごっこの方が断然楽しい。子どもの遊びの、真剣さから生まれる過酷さをみんな忘れてしまったのだろうか。それともみんなが普通に楽しんでいたことに、この世で私だけがうまく乗れなかったということなのだろうか。
私は運動神経が終わっている子どもだった。昭和を生きる子どもにとってそれは暗い学校生活を確約する欠点だった。
あの頃の体育は、運動が出来ないクラスメイトは人間として尊重しなくてもよいという空気があった。こんな簡単な運動が出来ないなんてありえない、ということはこいつにやる気がないだけだ、だから周りからの罵声と嘲笑とちょっとした暴力も仕方ないことだ、それで本人もなにくそとやる気を出すかもだしクラスの連帯感も高まるかもだし、くらいに教師も考えている時代だった。その結果本人に生まれたのは負けん気ではなく虚無感だったのだが。
授業中ですらそんな感じなのだから、休み時間に子どもだけで開催されるドッジボールや大縄跳び、鬼ごっこなどは更に容赦がなかった。
参加すればその鈍臭さから敵味方を問わず苛つかせ空気を乱し、いたたまれなくなって途中で抜ければ逃げるのかだの慰め待ちウザいだのと背中に責めの言葉を投げつけられる。
最初から混ざらなければいいのにと今なら言えるけれど、当時はみんなと遊びたかったのだ。私はみんなみたいになりたかった。「みんな」の一部と化してその楽しさを共有してみたかった。
それに小学校の頃は休み時間に何をして過ごすかがクラスのルールとして厳密に決められていた。内容は常に外遊びかつ集団遊びで、教室に残って本を読んだりすることは許されなかったのだ。(この話をシティボーイだった夫にすると絶句していたので、時代というより田舎独特のルールだったのかもしれない)
成長と共に私は「みんな」になれないんだな、と気づき、外遊びに上手く混ざらなければという必死な気持ちも徐々に消化されて楽になった。体育だけは地獄が何年も続いた。
今私はご飯を食べたりお茶を飲んだりおしゃべりをしたりすることで「みんな」と楽しさを共有できている。大人になって本当によかった。
廊下を歩く数分間のあいだだけどうでもいい天気の話をしてそれぞれ別れたり、そんなことでも楽しいね、ね、楽しいね、と通じ合えるのが嬉しい。
私とは逆にそういう楽しさが一切理解できず共有できない人もおそらくいるのだろう。職場で雑談をする人間は愚かで頭が空っぽだ、という批判を見たことがある。まあ私に関して言えば、それは正しい。とても愚かだしいつもぼんやりしている。
雑談が嫌いな人は、忘年会で子どもの頃の私が感じたような憂鬱さを同じように感じているのかもしれない。
私は忘年会が好きだが、行きたくない人は行かなくてもいいという風潮がもっともっとどんどん広がって当たり前になってほしい。ああいうものの強制参加は何の意味もないと思う。連帯する楽しさにも向き不向きがあるのだ。子ども時代の私もそうだそうだと言っている。