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クリスマスの子どもたち

今年も無事に娘たちへのクリスマスプレゼントを用意することができた。とりあえず一安心である。後は当日、娘たちが早く寝てくれることを祈るしかない。
11歳と9歳の娘たちは、今のところまだサンタをがっつり信じているように見える。
正直長女に関しては「そう見える」としか言いようがない。私が小学五年生の頃、親に秘密にしていることなんか山ほどあった。長女ももしかしたらもうそのへん冷めていて、親と妹の夢を壊さないために付き合ってやってる可能性もある。ただ彼女にとってファンタジーな存在はまだまだ身近でもあるようなので、本当に信じている可能性ももちろん捨て切れない。更に大穴で最も幼い次女こそとっくに全てを理解していたという衝撃の展開もあり得る。もう全然分からん。多分信じとるやろうなと見積もってサンタやっとる。
子どものことなら何でもお見通しです、何故なら私は親なので、などと思えたことは一度もない。
そもそも私自身が親どころかこの世の大人は誰一人私のこと分かってくれんのやとか思っているひねくれたクソガキだったし、孤独な子どもが出てくる本を読み漁っては「この世には分かってもらえん子どもって結構おるもんなんやなぁ」と安心を強化していた。子どもの頃そういう本と出会えてよかったとつくづく思う。
我々世代の女オタクは結構な割合でケストナーの「飛ぶ教室」を読んでいる気がする。オタク系の読み物でなにかと引用されていたり紹介されていたりしていたような。具体例が出てこんけど。
飛ぶ教室」はギムナジウム(これも我々世代の女オタクで耳にしたことないという人はいない、みたいな単語だ)で過ごす少年たちの、クリスマスに向けての物語だ。
最近何十年かぶりに読み返したら記憶よりずっと子どもたちがいじらしくて泣けてしまった。子どもはただその場で生きていくだけで、たったひとつの願いごとを願うだけで、それだけのことですら時に胸が張り裂けそうになったりするのだ。
ケストナーは自伝の中で、子どもの頃クリスマスが憂鬱だったという思い出を書いている。
彼の両親はクリスマスになるとそれぞれ素晴らし過ぎるプレゼントを用意してくれた。それが憂鬱の原因なのである。
息子からの愛を奪い合う両親をピリつかせないよう、父からのプレゼントも母からのプレゼントも平等に、寸分の差もなく平等に喜ばなければならない。まずはこのおもちゃをこんな感じで喜んで、次はこのおもちゃをこんな感じにありがたがって、どちらも同じくらいの時間をかけて、そんな自分に対する両親の反応を決して見逃してはならない、という「接待」をケストナーは必死にこなしていた。
傍目から見れば「クリスマスにプレゼントをもらって喜んでいる子ども」だが、その内面描写はもはやホラーサスペンスに近い。
「与えられないこと」の切なさと同じくらい、「与えられること」の重みを子どもはよく分かっている。そのことを大人は全然分かっていない。そのことを忘れないようにしたい。



小学生にもなると、クリスマスの楽しみはサンタからのプレゼントばかりではなくなってくる。
お友達とのクリスマスパーティーだ。
ありがたいことに娘たちは二人とも良き友人に恵まれており、各グループでのクリパがスケジュールにどんどんぶっ込まれていき、毎日真剣にクリスマスカードやちょっとしたプレゼントを作っている。素敵だなと思う。
子どもは与えられるばかりではなく、「与えること」もしたくてウズウズしている。誰かに優しくしたい。善いことをして世界に関わった感じを味わいたい。喜んでもらえた自分という存在を感じて嬉しくなりたい。幼稚園児が募金箱に10円玉を入れて飛び跳ねる姿を何度も見たことがある。
クリスマスはそういう気持ちを表現しやすいイベントでいいなと思う。さほど仲良くない人でも、メリークリスマス、と声をかけるだけでなんだか楽しくなる。
いもとようこの「プレゼントの木」はそんな子どもの善性が感じられる絵本だ。
私はこれを親になってから読んだのだが、それ以来ずっと「めっちゃ大好きクリスマス絵本ベスト10」の上位にランクインしている。
「プレゼントの木」はタイトルのまんま、アメリカの「ギビング・ツリー」という風習のお話である。
クリスマスにプレゼントをもらいにくい事情がある子どもたちが欲しいものを紙に書き、それをデパートや公共施設なんかのツリーに吊るしておく。そこを訪れ、リクエストを見た人がそのプレゼントを用意してツリーの根元に置いていく。スタッフなどを通じて子どもたちはリクエストのものがもらえる。簡単に言うとそんな感じの慈善活動をギビング・ツリーというらしい。
もちろん通りすがりにプレゼントをするのは完全なボランティア行為である。贈る側には何の見返りもない。別にやらなければいけないということでもない。
それなのにこういうのが風習としてそれなりに根付いている、ということに感動してしまう。社会も捨てたもんじゃないね。この世のすべての子どもが「あなたのために用意されたプレゼント」をもらえるようになればいいと思う。
「プレゼントの木」は、デパートのギビングツリーにひとつだけ残っているお願いごとのカードを見かけたクマの子が、そのカードを書いた子の願いを叶える素敵な方法を思いつく、というお話で、正直、リクエストが何か判明した瞬間オチはなんとなく想像つくと思う。でもそれがいいのだ。絵から伝わるクマの子の優しさ、誇らしさみたいなものが本当にいい。私もこんな風に優しくなりたい。なかなか難しいんだけど。



クリスマスのお話は寂しかったり切なかったりキュンとしたりやさしい気持ちになったり、たましいの在り方みたいなものを再確認したくなる内容が多くて好きだ。あと絵本だとやっぱり季節柄モコモコしてる絵が多いっていうのがいい。生き物がモコモコしてる姿、たまらんからね。




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