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ズレてなどいない

保育園児だった頃、園児服が上手く畳めなくて泣いてしまったことがある。
何度やり直しても周りの子みたいにきちんと整わない。きちんと畳んでいるつもりなのにぐちゃっと丸まってしまう。袖が変なところから飛び出している。落ち着いてやり直しても、ゆっくりゆっくり丁寧に折っても最終的にぐちゃっとなる。そんな子は他に誰もいない。
そのとき先生に怒られたとか周りの子にからかわれたとか、そういう記憶は朧げだ。そんなことあったかもしれないし誰も気にしていなかったかもしれない。
とにかくみんながサラッとやっていることが全然できない、という焦りだけは今でもよく思い出せる。
ピシッとする、ということが、多分生まれたときから苦手だった。今でもそうだ。
何度やり直してもジップロックがピッチリ閉まらない。クルクル回すタイプの蓋は永遠に締まらないか中途半端なところで引っかかって動かなくなるかのどちらだ。パーカーのファスナーは永遠に噛み合わない。クラスのみんなで千羽鶴を折ったとき、ふざけて折らないでとクラスメイトに真剣に怒られた。こちらも真剣に折ったのだが。
多分、ただ手先が不器用なだけではないのだと思う。この世に対する感覚がズレている気がする。
私は「見れば分かる」が全然分からない。
もっと早くそのことを分かりたかった。


まっすぐ線を引くことが私にはとても難しい。
定規を使えばいいじゃん、とみんな思うだろう。なるほど。定規はまっすぐに線を引くための道具だもんね。なるほどなるほど。
ここから言うことがどこまで伝わるか不安なのだが、私は定規を使ってもまっすぐな線が引けない。
そんなわけないだろ、という声が聞こえてくる気がする。真面目に線を引こうとしてないから引けないだけだろ。
普通の人ならそう考えて当たり前である。でも私は上手くできない。
これが「まっすぐ」だ、と思いながら定規に沿って線を引く。定規を離す。なんかズレてる。確認したのに何故。
すぐ「ズレてる」と自覚できればまだいい方で、引けたと思って人に見せるとすげー右下がりやん、などと指摘されて驚くことが結構ある。えっこれってまっすぐじゃないの?などと思わず言ってしまうと、こいつは何で見え透いた嘘で自分を正当化しようとするんだ、バカの保身ヤバすぎる、みたいに思われてしまう。
でも本当に「まっすぐ」の範囲内に見えているのだ。
自分がやったことでなくても、ここ歪んでるね、みたいなことを話しかけられるとドキドキする。そっかー気づいてなかった、と素直に言うといやいやこんな歪んでるの気づかないわけないでしょ、とかそのフォローは無理があるよ、などと呆れられてしまう。
別に誰かを庇っているわけでも対話相手に逆張りしているわけでもなく、そういうときの私は本当に気づいていないのだ。
でもそんなことを言ったところで誰にも理解はしてもらえない。ただの否定大好きオタクである。
なので自分のそういう感覚を反射的に説明しそうになるのを抑えて、あーそうだねごめんねとかあーほんとだ歪んでるねとかだけを言うように気をつけている。寂しいけどこれはまあ仕方ないと思う。結局私が間違っていることに変わりはないのだし。私だけが世界からズレている。


「見れば分かる」が分からない。
この「見れば」が人によって微妙に許容範囲が違うのもよく分からない。いやーこれは気づく人少ないよーという人が他にもいるパターンだとラッキーだ。私のヤバさもごまかせる上に、「数少ない気づける人」の立場に立てた人も嬉しくなれる。
みんなどうやって「これくらいなら『普通』まっすぐの範囲内」「ここからは『普通』ズレとして指摘するポイント」を把握しているのだろう。
精密な仕事でもない限り、みんなの「まっすぐ、ぴったり」が「わずかな角度のズレもなし」を意味しているわけではなさそうだ。
みんな目分量で社会にとっての「まっすぐ」を掴んでいる。私にはそれが難しい。みんなが共有している感覚が私にだけ備わっていない。
大体でいいよ、と言われ、実際みんなも大体の感覚でやってるように見える、よーしやってみよう、とやると高確率でいくら何でも雑すぎると怒られる。
よし慎重に、自分のペースで、人より苦手なことは人より丁寧に頑張ればいいんだよね、と切り替えてやれば、おっそいよ何トロトロやっとんの、パッと見ればすぐできるやん、もーええわありがとうございましたー、となる。お役御免だ。文化祭の準備で一人だけやれることがなくてオロオロしている子、あれだよあれ。辛いね。
そんなだから当然球技的な内容の体育の時間は悲惨だった。元々体力がないのもあり、何をやっても真面目に投げたり飛んだり掴んだりしようとしていないものと見做され、バチクソに怒られた。チームスポーツでやる気のないやつは何をされても仕方ないという時代だったのでチームメイトに何を言われても先生は庇ってくれなかったし、むしろ先生こそ積極的にダメなやつはこいう目に遭うぞという「見せしめ」を実行していた。そうなればもうますますこちらのやる気はなくなり、完全に悪循環である。永久機関が完成しちまったな。
体や五感を使う全てのことが苦手だった。SFでよく見る、水槽に浮かぶ脳だけの存在になって思考で全てが完結する世界に早く行きたかった。
思考ですら自分はみんなとズレがあり、もはやSFにすら自分の生きる場所がないことに気づいたのは大人になってからである。なんでこう何もかも欠落して生まれてきてしまったのか。ウケる。嘘、ウケない。普通に寂しい。


時々ズレてなどいない世界のことを妄想する。
私のズレが世界のまっすぐとして通用する世界。その世界なら私も「見れば分かる」。これはおかしいそれはおかしいこれは大丈夫あれもまあいけるでしょう、そんなことを堂々と言える。そんな世界があったらいいなと思う。適当すぎて他の誰もが逃げ出した結果、結局私ひとりの世界になりそうだけど。線を引いても一人。




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