文章が上手くなりたい。
いつも心のどこかでそう思っている。
威勢良く書いているときはあー文章書くのって楽しい、文章もっと上手く書けたらもっと楽しいだろうな〜フフフッと思うし、三ヶ月くらい経って当時の文章を読み返すとあー文章書くのって楽しいって思ってたけど……これはちょっとしょーもなすぎるやろ……クソ、文章もっと上手く書けたらこんな惨めな気持ちにならずにすむやろうに……畜生……と思う。楽しいときも苦しいときも、とにかく文章が上手くなりたいという気持ちが根っこにある。
三ヶ月後の自分にタイムスリップしてきてもらい、書いたそばから読んで批評してもらえばいい感じに整うのではないか、と考えたこともある。けれど書いている瞬間の、自分に酔いまくっている自分が三ヶ月後の自分の批評を素直に受け入れるとは思えない。自分同士の取っ組み合いで終わりそうだ。
なんか自然な感じで文章が上手くなりたい。今日も今日とてそんなことを夢見て日が暮れる。
子どもの頃は、自分は文章が上手いと思い込めていた。
稀代のポンコツ小学生だった私はやることなすこと全てがダメダメで常に怒られまくっていた。誇張ではなくマジのダメダメである。同世代の子がふつうにできる何もかもが私にはできず、教師はいつも「ここまで何もできない子は今まで見たことがない」と私の親に苦情をこぼし、そのたび親は途方に暮れていた。
周りの大人にとって私は存在しているだけで注意すべき点が次から次へと目につく子どもで、この子は何を書いているのか、などという生活の基礎に関係ないところまで目を配る余裕などなかったのだろう。
そのため私は客観的な批評を受けることなく、良くも悪くも自分の世界に閉じこもって文章を書き続けることができた。
自分が書きたいことを自分で書いて自分が読むのだから、読みやすくて面白いと感じるのは当たり前である。
その事実に気づくことなく、「こんなにも読みやすくて面白い文章が書けてしまうなんて……私ってきっと普通のことができない代わりに文章の才能が突出してるんだ」などと簡単に思い込めてしまったのは、出来損ないの子どもながらにプライドが持てる何かを欲していたからなのかもしれない。
そしてポンコツ小学生はやがてポンコツ中学生となり、ますます勘違いを深めていく。
文章は書かないが絵を描くのは好き、自分では作らないが読むのは好き、といった具合の、似て異なる趣味の友人たちとの出会いにより、自分の文章を他人に読んでもらう機会が格段に増えた。
面白いね、また読みたい。
生まれてこのかた何一つまともに褒められたことのない人間にとって、その言葉がどれほど嬉しかったことか。
冗談抜きで生まれてきてよかったと思ったし、人生がこれからジャンジャンバリバリよくなっていくような予感すら覚えた。光が差すとはまさにこのことである。
やっぱり私って文章上手いんだ。自分の思い込みがズレていなかったことも嬉しかった。
多感な時期に好きなことを好きな人たちに肯定してもらえたのは、本当に幸運なことだった。
別にそこから人生うまくいき始めましたみたいなことは全くなく、この後さらに20年以上ポンコツ人間として生きていくわけなのだが、基本的にポジティブでいられたのはこの時期のこの経験のおかげである。
書いたら書いたぶんだけみんな楽しく読んでくれた。もっと書きたい。読む人にとって新しい経験となるようなものを書きたい。だからもっともっと文章が上手くなりたい。自分も世界も(世界も!)びっくりするような文章を生み出したい。頑張ったらできると思う。何しろ私って文章書く才能があるから。
勘違いはそのままに、私は文章が上手くなりたいという願望をムクムクと膨らませていったのだった。
その後都会の大学に入り、言語化することに特化した人たちの群れの中で私の「私って文章書く才能がある」という長年の勘違いはバッキバキに折られ、ただ「文章が上手くなりたい」という願望だけがいびつな形で残された。
さらにその頃同人系の世界では個人サイトが盛り上がっており、気軽に「文章の才能がある」同世代をポコポコポコポコ発見できるようになっていた。
もし私が究極ポンコツ人うめめではなく、そのへんによくいるレベルのポンコツだったなら、その時点で私ごときが文章上手くなりたいなんておこがましい、苦手な現実の生活を充実させる方向にシフトしよう、と思えたのかもしれない。
しかし私は5億年に一人のスーパーポンコツ人である。ポンコツ力は軽く53万を超え、あまりの怒られ回数っぷりにスカウターは付いてこれず爆発した。どう頑張っても現実だけで生きていくのは無理である。辛い現実から逃れられる唯一無二の魔法を手放すことなどできはしない。
あーあみんないいなぁ文章が上手くて、などとちょっとひねくれた意識を交えつつ、それからも私は文章を書き続けている。さすがにもう世界がどうとかそんなことは思えない。私は分際を知ってしまった。この世界にはもう既に言語化モンスターがうじゃうじゃひしめいている。私には文章を書く才能はない。
けれどやっぱりできるだけ文章が上手くなりたい。その気持ちに変わりはない。私自身の心の平穏のために文章が上手くなりたいのだ。
お金にもならない、他者を介しての承認欲求を満たすことすらできない、そんな私の文章でも私の心をちょっとだけ軽くするくらいならできる。頑張ったらできると思う。そのために今日も明日も「文章が上手くなりたい」と夢を見るのである。ああ、文章が上手くなりたい。
きっと死ぬまでそう思い続けることだろう。