以下の内容はhttps://umeboshi666.hatenablog.com/より取得しました。


教科書、便覧、そして同人誌のあとがき

「モチモチの木」の音読が子ども部屋から聞こえてくる。
数十分前、今日は勉強会をするから、と宣言して次女とお友達は部屋に入っていった。本当に勉強をしていて偉い。勉強会という名の漫画をダラダラ読むだけの会にならないなんて、私の子どもとは思えない。
お菓子を持っていくと、二人は「じさま」ヤバい、と盛り上がっているところだった。じさま六十四歳なのに岩から岩へ飛び移るとかマジヤバい、もはやメロいやろ。分かる、かなりメロいて。てか青じしって何?響きウケる。シカらしいで知らんけど。てかお菓子食べよーママもう出てってよ。あっそれ好き、嬉しーありがとーいただきまーす。
すごい会話だ。ママには「メロい」が分からぬ。ママは昭和のオタクである。テンポに乗るタイミングが分からないまま薄ら笑いを浮かべて去るしかない。
令和のギャルにメロつかれていると知ったらじさまはどういう反応をするのだろう。渋い感じでお願いします。



新年度が始まり、娘たちが真新しい教科書を持って帰ってくると、まず国語の教科書を読ませてもらう。昔読んだ話が載っていて、懐かしくて嬉しくなる。
国語の教科書は昔から大好きだった。面白い話がたくさん載っている。授業中他の話を読みまくっていてもバレにくくてよかった。何度も読み返して時間を潰していたので、娘たちの教科書に載っている話も大抵覚えている。
私のように生まれつき本の中にしか居場所のない現実不適合人間と違い、夫は国語でやった話をほとんど覚えていない。「ごんぎつね」ですら習った気がするけど内容は覚えてない、と言ったのには驚いた。記憶を絞り切ってようやく出た言葉が「ごんさんときつねさんの話……やったっけ?」である。ハンターハンターに置き換えられているのだろうか。
そんな夫がかろうじて覚えていたのが「スイミー」と「大造じいさんとガン」だ。ガンの名前が残雪でかっこよかった、というのが印象に残ったらしい。残雪、確かに男子小学生を刺激しそうなかっこよさがある。本人、いや本鳥も名前に負けぬ渋い生き方をしているし。
国語の教科書で覚えてる話について周りの人に訊くと、さまざまな回答が得られて面白い。人によってばらつきはあるものの、「くじらぐも」「やまなし」「スーホの白い馬」「ちいちゃんのかげおくり」あたりは強い。
「うーんなんやったっけ、なんか八重歯が見える話」という一言から「『赤い実はじけた』やな!」と即答したら若干引かれてしまった。ごめん。
私自身は「おてがみ」がとても好きだ。がまくんとかえるくんの話、といえば思い出す方も多いのではないだろうか。
がまくんの自意識の強さ、かえるくんのズレているけれど誠実な優しさ、かたつむりくんの真面目さとちょっとかっこいい口調(すぐやるぜ)、何もかもがポンコツな子ども心を慰めてくれるものだった。ああいう世界観や関係性に今でも弱い。そういう風に生まれてきた。



国語の教科書が好きだった小学生は大体中学生になったら国語便覧も読み込んでいる気がする。国語便覧には本当にお世話になった。
ウン十年前の田舎の学生が面白い本を探す手段など限られており、国語便覧で紹介されている本のあらすじを読んで気になったものを図書室で片っ端から手に取っていく、というのが手っ取り早く「面白い」に出会う手段だった。私にとって国語便覧はマッチングアプリのような存在だったのかもしれない。マッチングアプリを使ったことがないので完全に印象だけで言っとるけど。
ちょっと分かりにくい昔の名詞なんかが出てきても便覧で調べればすぐどんなものか知ることが出来たし、時代小説を読んだ後に何気なく便覧をパラパラめくっていて、あっこれこの前読んだやつに出てきた服!小道具!などと意図しない答え合わせが出来たとき、なんだかお得な嬉しさがあった。
便覧で知って読んだ作品が面白かったら、そのまま作者で追っていった。便覧に載っているような作家はわりと全集が図書館にあるので助かった。
全集はすごい。どんなに好きな作者でもこれはあんまりおもんないなとかこれの良さが私にはまだ分からんなみたいな作品があるということが分かる。なんというか、勇気づけられる。



ネットのない時代、「面白い本」との出会いは教科書、便覧ときて更にもうひとつあった。同人誌のあとがきである。
最近の同人誌のあとがきはサラッとしていてかっこいいのだが、もっとどうでもいいことも語ってほしさもある。こちとら90年代を駆け抜けしオタクなのだ。ビッシリ手書きで記された前書き後書きフリートーク対談ページで産湯を使っている。死ぬほど細かい字で裏表に書き込まれまくったペーパーが懐かしい。みんな配布者様募集しとったやろ。
昔の同人誌のあとがきは近況報告も兼ねていたからだろう、萌え語りはもちろん、影響を受けた本やら映画やら音楽やらの話がたくさん語られていて、それを読むのがめちゃくちゃ楽しかった。こんな素敵な話を書く人が好きな本ってどんな話なんやろ、それ読んだらなんか私もセンスよくなる気ィするわ、とワクワクしながら本屋で探し出して読んだものだ。残念ながらセンスはさっぱりよくならなかったが、面白い本と出会えたことには違いない。
繰り返すがネットがない時代である。あの頃の地方の若いオタクはとにかく面白いものとの「出会い」に飢えていた。趣味の合う同志に出会う機会も滅多になかった。都会だとまた違ったのかもしれない。
あの頃パンパンにはち切れそうだった好奇心を支えてくれた教科書や便覧や同人誌のあとがきには感謝してもし切れないなとよく思う。
ところで我々世代の女オタク、同人誌の冒頭に名作の一文引用しがちだったよね。あれ私好きだった。

暗いネットで待ち合わせ

休日の昼下がり、「そういえば最近職場の人たちに流行りのアニメをオススメされた」と夫が言い出した。
オモロいらしいでーなどと言いつつ夫はサクサクと検索してリビングで再生する。私はそれをなんとなく一緒に眺めている。ふーん。銀河系のお話ね。みんな宇宙人なのかな。女の子たちかわいいね。ふーん。
そんな具合にぼんやり見ていたのだが、ふと突然「あっこれツイッターでファンアートドカドカ流れてきてるアニメだ!!」と気づいてビックリした。中盤あたりまで全然気づかなかった。毎日毎日こんなにもインターネットにどっぷり浸かっているというのに。
「私のクソみたいな現実」と「私の愉快なインターネット」はもはや境界線が溶け切って何年も経つけれど、「ふつうの人たちのふつうの世界」と「私の根暗なインターネット」も繋がっていることにはいまだに驚いてしまう。インターネットに対して卑屈な夢を見過ぎである。



私が子どもの頃はまだネットがなく、漫画やアニメは中学生くらいで卒業するのが普通だよねみたいな空気もまだまだ残っていた。
なので最近の人たちの、アニメ観ててもネット入り浸っててもオタクとは限らないですよってゆーかオタクとか別にどうでもよくないですかみたいな、自然なインターネット仕草が私は上手く出来ない。
保護者のグループラインでネットミームをさらりと使うよそのお母さんに「それアリなんだ!?」と驚いてしまう。それなら私もこれくらい砕けて送った方がいいんかな?その方が今は自然なのかな?と考えを巡らせてオタクっぽい口調でレスを返した結果、ほのぼのグループラインを氷の大地に変えてしまったことも少なくない。我こそは雪の女王である。別にこのグループにおいてありのままの姿で生きたいわけではないので難しい。
職場の若い子たちがこれXで回ってきたんですけどめっちゃウケませんー?などと無邪気に携帯の画面を見せてくれるのもドキッとしてしまう。アカウントがモロ見えなのだ。できるだけそこから目を逸らして把握しないようにはしているが、そんな配慮は彼女たちには必要ないのかもしれない。この子たちはインターネットと現実でわざわざ自我を切り分けていないのだ。なんという健全な精神なのだろう。
私が入り浸っているインターネットはネチョネチョしたオタク語りがメインの陰気臭い場所なので、そのノリをふつうの場所に持っていくのはどうも躊躇いがある。どのラインまでがOKなのか分からない。
他のお母さんならさらりと受け入れてもらえるネットミームも、私が発すると途端にヤバい感じがしてみんな引いてしまう。それはおそらく私の体からネチョネチョした感じが漂っているからだ。同じインターネットを見ていてもカラッとネタにできる人とネチョネチョしたノリを引きずってくる人がいる。私は完全に後者だ。今日も暗いネチョネチョした場所へたましいひとつで嬉々として出かけていく。そういうところに私以外の「人間」がいることを確かめに行く。そうして少し安心する。ここにいる人間はみんな社会に馴染めているようで全然馴染めていない。よかった。一緒に頑張ろうね。



少し前に小学生のあいだでエッホエッホとかいうネットミームがめちゃくちゃ流行り、娘やその友達が家で何度も披露してくれた。
その場で駆け足をしながら嬉しそうにエッホエッホとリズムよく喋っている姿が本当にかわいくて、(臭くて汚ねえインターネットからやってきたものが濾過されとる……)などと思った。元ネタの鳥の可愛らしさに一周回って戻ってきたように感じられた。子どもがやると大抵の真似事流行りごとは可愛らしいものになる。
ママもやろうよ、と誘われてエッホエッホと駆け足をしてみた。みんな軽やかにステップを踏んでるから私もそういう感じでやろう、とちょっとはりきって足を上げ下げしたら普通に足首を捻った。痛かった。
自分は生身でインターネットを表現するタイプではないと体で理解したので、それからは子どもたちの間で次々流行っては廃れていくネットのあれこれをぼんやりと眺めている。

早生まれ物語

2月の大雪の日に私は生まれた。早生まれである。
母親に似たのか背が伸びるスピードがとても早く、早生まれだから不利なのだ、みたいなことを体格面で思ったことはほぼなかった。むしろ小学生の頃はずっとデカい女に分類されていた。
しかし今にして思うと、4月生まれなんかは私がようやくこの世デビューした頃にはもうつかまり立ちやハイハイで自立移動しているわけで、早生まれたちはそこからわずか数年でその差を埋めないと集団生活で困ることになってしまうわけで、まあ一般的にはハードなスタートではあったのかもしれない。
けれど私はたとえ4月の初めに生まれていたとしても、集団生活を上手くこなす園児にはなれなかっただろう。元々そういう子どもだった。なので早生まれだからどうこうとかはあまり思わずに済んでいる。
子どもの頃は誕生日が待ち遠しかった。
特に9歳から10歳。早くティーンを名乗りたかった。
14歳、という響きも思春期爆発感があって憧れた。同級生たちが次々14歳になっていくのが羨ましかった。まだ厨二病などという言葉がない時代だった。
17歳も憧れた。原田宗典の「17歳だった!」を読んで面白かったからだ。実際は17歳じゃないときのエピソードもあると知っていたけど、やっぱり17歳って響きがなんかかっこいいんだよね。
成人式のときも、成人おめでとうございまーす、という言葉に対してまだ19ですけど、みたいなツッコミがどうしても心の中に浮かんでしまい、自分で自分がめんどくさかった。
30超えたらオバさんだから誕生日が来るのが嫌だ、ギリギリまで20代でいたい、みたいなことは一度も思ったことがない。若い女としての価値が当時の私にはなかったのだが、それじゃだめだ、若い女なんだから若い女としての価値を高める努力をしろという周りからの声が非常にうっとおしかったので、さっさと若い女のポジションから降りたかった。今でも若者に対して一瞬の価値を煽りたがる風潮はクソだと強く思う。
最近困るのが年齢を記入するときだ。私っていくつになるんだっけ?もうなった?みたいなのが全然分からない。
40を超えた人間は大体みんなそうなるものだが、早生まれの場合は特にややこしい。同級生にうちらいくつになったんだっけ?と訊き、返ってきた答えからマイナス1をする、という風に解決していたのだが、最近同級生も自分自身の年齢が曖昧な状態で返事をするので、そんなつもりはなくとも書類上2歳ほど若返ったり歳を取っていたりしてしまう。
雑談の中で生まれ年を訊かれたときも、生まれ年は昭和何年ですが学年で言うとその一個前です、みたいな「学年で言うと」を足す必要がある。ややこしい。
ややこしくはあるものの、雑談のネタになるし、早生まれあるあると語るとその場にいる早生まれの同志が「分かる〜」を連発してくれるので助かる。早生まれも早生まれで、おいしいところがまあまああるのだ。



早生まれであること以上に、私は自分が2月生まれであることが気に入っている。正確には、うお座であることが嬉しい。
うおざ、という響きは力強くて口に出したくなるし、魚モチーフというところが最高だ。昔から人間より人間じゃない生き物の方が好きだった。
陸の社会で上手くやれないのは自分が魚とか水とかの属性の人間だからなんじゃないか、早く海に還りたい、などとちょっとファンタジックな言い訳を呟くだけで心が慰められる。まあ同じうお座の人間がバリバリ働いてるのも知ってるけど。
うお座は大抵の星占いで独特の感性があるとか愛情深く相手に尽くすとか書かれている。実用的な社会の思考が出来ずはみ出しやすいとか一度ハマった人間関係から抜け出せずズブズブグダグダしやすいとかそういう風には書かれない。占い側からの人の情けを感じる。ごめんて。そういうことやな。ごめんてほんとに。早く海に還ります。
うお座モチーフの雑貨やお菓子がかわいい魚なのもラッキーでハッピーである。しかも二匹セット。お得だ。
たい焼きが一匹余ったとき、私うお座なんで…あっうお座って魚二匹でうお座らしいんすよみたいなことを言ってちゃっかり余りをもらったことがある。図々しいにも程があるエピソードだが、そのときは私以外全員たい焼き二匹一気喰いは普通に無理みたいな、胃袋が穏やかな人ばかりだったのだ。これが高級寿司とかだったらさすがの私もそんなことは言い出せなかっただろう。
うお座ではないけど、職場の人が愚痴をちょっと吐いた後、あっ今日星占いでネガティブはよくないって言われてたんだった、もう言わんとこっと冗談ぽく愚痴を締めていて、いい切りの付け方だなと思った。星座は日常のしょうもない話に混ぜ込みやすい要素があっていい。



誕生日というより、誕生月の話を聞くのがわりと好きかもしれない、と最近気づいた。
6月生まれと言われれば紫陽花やこの世を覆うような雨が浮かぶし、12月生まれと言われれば切なくなるような光り方をしているクリスマスの飾りをイメージする。そういう光景と目の前の人とが重なるのがなんとなく楽しい。
自分が大雪の日に生まれた、と散々聞かされて育ってきたからだろうか。覚えていない、おそらく見てすらいないその年の青白い雪の壁を、私はたやすく思い描ける。真っ暗な夜空から大粒の雪がぽとぽと降ってくるのを見上げていたような気すらしてくる。ぽとぽとだ。ふわふわではない。二月の山村に降る雪はしっとりしている。
自分が生まれた頃の天気や光景を調べて想像するのは、なんだか不思議なタイムマシンに乗っているような感覚で面白いので、暇な時なんかにちょっとみんなやってみたらいいと思う。ところで私が生まれたのって何年前になるんだっけ。このブログを書く前に一度調べたのにもう忘れてしまった。やばい。

鬼より怖い

子どもの頃、わりと節分を楽しんでいた気がする。
鬼に豆をぶつける。ただそれだけのことが面白かった。
ナマハゲみたいに本格的な鬼が出てくる風習もなく、親がインスタ映えを意識する時代でもなかったため、豆まきは鬼の正体がバレバレの状態でテキトーに始まる。父親だったり、保育園の先生だったり、イベントに呼ばれた町の議員さんだったりがお面を被っただけの状態でウオーッと滑稽じみた威嚇をする。こちらは全力で雄叫びを上げて豆だったり新聞紙を小さく丸めたものだったりを叩きつける。鬼が悶え苦しんでいるところに追い打ちをかけ、その場から追い出してめでたしめでたしだ。
大人を暴力でやっつけるという流れに興奮していたことは間違いない。我ながら嫌な子どもだ。豆を全て投げつけた後は飛びかかって背中や腰をバシバシ叩いたりしていた。鬼のお面を被った父はそういうときわざと哀れっぽい声を出してくれた。本当に結構痛かったのかもしれないけど。


山里に住んでいた私にとって、鬼より山姥の方がよっぽど恐ろしい存在だった。
戦前に建てられた我が家は家の中にトイレがなかった。尿意を催すたびに庭の隅にぽつんと建てられたトイレ小屋までわざわざ靴を履いて出ていかなければならなかった。
夜の庭は自分の家の一部だと思えなかった。恐ろしく暗い。庭の木々のこんもりとした感じに、「何か」が潜んでいるように見えて足がすくむ。
昼間なら気持ちいいくらいのそよ風も、夜だとひんやりした「何か」の手がヒタヒタと伸びてきているように感じられてゾッとした。
モチモチの木で豆太が5歳になっても一人で用を足しに行けなくて…と引け目を感じているシーンがあるが、そりゃそうやろと思う。街灯ひとつない山の夜の闇の中で、人間の子どもはあまりにもちっぽけな異物だ。異物ならではの生存本能なのか、五感の全てが闇から「何か」の気配を感じ取っている。
さっさと家の中に戻ろう。そう思った瞬間、嫌な妄想がパッと頭の中に広がる。
山姥がこちらに向かって走ってくる。山の上からものすごいスピードで獣道を駆け降りてくる。白髪を振り乱し、細い手足を素早く動かし、この庭目指してやってくる。山は山姥の味方だ。この巨大な闇の生き物は私が外に出たことを山姥に教えていたのだ。山はいつも人間を見ている。
慌てて庭を突っ切って家の中に駆け込む。誰もいない土間は仄暗い。靴を揃える余裕もなく、めちゃくちゃに脱ぎ捨てて部屋の中に駆け込む。
茶の間では先ほどと変わらず家族がテレビを観ている。いつも通りの風景だ。そこでようやく私は安心する。あんなに怖がっていたのが馬鹿みたいだ。マジカルバナナ、とテレビの中の曲に合わせて体を揺らす。もう山姥のことは忘れている。
それから何年か経った後、インターネットに書き込まれた怖い話の中に、幼い私の妄想に似た話を見つけて驚いた。
真夜中に屋上から双眼鏡で街を眺めていると、遠くにいるはずの誰かとばっちり目が合い、その直後そいつがニコニコしながらこっちに向かって走ってくる、というやつだ。舞台は街中で山が近いとは書いてないし、走ってくるモノも老婆というわけではなさそうだったが、「何かが遠くからこちらを見つけて走ってくる」というくだりに感じる恐怖は同じ種類のものだった。人間の意識って面白い。そんなことを思った。
しかし何故私の「走ってくる恐怖」のイメージは山姥だったのだろう。決して鬼ではなかった。山には鬼が住んでいる、みたいな昔話をたくさん聞いて育ったのに、山の恐ろしい存在といえば山姥ばかりが思い浮かぶ。
この世に恨みを持つ女の人と山という組み合わせにリアリティを感じていたのだろうか。
ユーミンの世界観では小さい頃は神様がいて毎日愛を届けてくれていたようだが、私の世界では小さい頃は走り屋がいて毎晩爆音を届けてくれていた。みんな山に走りに行くのだ。そういう時代だった。
若い女の子が彼氏と山にドライブへ行って喧嘩して置き去りにされたとか暴走族に拉致されてそのまま山で捨てられたとかいう噂話を子どもの頃よく耳にしていた。女の子が山で彷徨ううちに山姥へと姿を変える想像をする。全然ありそう。この世の全てが許せなくなって当然だ。
あるいは姥捨山のイメージだろうか。置き去りにされた老母たちが鬱憤を晴らす機会を窺っていたとして誰がそれを責められるだろう。
鬼の話だってたくさん聞いたり読んだりしたはずなのだが、より山姥にリアルを感じてしまうのは、共感の具合によるものなのかもしれない。私だっていつ自分が山姥になるかわかったものではないのだ。



5年ほど前、鬼滅の刃がハチャメチャに流行っていた頃、遊びに来た長女のお友達がよく鬼滅キャラの絵を描いていた。炭治郎や禰󠄀豆子などの人気キャラだけでなく、腕がたくさんある鬼やネズミの絵なんかも上手に描いていた。本当にこの漫画が好きなんだな、というのが伝わってきた。
どのキャラが一番好き?とかどのキャラが一番かっこいい?とか、子ども同士あるあるな話で彼女たちはいつも盛り上がっていた。
どの鬼が一番怖い?という話になったとき、そのお友達は「蜘蛛のお父さん」と答えた。お母さんに暴力を振るうなんてありえない、あのシーンだけ怖すぎて薄目になっちゃった、と信じられないものを語るときの表情で彼女は強く言い切った。
彼女は大人相手でも物怖じせずハキハキ喋る子で、いろんな話をたくさんしたけれど、その話が一番印象に残っている。
この世には頼むからフィクションであってくれと思うような残酷な出来事がたくさんある。こんな世界もうどうしようもないと投げやりな気持ちになるたび、優しい世界で育ってきたあの子のことを思い出し、そんな優しい世界を努力で作ってきたあの子のご両親のすごさを思い出し、頑張らないとなんだよなあ、と気持ちを持ち直すようにしている。

あの頃特別だったもの

彼女は洗面所の前に立っている。ヘアアイロンで髪の束を挟み、頭皮から引っこ抜けそうなほど強くまっすぐ引っ張る。毛が焦げる臭いがする。
やりすぎだと彼女も本当は気づいている。けれど中々やめられない。今朝は雨が降っている。どうせ大学までの遠い遠い道のりの間にこの忌々しい癖毛は回復してしまうだろう。憎たらしいやつめ。
彼女は髪の毛を力任せに引っ張る。毛先を焦がす。髪に罰を与えている。自分の心の思う通りにならない自分の体がまだ許せない。



彼女の大学は都会にある。だから電車で何時間も揺られて行く。ウォークマンで好きなバンドの新しいアルバムを聴く。三曲目が特に好きだ。早くライブでも聴きたい。そのために働いてるんだからと思う。
次のバイト代が入ったら何をおいても縮毛矯正にぶっ込んでやると呻いていたのはつい数十分前のことだ。彼女の優先順位はコロコロ変わる。
彼女は分厚い本を鞄から取り出して読み始める。
重たい本を何冊も持ち歩くことはあまり苦ではなかった。彼女は若かった。本が好きだった。この長い移動時間をやり過ごす他の方法もまだなかった。



大学の掲示板の前で彼女は目眩を覚えている。臨時休講。マジか。この時間に間に合うよう早起きしてえっちらおっちら出て来たのに。
そういえばと携帯を取り出し、パカッと開く。今日休講だよと友人からメールが届いていた。数十分ほど前に送ってくれていたらしい。地下鉄の中は電波が届かないから気づかなかった。そこで気づいたところでもう遅いんだけど。
でもどうせ後でゼミもあるから。そっちがメインだから。彼女は自分にそう言い聞かせた。実際その通りだ。彼女はゼミが好きだった。ゼミの先生が好きだった。あんな大人の女の人は初めて見た。
時間潰しに図書館へ向かう。途中で友人たちがおしゃべりしているところに出くわす。やっほー、と声をかけるとやっほー、と返ってくる。今は朝とも昼ともつかない時間だし、女の子たちはみんな元気で「お疲れ様」って感じじゃなくて、だからこの声かけに意味なんてない。
友人のひとりはバンドTシャツを着ていた。彼女も持ってるやつだ。この前のライブに一緒に行って一緒に買った。嬉しくなってその話をする。
楽しかったね。また行こうね。やっぱあのバンド最高だよね。
もう一人の友人がこの前観た映画の話をする。あの監督っていつもあんな感じだよね。そこがいいんだけど。私はあれよく分かんなかった。いやー私はカコイチ好きかも、分かってないけど。分からんのに好きになるの分かるー。ねえ私まだそれ観てないからさあ。
友人たちとしばらく笑い転げた後、再び彼女は歩き出す。好きなものの話をたくさんした後の口元はなんだかムズムズしている。一人でニヤついていると思われないよう唇の両端を指先で揉むようにいじる。そっちの方が挙動不審に見えるとはまだ思い至らない。


彼女の好きな先生はいつも秋っぽい雰囲気の服を着ている。
不思議な編み目のカーディガンや穏やかな色合いだけど個性的な柄のロングスカートやさっと羽織ったショールなんかがすごく知的に見える。本を抱えて歩く人のためのファッションって感じでかっこいい。
先生はいつもニコニコしている。面白いことがあるとニコニコがゲラゲラになる。はーおかし、ところで今の発表だけど、と滑らかに切り替えて切り込んでくる。彼女の頭はまだ切り替わっていない。えへへ、えっとですねぇ、へへへ、などと言いつつ資料をパラパラさせる。そこに答えがないと分かっていても。ヤバい。そこまで考えてなかった。何か思いつけ私の頭。
彼女が専攻した分野について、彼女の周りの大人は大抵「それが将来何の役に立つのか」と訊いてきた。手に職という資格が取れるわけでもない。一般的な就職に有利な分野というわけでもない。周りの大人にとって将来に直結しない学問は貴族のお遊びみたいなもので、出来損ないの百姓娘が選ぶべき進路では絶対になかった。
私は、ただこういうことを学びたいだけ。
彼女は恥ずかしさに耐えて呟く。
子どもの頃から本を読むのが好きだったけれど、それが賢さに直結しないタイプだと判明してからは、むしろ本が好きなことは彼女のマイナスポイントとなった。頭が悪いくせに本を読んでるふりをしてかしこぶっている、本ばっかり読んで現実に挑んでいない、と人生で何度かいろんな大人に叱られた。実際そういう部分は確かにあったのだろう。彼女はひねくれ者特有の、面倒な嫌さがある子どもだった。
先生は彼女のそういう面倒な嫌さや学びへの気後れをあっさり受け流すことができた。ただ学問の対話に徹し、彼女のどんな話も学びのとっかかりまで引っ張っていってその先端に引っ掛けてくれる。
その手慣れた感じからして、先生はきっと今までにたくさんの面倒な嫌さを引きずっている教え子を導いてきたのだろう。そういう子どもを惹きつけるところのある人だった。
先生にとっては大勢のうちの一人に過ぎない彼女だったが、彼女にとってはこの世で唯一無二の先生だった。先生という立場の人に褒めてもらうことなんて今までの人生でほぼなかった。それも自分の好きな分野でとなると、もう本当に初めての経験だった。そもそも学校で好きなことを学べるというのも彼女にとっては新鮮だったのだ。苦手ばかりを抱えて生まれてきてしまった。
隣の席の子が高度な質問をしている。先生はハキハキと答える。時折混ざるユーモアにクスクス笑いが広がる。彼女も笑う。
先生は誰とでも会話を広げられる。
けれどそれは先生が社交的な性格だからではない。むしろその逆だと彼女は思っている。先生はささくれが出来やすい魂を知性で覆うことで社会や他人と触れ合えているように見える。思想で自分を守っている。
かっこいい。私もこんな風に賢くなりたい。
彼女は幼稚園児みたいな憧れ方しかまだ知らなかった。



帰り道、時間があれば彼女は必ず寄り道をする。都会はすごい。どこにでも何かしら存在している。コンビニ、本屋、映画館、ライブハウス、若者だらけのお洒落なカフェ、個性的な服屋、もはや何屋か判別できない謎の狭い店、見上げるほどに高いビル、地下鉄の入り口、バス乗り場、道路にはタクシーがいっぱい、街灯やお店の明かりで夜道は眩しく照らし出され、まるでテレビの中にいるみたい。だってテレビの中でしか見たことない風景の中を歩いている。
彼女の村には何もない。
豊かな自然はある。星は夜空を埋め尽くすほどに輝き、庭でカマクラや橇遊びができるほどの雪が降り、野山を歩けば至る所に野生のおやつが実っていて、無数にある川は全て透き通っていて美しい。
だから何。そういうことじゃないんだよ。彼女は今日キラキラしたビジューがたくさん付いた柔らかい靴を履いている。村では売っていない靴。村では履いていく場所がない靴。駅前のビルの中の、店名が何語だか分からなくて読めないショップで買った。彼女はいつか自分は村を出てブンカテキな場所で暮らすのだと信じている。
重たい本が鞄に何冊も入っているのに、まだ彼女は本屋へ足を踏み入れる。変わった本がたくさんある本屋。それも村にはない。
目的もなくブラブラと適当に本棚を見て回る。なんとなくで本を手に取ってパラパラ眺めてまた戻す。それを繰り返すうち、今日はなんとなく漫画が読みたい気分かもしれないと思い至る。ふらふらと漫画コーナーに引き返す。
高校生の頃、初めて岡崎京子を読んで胸が抉られたような気持ちになった。ああいう痛い読書がしたい。こういう本屋に置いてある、ちょっと大きいサイズの漫画はそういう気持ちになりやすいものが多くていい。平積みされたそれらをぼんやりと眺めていく。
魚喃キリコのこれ、まだ読んでないな。
彼女は一冊の漫画を手に取る。魚喃キリコ。この人の描く漫画の登場人物は、誰も彼女に似ていない。出てくる男は軒並み気に食わない。特にハギオ。あいつマジで何なの。
それなのにどうして読むたびこんなに苦しくなるんだろう。出てくる女の子たちみんなに分かるよと言いたくなるんだろう。シンプルな一コマを眺めたまま手が動かせなくなるんだろう。ものすごく好き。漫画の中に向かって叫びたくなる。こんなにも淡々とした雰囲気の漫画なのに。
彼女はそれをレジに持っていく。財布を取り出してヒヤリとする。中身がスカスカだ。小銭をかき集めて何とか支払えた。危なかった。明日からどうしよう。どうしようもないな。困ったな。
それでもまだ未読の魚喃キリコの本が手に入った喜びの方が勝つ。今夜は痛くて苦しくて遠くを見つめたくなる時間が過ごせることだろう。
ソワソワしながら彼女は地下鉄に向かって足を早める。これからバイトだ。でも仕事中もきっと暇さえあれば漫画のことばっかり考えてしまうだろう。ストロベリーショートケイクス。どんな話なんだろう。



そんな日々からあっという間に20年くらい経ってしまった。
彼女はすくすくとおばさんになった。相変わらず髪の毛の癖はひどく、時折白髪が混じるようになったが、洗面所に立っている時間は昔の半分以下だ。外見より内臓の具合が気になる。
持ち歩く本は一冊だけで、送迎や病院の待ち時間に読む。電車に乗ることはほとんどない。
友人たちと話した後口元がムズムズするのは変わらない。話すことも変わってない気がする。いつまで経っても音楽だとか映画だとかが好き。
あの頃の先生に歳だけは近づいているはずなのに、いまだにあの頃の距離感のまま、遠い憧れを抱いている。永遠に理想の大人。私の好きな先生。
結局村から出ることはなかった。今はもう出て行きたいとも思わない。ただ時々、都会のアパートで一人暮らしをしている自分を妄想したりはする。その窓の向こうは真夜中でも明るい。
魚喃キリコの漫画はずっと本棚にある。いつ読んでもあの頃みたいな気持ちになる。遠い昔、もはや自分とは別の人間みたいにしか思い出せないあの頃の自分、彼女が感じていたのとまったく同じ気持ちになる。きっと死ぬまでそうなのだろう。あの頃の私に魚喃キリコの漫画があってよかった。改めて思う。私はストロベリーショートケイクスがずっと好き。

ホームワークが終わらない

かれこれ11年ほど親なるものをやっているが、自分が親に向いていると思えたことは一度もない。
自分だってまともに出来ていないことを我が子に向かってこれ出来るように頑張ろうね、などと言わねばならないときほど気まずいことはない。偉そうに説教もどきをカマしてしまった後など恥ずかしさで消えたくなる。
だからと言ってママも出来ないから教えるの無理でーすはい終了、とはいかないのであれやこれやと頭を使ってなんとかサポートをしていくのだが、子どもの成長スピードは恐ろしく速く、親のハリボテを取り繕うことすら難しくなってきている。もっと勉強しておけばよかった。もう答えが全然分からない。というか、答えも見てもどうしてそうなるのか全然分からない。
そう、これは冬休みの宿題の話である。



私は昔から運動も勉強も芸術もまるでダメで、そのダメさをやり直すことなくこの年までごまかしごまかし生きてきた。娘たちは最近その事実を実感しつつある。
二重跳びのコツを訊かれたら実演するのではなくYouTubeを検索して全然知らんやつの解説動画でごまかすし、算数の問題を訊かれたらまず解答を確認するし、ひどいときはそれを読んでも意味が分からずパパが帰ってきたら一緒に教えてもらおうね…で後回しになるし、図工や音楽は何を描いたり弾いたりしてもすごいなぁとかママはそんなんよーやらんで改善点とか思いつかんなぁ既に最高やよとかしか言えないし、コイツに訊くだけ無駄だという実績をバシバシ積み上げている。
唯一娘たちがママでも何とかなりそうと思っている最後の砦が作文である。
ママはたくさん本を読んでるから、という理由で期待を寄せて娘たちは私に添削を依頼する。私も私でうんうんママはたくさん本を読んでるからね、という顔で下書きを受け取って確認する。
この時点でママの内心はもうバックバクのドッキドキで半泣き状態だ。ウソウソウソ、ほんとは全然大した量読んでないし今まで読んできた本だってどれほどのことを理解して受け取っているのか怪しいものだ。理路整然と話すことも出来なければ心を打つ名文だって一度も書けたことがない。こんな人間が子どもの感性に果たして手を入れていいのだろうか。
娘たちが低学年の頃は「きのう、わたしを、ごはんが、たべます」みたいな文章だったから堂々と直すことができた。「を」じゃなくて「は」、「が」じゃなくて「を」、「きのう」だから「たべました」。こういうのはさすがに赤を入れられる。
しかし今や彼女たちの望む添削は正解が存在しない次元に達してしまった。「昨日、私は誰々ちゃんと公園で遊びました」と「昨日、私は公園で誰々ちゃんと遊びました」のどちらがより良いか、みたいな感じである。どちらも別に間違いではない(と思うんだけど、これを書いてる今も自信が持てない)。
この後にくる文章が公園についてなのか誰々ちゃんについてなのかで変わってくるんやないかな、リレーのバトンと同じで、後の文章で語りたい単語を文の後ろに持ってきた方がなんとなくスムーズで好きかも、なんなら誰々ちゃんと公園で文を二つに分けてもリズムが作れていいかも、などといけしゃあしゃあと語る。もちろんこれは完全に私の好みでしかない。そんな曖昧な思想で子どもの自由な感性を制限してしまっていいのだろうか。私は今子どものセンスを捻じ曲げているのではないだろうか。これはあんたの好きな方でいーんやよぉ、などと最後に必ず付け足すのだが、親の言葉の影響力を考えたらそんな付け足しなんか気休めでしかないのではないか。
じゃあ添削するなよという感じだが、今でも「てにをは」が怪しくなっていたり改行が圧倒的に足りていなかったり漢字がめちゃくちゃだったり、という明らかに直すべきところが出現することもあるし(相当減ったけど)、何より本人がこれを読者はどう思うか知りたいと願っているのだ。文章は他者に読まれることで磨かれると私も思う。
でもやっぱりすごく怖い。
親とかいう圧倒的存在である自分の意見がこの子の文章の良さを、消すとまではいかなくとも捻じ曲げてしまうんじゃないかという不安の中で毎回毎回ペンを走らせている。
実際娘たちの文章はとても良いのだ。
面白い視点(発想が斬新とか突飛とかではなく、自分の内面のどこから物事を見つめようとしているかということに自覚的なのが面白い)、その視点を他人と共有するための表現、それらを文章として成立させようと練った後が感じられ、そのうちのいくつかは私では到底思いつかないようなカッコいい一文になっていて、全体としても添削の文より花丸波線を引くことの方がよっぽど多い。この良さをもっともっと引き出してあげたいけれど、引き出すつもりが押し込めてしまっていることになっていないか、本当に不安で心配で自信がない。
インターネットの親さんたちはよく「学校に提出する作文、子どもの代わりに私が書いたら毎回受賞しちゃう」とか「私は感想文書くの得意だったのに子どもは苦手で意味が分からない」とか「子どもの作文直すところだらけで頭痛い」とか書いててすごいと思う。全員校正のプロとか敏腕編集者とかなのだろうか。私はいつまで経っても自分の添削に曖昧さを残してしまう。それはそれで責任逃れだな、という罪悪感もまあまあある。難しい。



それにしても冬休みは夏休みより短く、夏休みよりイベント(それも子どもにとっては断りづらい)が続くのに宿題が結構多くて大変だ。やろうとしてるだけでも偉いと思う。
最近アマゾンプライムでまたアッバス・キアロスタミの作品が観られるようになった。
子どもたちの宿題事情についてのドキュメンタリーである「ホームワーク」はもう30年以上前の作品だけれど、今観ても胸に響くものがある。我々世代だとキアロスタミはもう観たことあるよという人が多いだろうけど、是非また観返してほしいなと思う。やっぱり年を取ると感じ方が変わるから。

ゴーゴー忘年会

あっという間に年末である。
ハロウィンだのクリスマスだのと数ヶ月間子どもたちのパーティに走り回っていたわけだが、ようやく私のターンがやってきた。忘年会だ。
インターネット村において職場の忘年会といえばママ友ランチと並んで嫌われイベントとして語られがちだが、私はどちらも結構好きなのだ。
ちなみに私はお酒がほとんど飲めない。缶ビール一本で全身がまだらに赤らんで皮膚が膨れていくような感覚に陥る。
お酒は飲めないけど飲み会は好き、というと不思議そうにされるが、私にとって飲み会は雰囲気を楽しむ場なので別に矛盾はしていない。あのガチャついた感じの中に座っているだけで楽しい。
あまり話したことがない人や雰囲気的にちょっと苦手かもと思っていた人たちがニコニコと飲んだり食べたりしているのを見ると、別に会話をしていなくても勝手に親しみが湧く。労働と関係ないところでの笑顔っていいよね。
自分がやってみようと絶対思わないタイプの趣味や生活の話が聞けるのも面白い。なるほどこの人はこのために労働を頑張ってるんだなと感じられると安心する。労働ってつらいから。
とにかく仕事以外共通点のない集団である。誰が何を話しても、自分の人生では絶対経験し得ない話がポロポロ出てくる。それに対するリアクションも人それぞれで楽しい。今のそんなに面白かったか?というポイントで涙が浮かぶほど笑う人、軽い愚痴のつもりだった本人以上に怒りを滲ませて同調する人、誰かの話をきっかけに話すつもりのなかった話を語り始める人。どこへ向かって転がっていくのか分からない流れがいい。
もちろん気まずい話に転がることもある。そんなときは目の前の料理やお酒の話を差し込むとうやむやになるのも飲み会のいいところだ。えっこれおいしーとかお水頼むけど誰かいる人ーなどと挟み込みやすくて助かる。遠くの席の人に話しかけて席を離れたり、トイレに頻繁に行っても不自然じゃなかったり、話に困っても逃げやすい。
ママ友ランチもそんな感じで楽しんでいる。親関係は逆に子どもや学校という共通点がとても強いので話題にはまず困らない。その上で子どもと関係ない話ができると嬉しい。親同士でくだらない話をすることで親もしんどいよね感を分け合ってごまかし合えるのがありがたい。
ツイッターで「大人の遊びは飲み会とかお茶ばかりでつまらない、子どもの頃みたいにドッジボールとかしたい」みたいな意見が定期的に出てきては賛同されまくっているが、私は全然そう思わない。いい加減でもなんとかなる大人のおしゃべりごっこの方が断然楽しい。子どもの遊びの、真剣さから生まれる過酷さをみんな忘れてしまったのだろうか。それともみんなが普通に楽しんでいたことに、この世で私だけがうまく乗れなかったということなのだろうか。



私は運動神経が終わっている子どもだった。昭和を生きる子どもにとってそれは暗い学校生活を確約する欠点だった。
あの頃の体育は、運動が出来ないクラスメイトは人間として尊重しなくてもよいという空気があった。こんな簡単な運動が出来ないなんてありえない、ということはこいつにやる気がないだけだ、だから周りからの罵声と嘲笑とちょっとした暴力も仕方ないことだ、それで本人もなにくそとやる気を出すかもだしクラスの連帯感も高まるかもだし、くらいに教師も考えている時代だった。その結果本人に生まれたのは負けん気ではなく虚無感だったのだが。
授業中ですらそんな感じなのだから、休み時間に子どもだけで開催されるドッジボールや大縄跳び、鬼ごっこなどは更に容赦がなかった。
参加すればその鈍臭さから敵味方を問わず苛つかせ空気を乱し、いたたまれなくなって途中で抜ければ逃げるのかだの慰め待ちウザいだのと背中に責めの言葉を投げつけられる。
最初から混ざらなければいいのにと今なら言えるけれど、当時はみんなと遊びたかったのだ。私はみんなみたいになりたかった。「みんな」の一部と化してその楽しさを共有してみたかった。
それに小学校の頃は休み時間に何をして過ごすかがクラスのルールとして厳密に決められていた。内容は常に外遊びかつ集団遊びで、教室に残って本を読んだりすることは許されなかったのだ。(この話をシティボーイだった夫にすると絶句していたので、時代というより田舎独特のルールだったのかもしれない)
成長と共に私は「みんな」になれないんだな、と気づき、外遊びに上手く混ざらなければという必死な気持ちも徐々に消化されて楽になった。体育だけは地獄が何年も続いた。



今私はご飯を食べたりお茶を飲んだりおしゃべりをしたりすることで「みんな」と楽しさを共有できている。大人になって本当によかった。
廊下を歩く数分間のあいだだけどうでもいい天気の話をしてそれぞれ別れたり、そんなことでも楽しいね、ね、楽しいね、と通じ合えるのが嬉しい。
私とは逆にそういう楽しさが一切理解できず共有できない人もおそらくいるのだろう。職場で雑談をする人間は愚かで頭が空っぽだ、という批判を見たことがある。まあ私に関して言えば、それは正しい。とても愚かだしいつもぼんやりしている。
雑談が嫌いな人は、忘年会で子どもの頃の私が感じたような憂鬱さを同じように感じているのかもしれない。
私は忘年会が好きだが、行きたくない人は行かなくてもいいという風潮がもっともっとどんどん広がって当たり前になってほしい。ああいうものの強制参加は何の意味もないと思う。連帯する楽しさにも向き不向きがあるのだ。子ども時代の私もそうだそうだと言っている。




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