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山下清の放浪日記 山下清 著/池内 紀 (編集)

山下清さんの18才〜28歳頃までの、放浪というよりも逃亡の回想録を読みました。

山下清さんは念写のように景色を記憶し、過去に見た情景を絵にしたことで有名です。文章も同様で驚きました。

すでに絵の才能は認められた後ですが、それは絵に詳しい人の世界での話。巷では天才画家として扱われず、ルンペン扱い。なかなかハードモードです。

 

いろんな駅周辺を歩き回る様子が書かれています。身近な人との会話で主従関係が反転する不安な感じや、嘘がバレて形勢が変わっていく様子もナマナマしく書かれています。

こういう言い方は微妙なのはわかっているのだけど、この人はいまの時代だったら知的障害というより “こだわりが強すぎる人” として扱われていたんじゃないか。

そんな気がします。

そう思うのには、ひとつ個人的な理由があります。

わたしの父が子供の頃に、新潟県長岡市の学校へ山下清さんが講演をしに来てくれた話を聞いたことがあるのです。

 

父はこんなことを言っていました。

「あの人はテレビでは(ドラマ「裸の大将」のこと)あんな風に、ほのぼのとした人ってことになってるけど、あの人が話しているのを見たときに、そういう人だと思わなかった。ちゃんと話していたし、すごく自分の考えがある人だった」

 

この本を読んで、なるほどと思うところがありました。

ゆずらない、こだわりが強い、記憶力がパワフル。

下半身を露出し精神病院へ入れられさらにそこから逃走する話までありました。それを本人の回想文で知るのは、なかなか衝撃的な読書体験でした。

印象に残ったのは、こんな部分でした。

 

 

疑いの類推がすごい

怒りは書かれていないのに、疑いと類推はしっかり書き込まれていて、「だまされないぞ!」と警戒しながら行動されています。

なんかすごく、いつも警戒してる。怒りだけが抜け落ちている印象です。

他人の言葉を突然取り入れて予定を変更したり、何をしたいのかわかりません。

 

 

親切な人が多いけど冗談もきつい時代

この時代の人は言うことがきついなぁと思うやりとりが多いなか、こんな記述がありました。

精神病院の中での出来事です。

僕が、「僕のお母さんが家で心配してるかもわからない」と云ったら、おばさんが、「お前のお母さんが、お前の事を、病気かけがをして死んだと思っているだろう。お前が死んだと思って安心して居る」とじょうだんを云いました。

(牢屋をこわして逃げようと思う事 より)

 

冗談だとわかっているし、いじめられているのもわかっていて、このあと精神病院を逃げ出します。

反抗せずに逃走一択。そこに一貫性を感じました。

 

 

独特の文章

情景描写と心情描写が一文の中に詰まっていて、句読点がおかしな状態で行ったり来たりします。

はじめは読みにくいのだけど、流していくうちに慣れてくる。

アルジャーノンに花束を』の序盤を思い出しました。

 

ずっと別の浮浪者(この時代はルンペンと言う)の話かと思っていると、文末まで読んだところで「自分のことだったんか・・・」となったり、誰かのもめ事の話かと思ったら本人が駅員さんから詰められている話だったりして、わかりやすさを求めず傾聴するように文章を読む練習になります。

普段のメールで「これは、誰のことを言っているの? あ、ご自身の話か」と思うような文章を書く人は結構多いもの。自分の過去の文章を読んでそう思うこともあります。

なので、驚かずに読む練習になりました。

 

 

人間はずるくて滑稽。戦争時代の景色

この放浪日記は戦争の時期を挟んでいて、兵役検査に受からないように頭の中で一生懸命シミュレーションをしています。戦争が終わってからは少しのびのび放浪気分を味わおうとしていて、周囲の人ものんびりしています。そこに、建前のない状態での市井の人の会話が見えました。

 

食べ物を乞うやりとりの中で山下さんが嘘を疑われ「教育勅語を云いなさい」「正座して言いなさい」と言われたりしていて、そんな空気だったんだ・・・と思う箇所がいくつもありました。

 

 

卑怯という感覚

『三ばいの罰金をとられた事』という、長く電車に乗ろうとしたことがバレる話があります。

住み込みの仕事をしている松戸から東京に住むお母さんの家に遊びに行こうと電車に乗るのですが、茨城方面へ一度出てから東京へ行こうとするので駅員さんに見つかります。

駅員さんとのやりとりと内省が綴られていた末尾の一文が、妙に印象に残りました。

僕は、土浦から新宿迄切符を買ってゆくので、僕は卑怯な考えをしたので、此んな罰金をとられたので、今度から乗り物に乗る時、正直にしようと思いました。

(昭和十九年二月・二十二歳)

 

卑怯な事をした、ではなく、卑怯な考えをしたと書かれています。

ここはなんとなく書かされている反省文という感じがしました。

 

外の人から見てもそうだったようで、『坊主頭はあやしいぞ』という文章の中に、こんなくだりがありました。

米沢駅で巡査から職務質問を受け、所持金の多さを疑われるやりとりのなかで、こんなふうに言われています。

「どうもあやしいな。それだけしゃべれりゃ頭が悪かないよ。頭の悪い人は、そんなにしゃべりゃしないよ。お前は自分で頭が悪いといって、馬鹿なふりをしているんじゃないのか」

こういうニュアンスがいちいち鮮明に記録されていて、まるで録音してきたかのようです。

 

 

東京から千葉、茨城、群馬、埼玉へ

どこに居てもとにかく自分の居心地が悪い、そんな印象。

お母さんのところへ戻る際も、お母さんが恋しくて戻っている感じではなく、「とにかくここに長く居る気はないんだ」と思いながら行動しているように見えます。

 

情緒的な「気持ちよさ」の表現も少なく、ときどき景色がきれいと記録されるくらいで、食事も味への感想もありません。満たされたかどうかだけ。

まるで「他人からむすびをもらって飢えをしのげたら勝ち」というゲームをしながら生きているみたい。

ドラマでキャラクター化された部分で「おむすび」がキーになっているように、確かに「むすび」がよく出てきます。

 

 

感情について考えるきっかけになった

読み慣れていくと、他人に合わせるためにこしらえる感情や正直さについて考えるきっかけになりました。

理由はあるのかないのか自分ではわからないけど、逃げ出したい。圧倒的な逃亡衝動はあるのだけど、説明を求められても困るし、どうしたいのか聞かれても困る。

後付けの理由を探さないで生きると、きっと山下清さんのようになる。

 

責任能力」という言葉をよくニュースで耳にするけれど、この本を読んで初めてその意味が身体的に腑に落ちました。

精神医療や心理学の本を読むよりも体感的に伝わってくる何かがありました。

 




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