年長世代の友人が、ちらほら定年の話をするようになっています。
50代のうちに定年のない働き方にシフトチェンジしている人もいます。
職場の人が退職する花束贈呈の場面で、転職かと思いきや定年退職で驚くことも。
いまの60歳って、めちゃくちゃ若い。
昔テレビで見た石坂浩二さんのように実年齢に驚かされる*1、そんな若々しい一般人が少なくない時代になりました。
一方で、お子さんの進路について気を揉む親(10代20代の娘をもつ友人)から相談されることがちらほら出てきました。
「ずっと働いている人に本当のところを聞きたい」
そういう感覚的な思いがわいた時に、気楽に話しやすい存在でいようと思っています。
「独り身の友人にこんなこと聞いちゃまずいかも」なんて思わなくていいよーって感じで、友人の配偶者と三人で、自分たちの頃の進路の悩み・社会環境と現代の子育ての変化について話しています。
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さて。今日はリアルな中年自身の進路の話です。
わたしの周囲では、定年延長制度があっても同じ職場に残る選択をしない意向の人のほうが少し優勢かな。話した人の数はまだ少ないのだけど。
100歳まで生きるとしたらまだ40年あるし身体も動くから、別の世界を見てみることにするか~、という人もいれば、「ファイアーしたい」と言う人もいます。
60歳のファイアーは普通に定年退職&隠居ってことじゃないの? と思うのだけど、現代は仕事関連のカタカナ用語が多様化しています。
わたし個人は「暇すぎると脳がナマる」と身体経験上思っているので、年齢に関係なく、身体が動かせなくなる3ヶ月前までなにか仕事をしていたら幸せじゃないかと思っています。
一方で、条件が複雑化することでマインドが混乱することも体感しているので、「40歳定年説」を自分なりに意識して、30代終盤の頃に10年以上働いていた会社を辞めました。
「キャリアを捨てるなんてもったいない」と言う人がいたけれど、べつに捨てたという感じでもなく、その後もずっと同じ業界内で「指名なきスタッフ(名刺を作られない)」として仕事をし、この「用務員のおばさんスタイル」が性に合っています。
経験を生かして上から意見を言う立場じゃなく、呼ばれたら道具を持って出かけていって手足を動かし、見解を求められたら日々の記憶と観察の範囲で発言する。
そのほうが性に合っています。
このおばさんには肩書きがありません。
なので、華々しい転職には何のひっかかり材料もありません。
盛らなければ完全にモブキャラです。
これは乗り物の運転と似ています。
地図と歴史を他人に語る能力はないけれど、運転用の日々の運動感覚はある。
「明日からハンドルを握れそうな人」「近いところからなら、とりあえず運転を始められそうな人」です。
この「ずっと運転してきた」の中に、現代ではコミュニケーション能力が暗に含まれていて、面談で確認・試されているのはこの部分じゃないかと思っています。
これくらいで「キャリア」と見なされないと、厳しすぎない?
わたしは世間をそう捉えています。
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それなりに無理をしてきた経験があっての、いまの考えです。
自分に合う働き方って、意識して探して決めないと定まりません。
いろんな場面で起こる反応・性格を観察しながら、毎年ちょっとずつ微調整してきました。
40歳くらいで寿命が尽きて、親族に恩返しの財産を残してサヨウナラ。任務完了! という人生なら真ん中の太い道でアクセルを踏む運転でいいのかもしれないけれど、身体は意外と長持ちする。
わたしの場合はどこかで小さい単位に仕切りなおさないと、社会の中に居続けることが苦痛になりそうだな・・・、と考えるタイミングがありました。
経験はひとりでは積むことができないものだから、その環境の「単位」みたいなものを自分の性格に合わせて再配置していくって、大切なことだと思います。
こういうことも知性(生きる技術)だと思っています。

夏休みに行った美術館の入り口ですれ違った人たち。
みんなどうやって歳取って今に至ってるんだろ。
見知らぬ人に聞いてみたくなることって、なあい?