先に2つ『にんげんのおへそ』『コットンが好き』というエッセイを読んで、名著と評判の良い『わたしの渡世日記』を読んでみたくなりました。
高峰さんの半生記です。
50代になってから振り返って書かれているので、少女時代までのエピソードには「あのときはまだ周囲の人の状況や心情がわかっていなかったけれど、こういうことだったと今ではわかる」という要素が含まれています。
5歳~25歳くらいまでは、子役から少女役、国民的女優となって来る球を打ち返し続ける働き方とその内情が綴られています。戦時中・戦後あたりからは労働闘争もあったりして、ギロリとした感じになってきます。
戦前・戦中・戦後の社会史を同時に伝えてくれる本で、読みながら何度か淡谷のり子さんの自伝を思い出したのは、時代が近いからでしょう。
二人とも戦時中に軍人さんたちのアイドルとして存在していた人だけど、高峰さんには淡谷さんの葛藤と違った視点があり、淡谷さんの場合は「煌びやかであることが励ましなるのに、モンペなんか着て歌うんじゃ意味がないのだ!」という使命感が書かれていたのに対し、高峰さんの場合はさらにその矢印を自分個人に向け、「次の時代が来れば次の時代の気分になっている、ゲンキンな自分」についても言及されています。
上下巻の中で、トピックとして印象に残ったのは以下の話でした。
- 5歳から仕事をして親族9人を養う子役の生活
- 養母の境遇と、その気性を培った社会と家族観
- 実父と養母との関係。養子として分散した兄弟の話
- 仕事で通学できず退学した無学コンプレックスと、耳学問で学んだ社会
- 退学した学校の上級生クラスの教師が与謝野晶子だった、文化学院の話
- 親しみの時点でスキャンダル扱いされた黒澤明監督との話
- 少女時代から可愛がってくれた田中絹代さんとの交流
- 床山(ヘアメイクさん)との交流を通じた映画製作の話
- 映画ポスター描きバイトをしていた頃から既知の市川崑監督が高峰邸に下宿していた話
- 戦争前、戦時中、戦後の映画界、エンタメの歴史。特攻隊からの手紙やアイドルの役割
- 終戦後の闘争と映画界の組合活動の話。「十人の旗の会」、東宝から新東宝へ
- 芸能人とメディアの関係。不当な扱いとバッシング事情。田中絹代さんへの仕打ちの話
- 25歳ごろから新たに培われた知性の根性。その頃から真剣になりだした話
- 谷崎潤一郎、小津安二郎、梅原龍三郎ほか作家、画家、芸術家との交流
- 天皇や政治家と同席する仕事、国民的スターとしてのアイコン的な仕事の話
- 日本を脱出してパリへ逃げ出して暮らした日々のこと
- 林芙美子原作作品への取り組みとスタンス、成瀬巳喜男監督・森雅之さんとのエピソード
- 松山善三さんとの出会いと結婚とそこからの人生。キューピット役の木下恵介監督の話
親族関係が壮絶
巻末の解説が沢木耕太郎さんで、このように書かれていました。
娘に執着し、金に執着した養母が存在したからこそ、『わたしの渡世日記』における「渡世」が存在した。結婚してからは「生活」、それも極めて波乱の少ない「生活」があるだけになった。
高峰さんは4歳の時に実母が病気で亡くなり、実父の妹・志げ(叔母)さんに育てられ、その人のことを母と書いたり養母と書いたりしています。
志げさんは元活弁士で、ご自身も幼い頃に養女に出され、そしてまだ子供のうちに実家に出戻り、実家に居場所がない経験をされています。そこから抜け出したくて半ば無理やり結婚したものの子供ができず、高峰秀子さんを兄に懇願して養女としてもらっています。
高峰さんから見て、被害者意識と闘志で生きてきた人。
その気持ちが74歳の現在になっても少しも衰えていないと書かれていました。
その養母の志げさんと実父は兄妹なのですが、実父と直接やり取りすることはタブーで、高峰さんは実父の好意を無視し続けたそうです。
世の中には、好きでも嫌いでもないが、なんとなく胸につかえる「きになる人」がある。父はわたしにとって、そんな人であった。
(上巻「旅のはじまり」より)
お父さんとは、こんな感じ。
他の兄弟も養子に出されており、なかなか壮絶です。上海で麻薬の密売まで初めてしまう満州ゴロとなった兄が、妹の高峰さんに包丁を突きつけ「金を出せ」とくる。
穏やかではない関係です。
上巻の「兄は馬賊だった」という章にこのように書かれていました。
老後の兄の唯一の逃げ場は、上海時代に楽しんだという最高級の阿片ではなく、手当たり次第にあおる安酒でしかなかった。
昭和五十年一月のある夜。五十八歳の兄は自宅の風呂桶の中に沈んでいた。死因はアルコール中毒の上の心臓麻痺であった。
上下巻を読むと高峰さんの書くエネルギー源は親族への恨みで、その反動で外部への観察眼が発展していることがよくわかります。
敗戦前後のこと
高峰さんは子役の頃からスターで、ご本人が書いている文章のすばらしいところは、読み手に対して不自然な擦り寄り方をしてこないところ。
スターの立場から見た軍隊の様子を報じています。
ここは本当に名文と思ったので、長いのですが引用します。
正直言って、庶民といわれた一般の人々の生活に比べれば、私の生活は天国のようなものだったと思う。もちろん、女優だからといって特配があったわけではない。人に頼んで買い出しにも行ってもらったし、人並みにウドン粉団子入りのスイトンを吸ったことがないでもない。けれども、母と私、二人の女中、あわせて四人は栄養失調どころか、ツヤツヤとした肌で、一日として空腹におびえたり、明日の米や塩を心配したことはなかった。それは一にも二にも軍隊の慰問のおかげだった。
慰問団に参加することは辛いこともあったが、その代わりに大きな楽しみが待っていた。それは、私たち慰問団のために必ずお礼の会食が用意され、昼食か夕食をご馳走になれるというさもしい楽しみだった。陸軍は日本食、海軍は洋食、と決まっていることを知ったのもこのころである。
陸軍の食堂のテーブルにはテーブルクロスの代わりに、なぜか軍隊のカーキ色の毛布が敷かれていた。食卓に敷くからには洗濯した毛布であったろうが、私には、兵隊さんの汗や脂がしみこんでいるように思えて、このサービスだけはいただけなかった。食器は白い陶器の丼と、味気ない金属の皿やボウルだった。が、丼には、世間の人が見ることもできないような小豆の入った赤飯や、ピカピカ光る白米のご飯が山盛りにされ、お菜は鯛の尾頭つきや刺し身、野菜の煮物、酢のもの、香のもの、味噌汁か吸い物がついていた。いくら頑張っても女一人で食べられる量ではなかった。
私は食べ残すたびに、今日も庭に作った家庭菜園の雑草をせっせと取っているだろう、母の顔を思い出した。母と私の間には、相変わらず口には出さない冷たい戦争が続き、母娘二人になると気づまりを感じるほどになっていたが、美味しいものを見たり食べたりするときだけは例外で、いつも私は「母さんにも食べさせたいな」と、心の底から思うのだ。いったいこの感情はどこから来るのか分からない。
「だから母娘なんだ」「それが母娘というものだ」と、他人は言うかもしれないけれど、そういうこととはちょっと違うように私には思える。生さぬ仲とか、通じ合わない仲とか、そんなこととは別に、長い間共に寝起きして、同じものを食べてきたという、単純な動物的習慣がその理由なのか、それとも「食べもの」と言う、ごく分かりやすいことぐらいしか母との間に接点がない、ということを私が無意識のうちに会得していたから、なのだろうか? 私にはどうやら後者のように思える。
量は十分だがなんとなく冴えない雰囲気の陸軍の食卓に比べて、海軍のそれの、なんとカッコよかったことか……。
まず、テーブルクロスはパリッと糊のきいた純白のリネンである。目の前に高脚のワイングラスと水のコップ、両わきにズラズラと並んだスプーンやナイフやフォークは、
(以後略:詳細なテーブルのアイテムの記述が続く)
上巻の最後の章「同期の桜」より。
(本文は “分かりやすい” の箇所に強調点が打たれています)
上巻がこのトピックで終わるので、絶対に下巻も読みたくなります。そしてこの文章の中の、情報量たるや。
戦時中の庶民の食事、国民的女優である自分の立場、気持ち悪さ、昔は一緒に貧乏をしていたのに金の亡者になってしまったステージママ養母との関係、外国の文化に感化されまくっている自分。
客観的に淡々と連ねていく文章の中に、いろんな立場の人の、その時代の空気が織り込まれています。
国民的女優の半世紀というよりも、ジャーナリズムに近い印象を受けました。