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Instagram がつまらなくなってからのこと

GWに学生時代の友人、インドで知り合った友人に会いに出かけてきました。

それぞれ昨年くらいまでは  Instagram で直感的にゆるく近況報告しあえていた感覚があったけれど、現在は会う前にその人のアカウントをそれぞれ見に行って確認しないと近況がわからなくなっています。

広告的な情報に友人知人の情報が埋没するようになり、投稿しない人が増え、わたしも投稿しなくなりつつあります。

 

 

そんな変化もあってか、今回は久しぶりに会って話したり一緒に行動した感覚が、より空間的に感じられました。「こんな感じで暮らしてるよ」「こんなお出かけをしてるよ」という日常に参加させてもらって、いろんな瞬間の気持ちを共有しました。

 

 

広告ベースになると直感的に楽しめなくなる

結局こうなる経験を繰り返しています。

20年くらい前に感じた「楽天市場が巻物のように長いページで通販番組の紙芝居版みたいになる現象」と同じようなことがSNSでも繰り返されています。

それでも会えれば良いけれど、会えない人のことはわからなくなっていきます。

 

 

そもそも昔は交流が公開されていなかった

先週、学生時代の友人からわたしが20歳のときの写真を数枚もらいました。

もちろん紙焼きプリントです。そして、残念なくらい無加工。ナマナマしくて見られたもんじゃありません w

 

それをきっかけに当時のお互いの性格の話になりました。

友人は年齢を重ねて保守的になった自身の性格をあらためて感じているようで、「黒歴史だねぇ」とニヤけるしかないトピックを手榴弾のように投げては一緒に自爆の火の粉を浴び、小さく「ぎゃー」と言ったりして。

わたしたちが学生の頃はまだガラケーすらない時代でした。30年が過ぎてこうしてふわっと語り合うのは「投稿しようがなかった思い出」ばかりです。

SNSのある時代ならその痛さを塗り替えて何らかの脚色をして残していたはずで、そしてそれを振り返ったら「この脚色のしかたが痛い」ということになる。それも含めて人生はエゴの歴史だなと。

 

 

物質はきっかけ

昔の人はめりめり音のするアルバムを開いて思い出話をしていました。

今はデジタルだから気軽に残す時代だけど、たぶんそれも見なくなる。

だけど話のきっかけにはなる。大切なのはきっかけなんだよね。

きっかけとして物質がある。

 

群れないとか無執着とかそういうポリシーの人って結構いるし、自分自身にもそういうところがあるけれど、「そのとき一緒に何かを思ったことを少しでも残しておく」という行為は、未来のきっかけや種まきになる。

「それも含めて、人生はエゴの歴史だ」と振り返るこの気持ちはなんとも言葉にしようがないもので、おばさんにならなければわからなかったことでした。

 

 

  *   *   *

 

 

あの頃の痛い自分も、いま現在の痛い自分も、未来の自分の材料になっている。

当たり前のことなんだけど、それはひとりよりも誰かと一緒のほうが振り返りやすいものです。ひとりだとキツすぎる。「それでもあなた、頑張ってたよ」と言ってくれる人がいるからできる。少しも後悔していることがない人なんて信用できないもんね。

 

 

全くインスタ映えしないけれど、心の中で映えている景色です。




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