先日、これまでの人生・これからの人生の中間地点でインパクトのある出来事を乗り越えたばかりの人と話す機会がありました。旅先で知り合った年齢の近い人たちで、それぞれがひとりで生活をしています。この三人で会って話すのは5年ぶり。
わたし以外の友人たちは直近で事故や手術をきっかけに自身の短い今後を想像する経験をしていて、わたしはわたしでライフデザインを考え直すきっかけがあって、それぞれのしんどさを話しました。
この危機はディザスターでもデンジャーでもない。
やっぱりクライシスなんだよね。それも、内面からの。
この感覚について「同じ危機でも、それぞれが感じてきたのは、3つの苦しみでいうところの内面由来のものだね」と話しました。
3つの苦しみというのは、ヨガでシャーンティと3回唱える、あの3つです(参考)。
- 天災、災害:ディザスター
- 外部との接触トラブル、事故:デンジャー
- 内部の価値観の崩壊:クライシス
災害や事故は外部からくるけど、クライシスは内部からくる。
これまで3つの苦しみのうち、内面から起こるものでは自分で自分を責めるとか反芻するとか事実ではない妄想に呑まれるとか、内面の中でもわりと表層のものだったけど、その日に話したことは、そういう理性をおびたものとも違う。社会生活と並行して起こっている、さらに深部のもの。
「外側からじゃなくて内側からだから “クライシス” なんだよ。内側から崩壊するの」と友人が言葉にしてくれました。
思春期と違うのは、かわいそうな人になったり被害者ポジションに逃げようとしない意志を持ってからの、そこで年月を重ねた上でのクライシスってとこなんだ。そう実感しました。
その人がわたしに向けて言ってくれた「いったん更地になった感じなんだよね」というフレーズをきっかけに、種まきすらできていないと感じる状態はしんどいけれど、更地に均す(ならす)作業も必要なプロセスだという視点を得ました。
そのやり方は自分で見つけていかなければなりません。いまも試行錯誤の連続です。そして内面で考えすぎないようにしなくちゃね、というのもまた真理。
人生はすべてが新しい経験。
そういうことなんだよね。
・・・ということを指差し確認しました。
年齢を重ねていくには、わたしには仲間が必要です。