肉と臭いと息と咀嚼音が迫ってくる。怖すぎる。
映像も音もないのに、圧倒的なゴジラ感がある。
ゴジラは都市を破壊して歴史や文化や財産を奪っていったけれど、あれはフィクション。羆は自然から生まれてる。この小説は1915年に実際に起きた事件が元になっているそうで、ゴジラどころの騒ぎじゃないのでした。
人間の財産って結局は肉体だけなんだ・・・というところまで読み手の精神が追い込まれるこの感じは、”想像上の精神” だけが追い込まれるフィクションとは大いに違う。
大正時代に北海道へ入植した村人たちの、土地に対する愛着を持ちようにもまだそこに伝統の支えがない発展途上の郷土マインドもわたしにとってはリアルで、その悔しさや後悔が自分ごとのように感じられます。
例えるなら、人生のハンドルの切り替えを期待して入った転職の新天地で、少しはここに馴染めただろうかと思った矢先にリストラに遭う感じ。
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2023年頃からでしょうか。群馬や長野の山へハイキングに出かけると、「こんなに町に近い場所の散策でもそんなに注意喚起されるの?」と思うくらい、よく熊への注意喚起を受けました。
山歩きに馴れた母いわく、どんぐりが不作だとストックが足りなくて危険とのこと。
そんな、どんぐりと人肉を同等に扱うほど情状酌量の余地がないロジックを携えた生き物と同種の存在をリラックマとか言ってていいのだろうか。森の中で出会って一緒に歌おうなどとは微塵も考えられないと思っていました。
そんなもんじゃねえ!!!
それにしても、この小説は恐ろしすぎます。
人間の希望も団結も一瞬で粉々にする威力を持つ怪物に対峙する過程で、いろんな不整合が起こります。文明の力である銃を行使しようにも、練習を怠れば意味はない。
物語の中にあるいくつかの決断のうち「仁義よりも生贄」という思考、囮(おとり)として死者を扱うことが採用される瞬間の英断、その集団的葛藤。どうするリーダー。
相手は自然。ここでは集団的自衛権が通用しません。
人の数を知恵の数として機能させることができない、準備の足りていない急仕上げの組織で次々と起こる不合理のなかで、警察がその立場に忠実に役割を遂行しようとする際の「公式の手段」「公的な解決」が役に立たない様子の描かれ方が巧みです。
成功と安全の再現性を高めるためにコンプライアンスは有用だけど、そもそも成功していない窮地のフェーズではそれが足手まといになる。
そこでプライドを捨て私財を投げ打ち、恥をかきながら落とし所を探し続けて役割を果たそうとする区長(事実上の主人公)が人間と自然の間で葛藤するなかに、ちょっとドラマが織り込まれていて、この男たちのドラマに引き込まれてしまいます。
生き物の生態と向き合うこと “強い男” に惹かれずにいられない区長の心理描写は絶品で、一度人間の女体の味を知ってしまったらその味と匂いを求めて湯たんぽまで齧らずにいられない羆の本能と同じくらい、強く記憶に刻まれます。
なにこれ、宝塚なの?
頼もしい男にすがりつきたい気持ちが、男性にも本能としてあるんだよね。
熊を撃つ人の立ち姿の、その角度の美しさ。読み手を圧倒的な「生への憧れ」の境地へ連れて行くこの描写にうっとりしながら、ところで自分は何の本を読んでいたのだっけ? という気持ちになりました。
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わたしはここからさらに続く現実にも悶絶しました。
人間を信用しない熊撃ちの心情が描かれているのが、すごくいい。
その人が村社会で居場所をうまく保てないほど凶暴化した様子は、身体が大きすぎて冬眠できる穴を見つけられなかった「穴持たず」の羆と重なって見えます。
わたしは途中まで頭の片隅で「みんなこの一頭しかいないと思ってるの? 今後のことはどうするつもり?」と思っていたのだけど、スーパーヒーローの登場を待たなくてもその時にはその時の秩序を人間は生み出すのだろう。という気持ちになりました。
必要悪 V.S. 必要悪 みたいな諍いがこの世に溢れてる。
あとにも先にも心配しか残っていないからこそ、自分の立場でできることを考えて生きていくしかない。そのことをいろんな角度から見せてくれる話でした。
