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気づいたこと、気づかないままのこと 古賀及子 著

ねえねえ、すごい人を見つけちゃったのと、これってわたしのあの時のアレと同じよと、その黒歴史を知る友人にいますぐメッセージを送りたくなる。電話をかけたい。

このエッセイ集を読みながら解凍された記憶を、反省を、今すぐ誰かに聞いてもらいたい。

 

 

おばさんになると、学生時代からの友人との再会の縁に恵まれることがたまにあります。そんな貴重な機会に分別くさい大人のふりをしたらすべてが台無しになってしまうから、鎧をちゃんと脱いでおかなくちゃ。

こんなふうに、密かにワクワクする日の前にこのエッセイを読み返したい。

 

 

    *   *   *

 

 

この本を読みながら、忘れていたことをたくさん思い出しました。

30代前半の頃、ニンニク注射を漠然と心の拠りどころにしていたことを思い出しました。

いざとなったらあれをすれば超人ハルクのようにパワーアップできるはずだ、いざとなったらあれを打つのだと、心にかける保険のように名前だけ記憶していたニンニク注射。清原も打っているという噂(当時)のニンニク注射。

だけど絶対に打ちたくないとも同時に思っていて、その名前の滑稽さだけで漠然と見下してもいたニンニク注射。

こんな注射だとは知りませんでした。

 

ニンニク注射専任の看護師さんがいて、腕に刺された注射針からぐっぐっぐと注入が終わるとしばらくして、口のなかがニンニクくさくなる。

(のどのたこ取り より)

 

こんなマンガみたいなことってある?! 

そしてページをめくったあとに、わたしは泣いていました。さっきまで全然違う気分だったのに。

 

 

この話は、著者が声帯の不調を治したくてあれこれやったなかで、ニンニク注射も打ったよ~という話で、途中まで “これは展開によってはスピリチュアルな方向へ行くか?! “ という不安と期待が押し寄せます。医療の珍エピソードには、そういうのが付きもの。

 

だけどそっちへ行かない。

これさえやれば日々が急激に輝くと願う気持ちの奥に大した事情がない。ないの。そこがせつなくい!

ここでわたしの記憶のどこかが悲鳴をあげ、土手が決壊しました。

大した事情はないけれど、なにかにすがりたくなるときの感じって、まさにこんな感じだよ。

 

 

  *   *   *

 

 

子供時代の話もキュンときます。著者もハルジオンが好きみたいです。あんなに可愛らしいのに雑草扱いなのが、わたしも嫌です。

ハルジオンが好きな著者が書いている以下の部分を読んで、うれしくなりました。

 

 私は、暮らしは便利でなくてもいいと思っているところがある。雑多で行き届かず、ちょっと変で意味の全部が分かりきらないくらいが楽だ。

(卵を割るのが下手になった より)

 

雑用で腕まくりをしたい気持ちの尊さが書かれたものに、わたしは救いを見つけます。

 

 

 

・・・と。

ここまでは、他人様に開陳しやすい感想でした。

このエッセイ集の中には、自分で嫌われるようなことをしておきながら、恋人は自分のことが好きだろう、嫌いたくないだろうと考える人の認知の歪みを内面から微細に描かれた作品がひとつあります。

そして、歪みを避けたらどうなるかという別の認知が、終盤にある別の物語で語られます。

 

 愛情だけじゃなく、友情もなかったからこうなったのかもしれない。

 (私たちは何でしょう より)

 

ちょっと待って。なにこれ。

この「なにこれ」は糾弾でも質問でもなく、見たことがあるけれど言葉にできない感情を指して言う「なにこれ」。

 

頭が優勢にも胸が優勢にもなれない不甲斐なさ。

あらゆることが、こういうことの連続で進んでいってしまう。

 




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