こういうことを綴っていたら、こういう人も寄って来るだろうという推測通りのことが展開されているのだけど、燃え殻さんのエッセイは文章が素敵だから読むのが楽しい。
Instagramにヨガのことを書くと、関連してヨガのことを呟いている人の Threads の一文が流れてくることがあります。リンクを辿っていくとそこは不幸マーケティングの玉手箱のような状態で、文章が素敵だったら心が温かくなったりするのだろうけど、恨み節やユーモアのない不平不満に出会います。
こうなってくると、プロのエッセイストのボヤきが読みたい。
それがたとえムーンウォークだとしても、僕たちは先に進んでいくしかない。
(すこし疲れた都会が好きだ より)
この本には日記も収録されていて、12月5日の日記はたった一行でした。
ほぼ企画の書かれていない企画書が届いた。
ごく当たり前の会話から誘発される寂しさも、燃え殻さんは上手に一行にします。
自分以外、みんなこの世に馴染んでいる感じがして、寂しい気持ちになることがままある。
(9月18日の日記より)
こういう話が、若い人に映画やお店を教えたら「DVD持ってます」「歓迎会そこでした」とあっさり返される連発の後にくるから、昔NHKでやってた『となりのシムラ』みたいでぐっときちゃう。
好きで聴いていたネットラジオ(夜のまたたび、という番組)について『どこを切り取ってもバズることはない内容だったが、「バズる」という現象につきまとう下品さもない番組になった。』と書かれていたのも良かったな。
わたしが日常でリアルで会って話す人との会話も、バズらないけど絶対的に本当で、わかりやすく伝えたら炎上することが多くなっています。そういう文脈の中でお互いの肩をもみほぐすような時間が増えているし、世間の監視が短絡的すぎる。
そういう毎日の中で、東京で決してバズらない場所で話す行為を友人が「東京のB面」と言うのだけど、わたしはそのフレーズが好きで「またB面で会って話そう」と言われるとうれしくなります。
燃え殻さんのエッセイは「A面で話したけどやっぱりどうでもよかったこと」と「B面だったけど覚えておきたいもの」が選び取られていて、ちゃんと怒りもあるところが好きです。