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なんでそんなに50代を意識するのですか?

今日のタイトルは、わたしがヨガの練習の帰り道で受けた質問です。

なので、意識しているのはわたし。あなたへの問いかけではありません。

 

わたしが受けた「なんでそんなに50代を意識するのですか?」という質問には、前段がありました。

その日のヨガクラスの前後の雑談で、ヨガの練習とは関係ない「師のように思う人物」について話したからでした。

 

その人はわたしが10代の終わり頃にテレビで見た上岡龍太郎さんで、考察と私情を同じ人間の中に共存するものとして融合させながら話す技術に魅了されました。

テレビのチャンネル数が少ない新潟県に住んでいた頃には知らなかった人で、学生時代に関西圏の番組が入るエリアに住んで、その存在を知りました。かっこいい大人を初めて見た気がしました。

 

 

そんなこんなで、今日はわたしが50代を注視するに至った理由を紹介します。

わたしは子どもの頃に一緒に生活した大人を見て、50代は心の持ち方が重要なんだろうな、と思ってきました。

 

 

 

昭和の時代から大人に「SNS的マインド」はあった

小学生の頃に、知人との年賀状のやり取りを心の拠り所にしている50代の人と数年間一緒に住んでいました。まだ55歳定年の企業が多かった時代。その人は早期退職をされたのでしょう。東京に近い地方都市から新潟県へ引っ越してこられました。

突然登場した家族だったので祖父という感覚は薄く、実際血は繋がっていなかったとをあとで知りました。

わたしはその人が持っている、ボヨヨーンとバネで開くアドレス帳のつまみをいつも触りたくてよく部屋に出入りし、書道も教わっていました。

髪型が西尾一男さん*1に似ていたので、あのコントを見るとふわっと思い出します。

その人は毎年数百枚の年賀状をやり取りし、折に触れ何度も読みかえしていました。あれはまさにFacebook。落ち着いて見える人でも、内実はそうだった。

その人は56歳の時に癌で他界されました。実年齢が追いついてきたなと思っています。

 

 

宗教問題が身近にあった

上記の人の奥さんも一緒に住んでいました。その人が、ある時から熱心な統一教会信者になりました。

家族の中で小学生のわたしだけが「壺に現れる予言」の話を聞いていました。

脚色して話すことが上手ではない様子から、その人になにか考えがあってわたしに洗脳をしているのではなく、ただ何かを言ってみたいだけのようでした。

不安は人を意地悪にするようで、意地悪なことも言われました。

なにかを言いたいけれども自分の表現ができないと、それは漠然とした形で小さい者にぶつけられる。

わたしがリアルで会える仲間の存在やフランクな雑談、頭の中の語彙を上質にしていくことにこだわるのは、理由としてこの経験が大きいです。実年齢が追いついてきたなと思っています。

この人との関係の切り離しには、わたしの親が苦労をしたようです。

 

 

昭和平成の明るい家族幻想

わたしが家を出てからは、団塊世代熟年離婚が多くなった時代。そういう選択をする人が増えたんですよね。我が家もそうでした。

問題の種はわたしが生まれる前からありました。

脳内をアルコールのような依存物質でごまかしながら和気藹々のファミリードラマを無理に演出した先には、現実としてそれなりの結果がありました。

身近でひとり暮らしをしている同世代の友人が、普通の家庭って一体どこにあるんだろうねぇと言っていました。本当にそう思います。

 

 

人間の習性

夏目漱石が書いていた「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」って、こういうことか。

人はやさしい人間であろうと自分自身を上手にしつけなければ、やさしい人間で居続けられないようにプログラムされているみたい。

 

これについて、いちいち自分の性質の善悪として直視していたら精神がもちません。

わたしの場合はヨガをするとよい人間に向かう方向へハンドルを切った感覚が起こるけれど、よい人間になろうと心の底から思うことへのアプローチは、より微細な層にあることを何度も思い知らされています。

 

 

ヨガの奥行き

人に「ヨガをしています」と言える表面上のもの(人に見せることのできるヨガ)は、朝顔が上に伸びるように添える棒のようなもので、土壌や水やりのほうは、人に知られない淡い形でしかできません。

 

先日読んだクリシュナムルティという人の講話本の中に、「創造的な不満」という話がありました。その本には、加齢とともに不満の精神を維持することが難しくなると述べられていました。解決策を考えるのが面倒だからそもそも不満がないことにする、という流れの中にいることは創造の放棄だと。

とても厳しいことばかり書いてある本で、わたしが漠然と思っていた「サットヴァぶりっ子の弊害」が説明されているように感じました。

 

  *   *   *

 

そんなこんなで、50代の話です。

40代後半までは30代までの延長(疲れた30 w)のような気持ちでいられる部分が少しはあったけれど、現在はフェーズが変わったことを認識し、小ボケや失敗は増えつつも引き締めていくべき時と感じています。

みなさんは年齢の重ね方について、どんなことを考えますか?

 

 

そろそろ桜も終わりね

*1:ピザ屋で働く中高年プロアルバイターの方です




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