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女の子たち風船爆弾をつくる 小林エリカ 著

戦時中にアメリカへ向けて1万発放球されたという秘密兵器「風船爆弾」について知りたくて読みました。

きっかけはお盆に出かけた茨城県大津港への旅行でした。

大津港駅から五浦美術館まで歩く途中に唐突に広場が出現して、近づいてみたらその爆弾の放球基地跡でした。

 

ここだけスコンと唐突に木がないので、「なぬ?」となります。

 

 

ここで「風船爆弾」という名前を初めて目にしました。

焼夷弾を乗せた気球を偏西風に乗せてアメリカへ着陸させるという、ローテクなのかハイテクなのかわからない話です。内容を読むと国家予算の10%という巨額の投資が行われた秘密兵器だったのだそう(戦艦「大和」「武蔵」でも3%台)。

最初は正直、なにかの集団妄想じゃないかと思うくらい、現実の話? と不気味に感じました。

今日はこれをきっかけに読んだ本の感想・紹介です。

 

 

書店で見つけた本「女の子たち風船爆弾をつくる」

旅の帰りに立ち寄った水戸駅直結のビル内書店の戦争特集コーナーに、ずば抜けてかわいらしい装丁の本がありました。

タイトルに「風船爆弾」とあり、「あの広場の?」と気になって開いてみたら、どうやら膨大な数の気球を作った少女たちの話みたい。本当にあったんだ・・・。と思いました。

 

実際に読んでみると、まさに “読書体験” 。

まるで近所のお金持ちのおばあさんたちの昔話をカメラ搭載のタイムマシーン映像で見聞きしているかのよう。

巻末に出典リストがあり、実話・ドキュメンタリーです。

表紙のピンクのスカートは少女歌劇団で、彼女たちに憧れていた、当時女学校へ行っていた人たちの視点で書かれていました。

 

 

秘密にしなければいけなかったから

学徒動員で招集された少女たちは、秘密兵器を作っているのだから他人に話してはいけないという掟を守っていました。

 

都内のいい女学校に入れるくらいのお嬢さんたちもいて、モンペを穿かされる前はホットケーキを食べたり宝ジェンヌの写真雑誌を読む生活をしています。

それがじわじわ雲行きが怪しくなって、ブラックな労働に駆り出され、敗戦後は強姦されるだろうという噂に怯える生活になります。

つい半年前まで『細雪』の映画のセットの中にいた女学生たちが『あゝ野麦峠』の世界に投げ込まれたようなギャップです。

 

 

ものすごい情報量だけど感覚的に入ってくる

当時の女性たちが感じていた負い目や使命感、不安が手に取るように伝わってきます。

わたしの母は、大日本婦人会の活動で忙しい。

わたしが母のかわりに、井戸水をタンクに組みあげる仕事をやるようになる。

わたしの母が、わたしの姉が、わたしが、近所の人から無視されている。

うちは女ばかりでひとりも出征させていないから。

(第二幕 昭和17年ー 出陣学徒壮行会 より)

 

わたしは、わたしたちの海軍士官の金糸で飾られた紺色の制服に、うっとり見惚れる。

わたしは、わたしたちの海軍に、わたしたちの海軍士官に、少年たちに、憧れる。

わたしは、友だちと写真集『海軍兵学校』を回覧して、はしゃいだこともあったかもしれない。

(第二幕 昭和17年ー 風船 より)

 

空襲警報のたびに慌てて木製の口紅を取り出しては紅を引いている女子挺身隊の女がいた。遺体になったとき、綺麗でない女は、後回しにされたり置き去りにされるという噂があったから。

(第二幕 昭和17年ー 進級 より)

 

 

有名人の固有名詞がないことでリアルに感じる

少女たちの情報認識レベルで書かれているところが半分くらいあって、女学校卒業の時のサイン帳を買ったお店の名前「ひまわり」は固有名詞で出てくるけれど、有名人の名前は出てきません。

 

東京都美術館(上野)で国民総力決戦美術展というのが開催された時の回想では、以下のように書かれていました。

 画家の男は、かつて少女たちがアメリカへ向かう船で乗り合わせた人物だった。前髪をぱつんと切りそろえたボブに洒落た黒縁の丸メガネ、少女たちの姿をクロッキーで描いてみせたあの男は、いま頭を丸刈りにして、線香をあげながら瀕死の男たちの絵を描きあげたのだった。

 その絵に向かって、跪き、賽銭を投げ、両手を合わせ、泣いている女がいた。

 靖国神社ではもうすぐまた、秋の臨時大祭が開かれる。

 わたしたちは、わたしたちのために死んだ、わたしたちの兵隊、英霊のために、また黙祷を捧げることになるだろう。

(第二幕 昭和17年ー イタリア無条件降伏 より)

 少女たちは、アッツ島玉砕を描いたあの画家の男が、フランス国籍を取得したことを、やがて、わたしたちの日本国籍を抹消することを知ったかもしれないし、知らなかったかもしれない。

(第三幕 昭和20年ー 虞美人 より)

ここでフジタと書いてしまったら、フジタの生きた時代の話になってしまいます。

だけどこの物語は風船爆弾の制作に駆り出された少女たちの話。少女にとっては「あの男」。

 

 

別の道を辿った人物は、以下のように描写されていました。

 わたしたちの戦争に協力したものたちが、ふたたびわたしたちのもとへ戻ってくる。

 少女たちは、公職追放になっていた男が、公職追放を解除され、ふたたび少女たちの東宝社長になったことを知る。

 少女たちは、かつて銀橋から捨て台詞を吐いた大政翼賛会宣伝部のあの男が、雑誌「美しい暮しの手帖」を創刊して、人気を集めていることを知る。

(第三幕 昭和20年ー 逆コース より)

固有名詞がないほうが今の時代は検索で調べて知ることになります。

いい仕掛けだなと思いました。

 

 

兵器製造作業と背景の話

女学生が動員された理由は、手先の柔らかい若い女学生が和紙の貼り合わせに適しているという理由だったそうで、気球が飛ばされたのは茨城や千葉でしたが、爆弾の製造は満州新京のほか、北は山形から南は大分まで、広い範囲で女学生が動員されていました。

九州の小倉で製造にあたっていた女学生の状況は、睡眠時間は三、四時間で、白い二粒の錠剤を飲まされていて、おそらく覚醒剤だったとのこと。

 

東京の麹町学園の女学生の回想には、こんなコメントも。

「休憩時間等に膨らんだ風船の中に入って遊ぶこともできた。」 

「風船の中でおかしを食べたりした。」

夢中で作業をする日々の中にある束の間の楽しさの証言がありました。

ここに光を当てると一瞬許されるような感じがする感覚って、なんなんだろう。わたしはこの戦争を経験していないけれど、別の戦争のようなものを推進してきた気がするのは、どうしてだろう。

 

 

過去に触れた物語の印象が線で繋がる

本を読み進めていく中で何度も、「あ、これは何かで読んだ話だ」というものがありました。

わたしたちに捕らえられた朝鮮人は、中国人は、モンゴル人は、アメリカ人は、ロシア人は、丸太という名前で呼ばれながら、わたしたちの兵隊に、軍医に、生きたまま解剖されていた。

(第二幕 昭和17年ー 新京、ハルビン、牡丹江 より)

上記の部分で『海と毒薬』(遠藤周作)を思い出しました。

恵まれた立場の視点で書かれた高峰秀子さんの自伝『わたしの渡世日記』にある戦争時代の話と重なる話も多くありました。

 

  *   *   *

 

戦争時代の話って、経験していないことに対して強い同情と反省を促されることを子供時代から何度も強いられて、おまけにいきなり刺激が強すぎる。

自分の心を守るために情報を拒絶する仕組みが、自分中にいつの間にかできあがっています。

── このことに気づくまでに、わたしはずいぶん時間がかかりました。

この本がいろんな感情を繋いでくれました。

 

わたしも同じ日に少女だったら、何をやっているのかわからなくても国のお荷物になることが辛くて作業に燃えただろうし、軍服を着た人と目があって「うわなんかヤバそう」と思ったら自分が男の子に見えるように丸坊主にしたんじゃないだろうか。

この本は、読みながら「わたしは、こうしたかもしれない」がいっぱい浮かんで、それでいいんだと思えました。

 

経験していないことに対して感覚的に漠然と強い罪悪感を抱かせない仕掛けや伝え方ってあるし、それこそ人間の創意工夫の活かしどころじゃないか。

そういう意味で、この本は仕掛けがいい。

装丁だけでなく構成も含めてそう感じました。




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