強烈でした。この読みやすさで、この短かさで、ものすごい。
文章が静かであおってこないのに、倍速で再生するように、走るように読んでしまいました。
地名と食べ物の名前が韓国なだけで、完全に気持ちは日本と変わらない。
家庭内娼婦業の苦しみの場面で従軍慰安婦という文字列がしっくりくる。
それを要求せずにいられない人が感じている閉塞感の描き方もまた秀逸で、ふわっと立ち上がる激情のリアルなこと!
髪が薄くなり、ところどころ頭皮が見えているのが気になって、野球帽をかぶった。長くこらえていた叫びのようなものが咳のようにはじき出そうだった。
(「蒙古斑」より)
この小説には、ふとした瞬間に立ち上がる気持ちがいくつも書かれていて、多くが日常の屈辱感や罪悪感に結びついていました。
子育てをしているお母さんが他人の柔らかい髪に触れて、その瞬間に、自分の子どもの小さな指が眉毛をかすめたような気がして呆然としたりする。
子どもを捨ててどこかへ行きたいと思った瞬間がゼロではない自分を認める瞬間の身体感覚を、読者に感じさせる。ものすごい文章です。
この本全体に対する感想は、末尾で翻訳の方が書かれていたこのフレーズに尽きるので、そのまま乗っかります。
「私」は家族の中で形成され、その家族によって「私」であることを妨害される。
より弱い子どもが登場したことで頼れる姉になってしまった人の性格を「誠実の慣性」と表現されているところがあって、他の場所では「拒否できない責任感」とも書かれていて、環境によって作られる人格にいろんな角度から仄かな光が当てられています。
この本を先に読んだ友人と話した
あまりにも強烈だったので、この本を先に読んだ友人に話を聞いてもらいました。
彼女は韓国語で読んでいました。
わたしが「主人公の義理の兄が、いちばん想像しやすい。身近にいると感じる人だった」と話したら、彼女はその人物の職場の後輩(J)の立場が自分自身と近く感じると言っていました。
わたしはJの以下のセリフがとても印象に残っています。
「もう限界です。勘弁してください。これ以上、醜悪になる前にやめましょう」
これが言えたJはエライ! と思う場面なのだけど、「こんなこと言わせるな」という展開を生み出すアート界のノリに既視感があり、「ああいうの、あるよね・・・」と一緒にその気持ち悪さを分かち合いました。
菜食主義を選んでも、植物はウェルカムしてくれない
この話はインド的なベジタリアンの発想の話? と思って読んでいたのですが、だんだん、それを超えるすごい話になってきました。
そんなところまで書くのか・・・と、驚いているうちに時間軸が進んでいく。
わたしが植物に心を寄せても、
植物はわたしを受け容れない。
これはなかなか強烈な現実です。
女は三界に家なし。自然界にも家なし。
ジブリ的なものをぶった斬る、完全に大人向け。甘さゼロ。
なのにやさしい。
小説の中で実際に「宮崎駿のアニメのように」というセリフがあって、その比喩の登場のしかたが的確で唸りました。
* * *
アジア人女性で初のノーベル文学賞受賞作家の代表作、というので気になって読みました。この『菜食主義者』は2007年に書かれた作品なのだそう。
アメリカでエリザベス・ギルバートが『食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書』を出版しヒットさせたのとほぼ同じ頃に、韓国ではこのような小説が発表されていたんですね。
時間を経た後の価値の感じ方を知ることができたのは、自分も時代を乗り越えてみたからなんですよね。生きてみるもんです。
