美しく粋な文章にするという技巧を使って、生活の上では無視したほうが健康的な感情をわざわざ拾い上げ、文字化して構成する。その成果物が名作として研究され続けていく。
それが小説や文学なのだとしたら、こりゃなかなか業の深い専門職です。
読み終えたあとに気持ちを数日置いたら、いろんな感情記憶の引き出しをどんどん開けていく小説ならではの反応や、読む苦しみの理由が見えてきました。
この小説はたくさん翻訳が出ています。
わたしはこの本を読みました。
爆笑が一回
この物語は「あの女はいまも本当は自分のことを好きで忘れられないに違いない」と思っている男性と、”いつまでも若い頃に振った男をコントロールできる” と信じて疑わない女性の話です。
この二人のやりとりに挙動としてオチがつくシーンが一度だけあって、たぶん多くの人がそこで笑います。
そこには手紙が関わっているのだけど、「匂わせ」をマナーに乗せて全力で行う女性と、その「匂わせ」を期待を込めて受け取る男性の姿があります。
そんな展開に至る人たちの話なので、序盤はどんな恋バナかと引き込まれます。
この「感情は山積みだけどそれは抑制して上品に振る舞う」が、イギリスの上流対人マナーみたい。
その蓋をじわじわ開けて見せてくる。そんな展開でした。
だんだん笑えなくなってくる
これを繰り広げているのが、『桐島、部活やめるってよ』という年頃のティーンではなく50代であることを知るあたりから、少し怖くなってきます。
だけどみんな一様に、上品に振舞っている。
この小説は年齢の重ね方について考える過程で、かなりどぎつい内面を示してきます。
そういう面で、格言だらけでした。
幼稚な中年それぞれが経験哲学を持っている
かなり長いページ数を、この人たち幼稚すぎないか・・・と思って読むことになるのだけど、後半に入ると、その間に第一次世界大戦やスペイン風邪の流行など、並の精神状態じゃやっていられない出来事をほとんどの人が乗り越えてきたことがわかります。
若い人の中にも軍隊の経験が大きな傷になった人がいたり、植民地のインドから戻ったばかりの人がいたり。
世間や人生や身近な他人の在りようをジャッジしては悪態をつく。
PTSDや差別感情、階級意識といった精神の複雑な要件が無数に織り込まれ、そうでもしなければやっていられない階級社会の精神の様子が描かれていました。
幼稚じゃなければやっていられない、そんな人生の後半に光を当てたという点で、これはものすごい小説と思いました。
男性に頼って生きるパリピ女性への視点が描かれる
この物語では、見た目や所作を磨いて男性に頼って生きる女性と、信仰や教養を拠り所にしながら容姿にコンプレックスのある女性の対立がわかりやすく描かれる場面があります。
こういうベタなキャット・ファイトを中盤に置くあたりに、読み継がれる本の大衆性を感じます。
こういう「地味だけど安定してバズるコンテンツ」が、カタログをめくるように繰り出されていました。
キラキラ女子の「キラキラ」は「俗物」と表現されていました。
再読に誘う迷路づくりがすごい
この小説は文字を目で追う感覚が、まるで広告も告知もない twitter の流れのようでした。
自己保身や他人をジャッジする思考を延々発信する人が次々登場し、言葉が流れていく。
脳内つぶやきのほうがベースで、そこに実際の会話のやり取り、部屋の中の調度品や暮らしぶり、街で起こる出来事、召使いや料理人の仕事の様子が入ってきます。
頭の中のほうがデフォルトです。
周囲の人の脳内可処分時間を全部わたしのものにしたい! と渇望している人が書いた文章という感じがして、ヴァージニア・ウルフの思考自体がまるでSNSの仕組みのようでした。
ひとりで読んだら病みそう
この小説はほかの人の提案に乗るかたちで、期限が決まった状態で読みました。
そうでもなければ自分では選ばないし、強制の力がないと読めませんでした。
この本を読みながら「思考のループの罠に誘われて病んだりせず、流すところは適度に流して楽しもう」という精神的健康志向が自分の中に存在していることが確認できたのも、付帯的収穫。
一緒に読んだ人たちと「これ、ひとりで読まなくてよかったわ〜」と笑い合えたのがよかった。これこそが、AIとはできない会話です。
AIは読書でダメージを受けないから延々よく喋るし、わたしがダメージを受けたと言ったら簡単に「わかります」と返してくる。
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同じ著者の別の作品『灯台へ』はこれよりも明るい話みたいなので、これもいつか読みたいと思っています。
