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蹴りたい背中 綿矢りさ 著


高校生の頃は、いまよりも人間観察力があった気がする。大人といわれる年齢の人のことを、わたしもこんなふうに見ていた気がする。
先生に対する、こんな描写がある。

先生は女子が寄ってくるのが嬉しいんじゃなくて、人間が寄ってくるのが嬉しいんだ。私には分かる。人間に囲まれて先生が舞い上がる度に、生き生きする度に、私は自分の生き方に対して自信を失くしていく。

大人を見て自信を失くしていくこの感じに、うわーーーっとなる。



以下のようなことは、大人になるほど「あるある」ではないだろうか。

寒気がした。毎時間の休みを一緒に過ごし、毎日お弁当を一緒に食べ、共に受験をした友達が、私を、新しくできた友達とより友情を深めるための道具にしている。

寒気が、するよね。



自分を認識してもらえたときの、この急に寄りかかりたくなる感じも、あやういマインドの描写として痛いほどナマナマしい。

認めてほしい。許してほしい。櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい。

「認めて」のあとに、「許して」がくる。インナーチャイルドとか言ってる場合じゃない。作家の手にかかればこんなに少ない文字数で片付く。


大人と子どもの境界って、実はかなり曖昧なんですよね。
設定は高校生だけど、この残虐な気持ちをこんなふうに書いてしまうなんて。悪魔的で癖になるわ。
そしてこの感情には名前がないのだよね…。蹴られる人は「努力が背景にあるわけではない、ただの執着行動の蓄積結果を勝手に自信に変えてしまえる人」だから、蹴りたい気持ちがすごくよくわかる。これはかつて、だれも文字で拾ったことがない感情だと思う。


▼紙の本

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綿矢 りさ
河出書房新社


Kindle

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河出書房新社 (2013-10-04)




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