相模原事件とノルウェーのテロ事件 関川宗英
ノルウェーの寛容化した社会
森達也の長いタイトルの本『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい 正義という共同幻想がもたらす本当の危機』(2013年 ダイヤモンド社)の中に、ノルウェーの寛容化した社会が紹介されている(第4章「刑事罰を寛容化したノルウェー 治安が向上した理由は何か」)。
9.11以降、世界は過剰なセキュリティ、厳罰化の傾向にあるという。アメリカでは、40年間に刑務所に拘禁される囚人が6倍に増大した。国民100人に1人が囚人ということになるそうだ。
日本でもオウム以降の20年間に、受刑者は約2倍になったという。死刑判決や執行数も増えている。
ところがノルウェーは、厳罰化ではなく、社会は寛容化している。森達也は、テレビ取材で赴いたノルウェーの様子や現地の声をレポートしている。
「犯罪者のほとんどは、教育や愛情の不足、貧しい環境などが原因で犯罪を起こしている。ならば彼らに与えるべきは罰ではない。良好な環境と愛情、そして正しい教育だ」
「もちろんとても少数ではあるが、いわゆるサイコパス的な人はいる。でもそうであるならばなおのこと、彼らに苦痛を与えても意味はない。この場合はできるかぎりの治療をしなければならない」
ノルウェーには死刑がない。終身刑も無期懲役もない。刑罰の最高刑は禁固21年。どんな犯罪者も刑期を終え、住まいと仕事の条件が整えば、出所できる。
街中に警察官の数は少なく、拳銃も携行していないそうだ。監視カメラも少ない。しかし、治安はよい。殺人事件の発生率は、日本と同じくらい少ない。(日本は世界でも有数の治安のいい国だ)
だが、1970年代前半までのノルウェーは、今より治安が悪く、犯罪者には厳罰を課していたという。そんなノルウェーが寛容的な社会へと変わっていく転機となったのは、オスロ大学の犯罪学者であるニルス・クリスティーの提唱する「修復的司法」(刑罰の本質は報復や苦痛を与えることではない)だったそうだ。刑事罰を寛容化したら、治安が実際に良くなったという。
税金と物価は極めて高いし、ホテルの宿泊費も高いノルウェーだが、万全の社会保障が有り、教育・医療費は無料で老後の心配はほとんど無い。福祉国家ノルウェーの、寛容化した社会の実態を森達也は伝えている。
森達也のこのレポートは、2009年8月のものだ。
ノルウェーのテロ事件
ノルウェーの寛容化した社会のレポートから2年後の、2011年7月22日、77人の命が奪われるというテロ事件がノルウェーで発生する。
移民やイスラムを否定するキリスト教原理主義者アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは、オスロの行政機関の庁舎を爆破、続いてウトヤ島で銃を乱射し、77人の命を奪った。
このノルウェーのテロ事件についても、森達也は『「自分の子どもが殺されても~』に書いている。以下は、この本の第4章「テロが起きても厳罰化や死刑制度の復活を望まない国」からの引用だ。
テロ事件から2日後、森達也のもとに、現地の日本人からメールが届く。
ご無沙汰しております。森さんにとって、今回のテロ事件は大きなショックだったのでは、と推察しています。もちろんノルウェー人にとっても、自国で起こった事件とはとても思えないという反応がほとんです。あまりにも大きな事件で、今はノルウェー全体が麻痺しているような状態ですが、暴力・テロ反対の運動は強化されています。オスロで森さんがお会いした(法務省の)パイクのパートナー(ノルウェーでシェア一位のタブロイド紙VGの編集長)も、紙面で暴力反対キャンペーンを展開しています。つまり『テロに対しては暴力では立ち向かわない』という姿勢です。すでにおおぜいの人たちが賛同しつつあります。
凄惨なテロ事件が起きた直後というのに、信じられないような報告だ。日本なら事件の経緯や犯人のプライバシー、専門家の分析、被害者家族の声、などなどメディアは喧騒を極めるだろう。
事件から3日後、VG紙に掲載された、事件で娘を失いかけたという父親の手紙は静かな感動をもたらす。
「憎しみをばらまき混乱を力で世界に広めようとする人間が、勝利してはならない。亡くなった人々のためにできることは、ノルウェーの民主主義は暴力に屈さないことを示すことだ。不安や悲しみ、怒りに盲目になってはならない。それこそが彼らの望むことだからだ」
事件当時、大阪にいたというノルウェーの女子大学生のメールも勇気づけられるものだ。
ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えられてはならず、その命が他の目的に利用される存在であってはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、(幼い子どもたちを含めて)すべての国民に、「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています。
事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、そして「この民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだ」と語ったとき、私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。
首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。当日は島にいて生き残った女の子が事件後にインタビューで、『一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば私たちみんなが一緒になれば、どれだけの愛を見せることができるでしょう』と語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。この事件によって、ノルウェー社会を変えてはいけないのです。犯人が望んだのは、まさに私たちの社会を変えることなのだから。彼の望みを叶えさせてはいけない。これが重要なのです。だから死刑復活などあってはならない。これはノルウェー人の一般的な見解です。
2011年8月、森達也は静かに立ち上がりつつあるノルウェーの人々の姿を伝えている。
2016年、相模原市の障害者施設やまゆり園で、19人が殺害されるという悲惨な事件が起きた。
「障害者は他人のお金と時間を奪っています」、「世界平和のために殺した」と犯人の植松聖は言った。公判でも優生思想を公然と披瀝し、遺族の被害者感情をかきむしった。
厳罰化の声は例に漏れず高まる中、2020年3月、植松聖の死刑は確定する。
相模原事件の犯人は、19人の障害者を殺した後、コンビニで買ったエクレアを食べている。そんな犯人を、サイコパス、異常者として切り捨てても何も解決したことにはならない。
それは役にたたない人を「人間ではない」と殺してしまうことと同じだ。暴力に対して、暴力で答えることだ。
ウトヤ島のテロ事件を乗り越えようとしていた、ノルウェーの人々のことが思い起こされる。
相模原事件のような悲惨なことが、なぜ起きたのか。すぐにその答えは出せないが、考え続けていかなければならない。
