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「映像として残る人間の愚かさ」

「映像として残る人間の愚かさ」

アッバス・キアロスタミ


 人間はあまりにうぬぼれてしまった。オイディプスになったつもりで、母なる自然を壊し、オイディプス同様、自らを罰するため、そしてこの悲劇的な光景から目を背けるため、見ることを自分に禁ずる羽目になったのだ。
 職業的習癖のせいかもしれないが、考えれば考えるほど、「映像」がこの百年間の人間の愚かさと人類史全体の愚かさの違いを決定づけているとの確信が強まる。リュミエール兄弟のおかげで、20世紀を通じて、人間の愚かさは映像として永遠に残るものに変換されてきた。人種差別、不寛容、無知、すなわち愚かしさに出会う時、熱心にいがみ合う敵同志が実は必然的に似た者同士であることを、僕たちは既に知っている。そして、そこに表出している下品で凡庸な情景は、もはや消すことのできない映像に収まり、否定できない事実として存在し続けるのだ。なんというパラドックスなのだろう。僕たちは失明しているにも関わらず、提供された映像を見続けながら暮らしている。
 映像は諸刃の剣であり、つまるところ、人類の愚かさの主な源泉の一つだと言えそうだ。実際、現代人は自らの妄想を増幅させる映像にとりつかれている。


『百年の愚行』 紀伊国屋書店 2002年刊

 

 




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