「戦後80年の終わりに」
大矢 英代 カリフォルニア州立大助教授
(東京新聞 「本音のコラム」 2025/12/29)
戦後80年という節目の年の「終わり方」は残酷だった。高市政権で安全保障政策を担う官邸関係者が、非公式の場で「日本も核兵器を持つべきだ」などと語ったと報じられた。 個人の見解だったとしても、首相に進言する立場の言葉だ。軽く受け流せる発言ではない。
看過できないのはファシズム化した一部の国民の間で、この種の発言が「賛同」を集める傾向にあることだ。政府が中国、北朝鮮、ロシアの脅威を煽り、「抑止」の名のもとに核武装を叫ぶほどに、一定層からの政権への支持が集まることを為政者は知っているはずだ。高市首相が勇敢な「戦士」であるかのようなイメージが作られていく。恐ろしいことだ。
反戦平和の特集が多く組まれた今年、改めて思う。惨禍を伝え続けることは「過去の誤りを繰り返さない」という戦後日本のジャーナリズムの礎だった。しかし、それでは抵抗しきれないほど日本社会は病んでしまったように思う。「ノーモア ・ヒロシマ、ノーモア・ ナガサキ」の原点は、核兵器による非人間化と人類絶滅の危機への抵抗だったはずだが、いまや被害の記憶が「二度と被害に遭いたくない」へ、さらには「そのためには核武装もする」と変化しつつあるように思う。
危険な時代は続く。問われているのは、国民一人ひとりの非核を貫く覚悟と行動だ。