2025/11/25 FB
山上徹也さんの第11回公判は被告人質問2日目でした。午後1時10分から5時20分まで開かれました。松本恒平弁護士が前半、山上さんが海上自衛隊時代に自殺未遂事件を起こし、自宅に戻った後、2015年に統一協会を憎んでいた兄が自死した経緯などを質問。その上で、山上さんが統一協会の幹部の襲撃を計画し、最終的に統一協会と3代にわたり深い関係にある安倍晋三元首相(当時、衆議院議員)を殺害した動機を尋ねました。
松本氏は、統一協会からの返金の一部が徹也さんにも入りだしたのは」という質問には、「一人暮らしをするに際して、2010年9月からだ。返金額が、毎月30万円が40万円になって、40万円の3分の1の13万円を自分にくれないかと申し出てそうなった」と応じました。
山上さんは、2015年の兄の自死(飛び降り)死についての松本氏の問いに、辛い悲しい出来事の詳細を、低い鮮明な声でしっかり答えました。
松本氏が「(兄の)遺体と対面した時、どう思ったか」と質問。「警察署の霊安室で遺体を見た時、シャツが真っ赤に染まっていて非常にショックだった。大学に行きたいと言っていたのに、無視して反対し続け、やりたいことを叶えることができなかった。無念だったと思う」「トラブルをかかえていたので、突き放していたということもあった。悩んでたんだな、助けてやれなかった」などと答えました。
自分は兄の自死という結果に強い衝撃を受けたのに、「母の中では、兄は天国で幸せだということになっていた」と述べました。
松本氏は「逮捕後に私が面会した際、『自分が兄を殺したようなものです』と言っていたのを覚えているか」と聞いたのに対し、「自殺前に兄から電話がかかってきたが、突き放した記憶がある。兄が強く批判していた統一協会に関して協力するなり、実家に帰って金に困らないよう一緒に生活するべきだった」と回答しました。
「兄の葬式に統一協会の地元の関係者3人が参列した。兄は生前、献金に不満を持っていたにもかかわらず、棺の前で統一強化式での『式』を始めようとしたので、『帰ってくれ』と言ったが、『分かりました』と言いつつ、一方的に式を始めた。怒鳴ったりつまみ出したりしないと止まらないが、棺の前では、さすがにばかられた。『なんてことをするのか』。こういうことをこれまでもしてきたし、これからもしていくのだろうと思った」
「母の中で、兄は天国で幸せに暮らしていることになっていた。それは献金したおかげで、兄が生前苦しんでいたのは(統一協会から献金額の一部の)金を返金させたから、という理解になっていた」
この母の態度が、統一協会への姿勢の変化をもたらした。兄の死は自分が原因と考え、再び自死を考え、生命保険に加入したと述べました。
山上さんは冷静に振り返り、頑張りました。感心しました。お兄さんの自死が事件を招いたとに繋がっています。兄の死を招いたのが、統一協会と安倍3代と確信して、敵討ちをしたとも言えそうです。
安倍氏への謝罪、今のところありません。言葉だけの表面上の「謝罪」はしたくないのではと、私は推察しています。
松本氏は、山上さんが発信したSNSの記録なとから、山上さんが2018年4月、岡山市を訪れた韓鶴子総裁の娘の襲撃を計画していたと明かしました。山上さんは「ナイフと催涙スプレーで襲おうとしなが、娘が警護の人たちに守られ、目の前を通ったが、勇気がなく、実行できなかった」と話しました。また、同年10月には、名古屋市の大規模なイベントに来た鶴総裁を火炎瓶などで狙い、前日から会場の近くに泊まって会場を下見し、火炎瓶を何本か持って行ったが、警備が厳重で、犯行に至らなかった」と明かしました。
山上さんは「ナイフは心理的に抵抗があり、ある程度距離を取らないと(うまく殺すことが)できない。火炎瓶を考えたが、確実性に欠けるので銃で、一番いいのは銃だと思った」と考え、銃の製造を始めたことを明かしました。
松本氏は最後に、事件の核心である安倍氏について聞きました。
安倍氏が統一協会と親密だったことは、母親からずっと聞いていたと述べ、教団幹部が、安倍氏が官房長官だった2006年に「安倍は我々の教義を理解している」と言っていたことがきっかけだったと明かしました。
「その後、教団のウェブサイトや統一協会の問題を唯一取り上げていた『やや日刊カルト新聞』をすべて読み、統一協会と安倍氏ら政治家との関わりを知っていました。信者のブログなどでも情報を集める中で、第二次安倍政権(2012年末)発足後に、統一協会のイベントに国会議員が参加しているのを知り、非常に良くないと感じた」と強調しました。
安倍氏は2006年、統一協会の関連団体である「天宙平和連合(UPF)」にも祝辞を寄せ、全弁連が強く抗議しています。
安倍氏の祖父の岸信介元首相、父の安倍晋太郎元外相も含め、統一協会と深く繋がりがあると前から思っていました」と語りました。統一協会幹部や安倍氏らを政治家を襲いたいという漠然とした思いは、2003年ごろからあったと明かしました。
安倍氏襲撃の決定的な引き金になったとされるUPF大会に宛てたビデオメッセージは、「ネットに上がってすぐに見た」とし、次のように語りました。
「最初は(安倍氏が)現役の(首相の)間には、出ない良識はあったんだなと。逆にこうして1度出てしまったら、これがずっと続いていくんだとしたら、統一協会がどんどん社会的に認められて、問題のない団体だと認識されると思った」
「統一協会から被害を被った側からすると、非常に悔しい、受け入れられないなと感じた」
松本氏が「感情を言語化するとどういう表現になるか」 と聞くと、「絶望感と危機感だ」と答えました。「怒りは」という問いには、 「安倍元総理本人に対してではないけど、そうなっていることに対して、怒りというか。(10秒近く沈黙)困るという感情だった」 と回答しました。
公判の主任検察官の質問は、手製銃、火薬の作り方や、試射などテクニカルな事項が中心でした。「なぜ10丁もの手製パイプ銃を製造したか」という質問には、「威力が心もとないので、銃身が30センチ、40センチ、50センチのものと作った。実際に韓鶴子や統一協会幹部襲撃の際は、1丁じゃ足りないのではないかと思った」と述べました。
検察側は、統一協会幹部から安倍氏に狙いを変えたのが、急だったと強調したいようでした。次回は12月3日。検察側が約70分、質問します。その後、裁判員・裁判官が質問する予定です。
山上さんは、前回と同じように、終始、落ちついた様子で、傍聴席にもよく通る声で、話しました。開廷前や休憩時には、松本氏ら弁護士と明るく会話していました。大事な質問の時は、10秒前後、黙考して、ゆっくり言葉を選んでいました。
私は記者席で、11回連続で取材できました。今日は右隣が鈴木エイトさん、その右が西村カリンさん。今朝、傍聴整理券配布会場を取材した3人が並びました。左隣は英字紙のジャパンタイムス記者でした。山上さんが創刊時から関わる「やや日刊カルト新聞」の名前を何回か出した時は、4人がエイトさんと顔を見合わせました。
今日の傍聴希望者は356人、当選者は33人でした。記者席は30。
雨の中の公判。閉廷時は、雨が止んでいました。地裁前の歩道に出てきた鹿にエサをねだられました。鹿を蹴飛ばす外国人観光客はまだ見ていません。