創氏改名とアイヌ民族と沖縄*藤本英夫*中学歴史教科書を考える2001年11⽉14⽇(⽔)北海道新聞
歴史教科書問題で話題になった「扶桑社」版教科書(新しい歴史教科書をつくる会編集)の市販本を買ってきた。他の会社のも探したが売っていなかった。図書館にもなかった。教科書展示会に出かけてみたが三、四冊の立ち読みでの比較は難しく、知人から「教育出版社」版を入手した。
教科書でどう扱われているか気になっていることがあった。一つが「創氏改名」のことだ。
六年前、“日韓併合”に関する当時の村山首相の国会答弁が問題になったことがある。そのときソウルにいた私は、日本との漁業交渉に当たった経験もある元韓国政府高官の友人からこんな話を聞いた。「東京での会議後の懇親会で、同席の日本の若い役人が創氏改名を知らないのにはびっくりした。彼は日本の将来を担うエリート官僚の一人のはずだが、あれでは同じ年代の韓国人と波長が合わない-」と。
「創氏改名」は、韓国人が絶対に忘れない日本から受けた国恥のひとつ。それに触れないのは隠蔽(いんぺい)と同義で、前述の役人のような日本人を生むことになる。扶桑社版にはなかったが、教育出版社版は「皇民化政策」のなかで触れていたので、少しほっとした。
さらに気になることがあった。アイヌ民族と沖縄のこと。
私は高校で日本史教師をしていたことがある。教科書に「日本は単一民族」とあった時代だ。修学旅行で、大仏殿の前で写真を撮る友人たちから離れている生徒がいた。私が懇意にしていたアイヌ民族の旧家の子供だった。彼は苦笑しながら「オレは大仏さんを見ても心がはずまない、オレにはつながってないんだ」と言った。
以来、私は授業で「教科書はこう書いてあるが北海道にはアイヌ民族の歴史があり、その民族の習慣で生活している人たちがいること、忘れないように」とつけ加えたものだ。
そんな記憶を思いおこしながら二冊の教科書をみると、両方とも、あの頃に比べて記述がていねいなのが嬉しかった。だが、日本人と違う言語・風俗・習慣の民族の居住地がいつから日本領土になったのか、が明らかになっていないのは二冊とも同じ。このことは沖縄についても言える。
林子平に「三国通覧輿地路程全図」(一七八五年)という地図がある。日本列島中心に大陸の一部までが書かれてあり、「朝鮮国」「琉球国」「蝦夷国」と三つの国名が明記されている。注目すべきは、蝦夷国が陸続きの「松前領」と一線で区切られていることだ。当時、朝鮮国は朝鮮王朝、琉球国には琉球王朝があった。蝦夷国を林子平はこの二国と同じにみていたのだ。そういう見方もあった「蝦夷」を、二冊の日本の教科書が「一八六九年に北海道に改めた」で済ますのは少々荒っぽいのではないか。
沖縄については、二冊とも「一八七九年に琉球藩を廃止し沖縄県をおいた(琉球処分)」と書いている。琉球が天皇の土地でなく、もともと琉球王の支配地だったので「版籍奉還」とは言えなかったから、とは一言も説明してない。そのとき、琉球王朝最後の尚泰王は王城・首里城(昨年のサミットの懇親会場)から拉致同然に東京に移され、日本の華族制度(公侯伯子男の五爵位)に侯爵として組み込まれて琉球王朝が滅ぼされたことを二冊はどこにも触れてない。
日本列島両端の歴史を、教科書がこのように書いて済ますのはどこからくるのか。扶桑社版にある「国際法に基づく領土の画定」の項の説明にヒントがありそうだ。こうある。「日本は明治維新を経験して近代国家を目指し、欧米列強がつくりあげた国際法を受容しようとしたのである」と。この植民地獲得を正義とする「国際法」は十九世紀の残滓(ざんし)だ。残念ながら日本の教科書は、扶桑社版だけでなく、多くがこの残滓に侵されているのではなかろうか。(札幌・韓国を知る会会長 藤本英夫)