参政党支持層の研究
古谷経衡
・動画で真実
私が過日、或る参政党支持者と酒席を共にした時の話である。ユーチューブで参政党の動画を見て、熱心な支持者になったというその人は、図らずも私と同い年の女性だった。数年前に離婚して、現在は飲食業をやりながら二人の子供を育てているということであった。「(ワクチンの副反応などについて)本当のことを知りたいと検索していたら、参政党の動画に行き当たって、感銘を受けた。日本は外国人に侵略されていると思う。私が勉強した結果、これが真実だと思うに至った」
かいつまんでいえば彼女はこのようなことを言った。彼女は高校を卒業して以来さまざまな職を転々とし、あるとき一念発起し、独学で宅地建物取引主任者(宅建)に合格するほどの努力家であった。しかし彼女の世界観の中では、「世の中のこと」を勉強する手段は参考書ではなくてユーチューブなのであった。
政治や社会の実相を勉強するときに、これが定番という書籍のスタンダードは残念ながら現在提供されていないと言える。その間口のほとんどは、専門家と謳っていながら、実際は陰謀論やデマに傾倒しているともされる、「自称評論家」などが主催するユーチューブである。
そこに触れれば、前提知識が皆無の彼女・彼らたちは、たちまちそれが「自分が発見した真実」と感じて、熱心な参政党支持者になっていくのだろう。その主張がいかに差別や排外主義につながる危険性があっても、その言葉自体の持つ意味や政治的立場が分からないのであれば、躊躇の材料にはならないのである。繰り返すように彼らにとって「八紘一宇」は「整理整頓」と同じニュアンスなのである。
・政治に無関心でも生きていける日本社会
ここまで書いて、少なくない読者は、「新聞の斜め読み、一面の記事を雑駁に見るという作法やリテラシーすらない人々が、現代の日本で“適正”な社会生活を送れるというのは、本当だろうか」という疑問を有すると思う。つまり政治や社会のことに全く無知・無関心でいながら、一端の社会生活を送ることが果たしてできるのか?という疑問である。だがしかし、戦後日本社会は永年「政治と宗教の話はするな」などと言われてきたように、政治的リテラシーがゼロでも、社会生活を送ることが出来る世界になって久しい。
参政党支持者の中には、高校を出てからすぐに社会人になった、という人もいるが、四年制大学を卒業して、社会に出たというような人も少なくない。しかし、戦後の日本社会にあって、受験や入社試験で、「現代政治の課題や問題」を問われることは非常に少ないどころか、ほぼ絶無である。ましては太平洋戦争に至る日本近代の失敗について、あなたはどう思うか?かつての侵略戦争をどう思うか?と問われる場面も、ほぼ皆無に等しい。
つまりはこの国では、政治観および歴史観や歴史的教養と、社会的地位は相関しないのである。政治や歴史に全く無知でも、社会的地位を得たり、客商売をすることは容易に出来るのである。彼らはみな、コミュニケーションにあっては優秀の感を受け、むしろ人当たりがいい人ばかりである。そうでなければ、客相手のフリーランスや自営業で成功することはできないだろう。社会的成功と、最低限度の政治観や歴史観が、この国では完全に分離されている。
私は参政党支持者と多く会ってきて、彼ら彼女らの多くが「ごく普通の市井の人々」であることを痛感した。彼らは客商売の現場や、或いは会社組織の職場でむしろ愛される人々である。相手のことを思い、コミュニケーションをとる能力があるからだ。しかし、それと歴史観や政治観は、ことさら歴史や政治のことを話題にすることを避けてきた目下の現代日本においては、必要がない。むしろそんな事柄に興味を持つのは、対人コミュニケーションの中ではマイナスとされてきた。
・「無垢」の人々が目覚める
彼ら「無垢」の人々が、参政党のユーチューブを含むSNSなどで「政治に目覚めた」ときに、初めてそのむき出しの差別性や排外性が露(あらわ)になる。これは自覚的に自虐史観と闘ってきたネット保守とはまるで違うものであり、純朴な、本当にイデオロギーとは関係のない、生活感覚のようなものだ。参政党支持者のこうした「無垢から生まれた世界観」をどう捉えればいいのか。私としても悩んだ。結論めいたものがあるとすれば、まさに2025年の今年が戦後80年であることを踏まえても、それは「過去の戦争経験の風化」を前提としながらも、もっと別種の、ある種の「何も考えないで生きてきた人々」の可視化だと思う。
すなわちこのYAHOO!ニュースや、それに関連する新聞・雑誌・テレビの報道や内容を流し見でも触れていれば、世の中の人々はある程度、「政治的真贋」とか「政治的公平性」の正邪や高低の云々が分かろう―、という図式がはなから通用しない人々が、この国には数百万人という規模で存在するという驚くべき事実だ。
社会人として普通に生きていれば、おのずと政治や社会のことに関心を持たざるを得ない―、という少なくとも従前から私が持っていた「社会通念上」ふつうに思える人間の成長段階説は、嘘だったのかもしれない。日本社会には、齢四十,五十を経ても、「与党と野党の区別がつかない」「右翼と左翼の区別がつかない」「民主的価値観と差別や排外主義の区別がつかない」という人が、かなりの割合で存在するのである。それでも彼らは、地域社会の中できちんと自営業などをして、客商売をして、愛される存在になっているのである。
そういった人々は、これまで選挙に行くことが無かったので、可視化されなかった。それがユーチューブを含むSNSを間口にした場合、初めて得票として可視化されたのではないか。そうした層は繰り返すが、「無党派」ですらなく「無関心層」である。何も知らない、何も興味がない、何も知識がない層の受け皿が、SNSを間口とした参政党支持者の典型ではないのか。

