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関東軍による謀略は戦争が終わるまで秘密にされた

関東軍による謀略は戦争が終わるまで秘密にされた

Yuichi Kaido 2025/5/31 FB


 日本の明治維新後の近代を貫く戦争には、台湾出兵日清戦争日露戦争第一次世界大戦、シベリア出兵などもあったわけですが、何といっても、1931年の満州事変から1945年までの15年戦争が最も重要な戦争でしょう。「あんぱん」で今戦われているのは、1937年から本格化した日中戦争です。のぶちゃんが口を開くと中国で兵隊さんが闘ってくれているから感謝しなくてはと言っていますが、この戦争に正当性があったのかが、最初に問われなければなりません。
 今日は、この日中戦争の出発点となった満州事変についてお話をしたいと思います。


 1931年9月18日、柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道の線路が爆破されました。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事行動と占領の口実としました。しかし、この事件は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐らが仕組んだ謀略事件でした。同日の午後10時20分ころ、中華民国奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)の北方約7.5キロメートルにある柳条湖付近で、南満州鉄道(満鉄)の線路の一部が爆発により破壊されました。まもなく、関東軍より、この爆破事件は中国軍の犯行によるものであると発表されました。このため、日本では、1945年に太平洋戦争終結に至るまで、爆破は張学良ら東北軍の犯行と信じられていました。
 この謀略事件の首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐です。爆破を直接実行したのは、奉天虎石台(こせきだい)駐留の独立守備隊第二大隊第三中隊(大隊長は島本正一中佐、中隊長は川島正大尉)付の河本末守中尉ら数名の日本軍人グループです。現場には河本中尉が伝令2名をともなって赴き、斥候中の小杉喜一軍曹とともに、線路に火薬を装填しました。関東軍は自ら守備する線路を爆破し、中国軍による爆破被害を受けたと発表するという、自作自演の謀略によって満州を軍事占領したのです。
 しかし、このことは徹底的に隠されました。多くのメデイアは中国側の非道を強く訴えました。とりわけ東京日日新聞(現毎日新聞)は中国に対する敵意をあおり立てる報道を繰り返しました。


 半藤一利氏によれば、大阪朝日新聞は、高原操編集局長の下で、柳条湖事件について「この戦争はおかしいのではないか、謀略的な匂い、侵略的な匂いがする」と報道していたそうです。結果として正しい報道をしていたのです。そのとき、在郷軍人会などが組織した激しい不買運動を受け、部数を減らすことになります。奈良県下では一紙も売れなくなったといわれます。そして、10月12日の役員会議で高原編集局長は次のように述べたことが憲兵調書に記録されています。つまり、朝日新聞内部の密告者が陸軍内の憲兵に届けたのでしょう。そこには次のように記載されています。
 「今後の方針として、軍備の縮小を強調するのは従来のごとくなるも、国家重大の時に際し、日本国民として軍部を支持し、国論の統一を図るは当然のことにして、現在の軍部及び軍事行動に絶対批判を下さず、極力これを支持すべきこと」(半藤一利・保坂正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』2014 東洋経済新報社 51-52ページ)。大阪朝日の抵抗は一ヶ月ともたなかったのです。

 




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