<社説>復帰の日に考える 沖縄を返せ、沖縄へ返せ
♪固き土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ…
年配の方なら一度は耳にしたことがある歌かもしれません。「沖縄を返せ 沖縄を返せ」と繰り返される訴えが印象的です。
反米軍基地運動などで今も歌い継がれる「沖縄を返せ」は、
沖縄県がまだ米軍の施政権下にあった1956(昭和31)年、福岡県で生まれました。
サンフランシスコ平和条約が発効した52(同27)年4月28日、日本は連合国軍による占領を終えて独立を果たしましたが、沖縄は日本本土と引き続き切り離され、米軍の施政権下におかれました。
米軍統治下の沖縄では住民の土地は強制収用され、米軍基地に姿を変えました。人々は自由も
自治も許されず、人権も無視された、過酷な日々を強いられます。
「沖縄を返せ」の歌は、祖国復帰を望む沖縄の人々に本土側からの連帯を示すものでした。57(同32)年に本土で始まった
沖縄返還国民大行進の際に歌われて全国に広まり、その後、沖縄でも歌われるようになったといいます。
◆「基地のない島」は遠く
27年間にわたり本土と切り離された沖縄の施政権は、72(同47)年の5月15日、日本側に返還されました。それは、県民が願い続けた「基地のない平和な島」が実現する機会だったはずです。
しかし、米軍基地はそのまま残り、基地に起因する騒音や環境被害、米兵らによる事件・事故など深刻な被害は変わりません。
復帰当時、
在日米軍専用施設の所在比率は本土と沖縄で4対6でしたが、今では3対7に拡大。名護市
辺野古沿岸部では多くの県民が反対する中、政府は米軍
普天間飛行場(
宜野湾市)の代替施設建設を強行しています。日本全体の安全保障のための基地負担を、沖縄に一層押し付ける構図です。
近年では、台湾や
尖閣諸島を巡る緊張を背景に米軍に加えて
自衛隊も増強されています。基地が攻撃対象となり、地上戦で多くの県民が犠牲を強いられた大戦末期の
沖縄戦のように再び戦場になるのでは、との懸念が高まります。
さらに、
沖縄戦の史実をねじ曲げ、県民を愚弄(ぐろう)する心無い政治家の発言も相次ぎます。
沖縄の土地や施政権は日本側に返還されたはずなのに、県民の手に返ったとは言えないのではないか。沖縄の現状を直視すれば、そんな思いが募るのも当然です。
◆平和への祈りの歌に
復帰運動のシンボル的な存在だった「沖縄を返せ」は復帰後、その役目を終えたように歌われなくなりました。歌の存在を知らない若い世代が、沖縄でも増えていたといいます。
その歌に再び命を吹き込んだのが、
八重山民謡歌手の
大工哲弘(だいくてつひろ)さん(76)です=写真、東京・新大久保の沖縄
島唄カーニバルで。
大工さんは「沖縄を返せ」を94年にリリースしたCDに収録したり、集会などに呼ばれた際に歌ってはいましたが「沖縄を返すと言っても、どこへ返せばいいのか、分からない」と、違和感を感じていたそうです。
転機は95年9月に起きた米兵による少女暴行事件でした。「沖縄を返せ」と2度繰り返す後半部分を「沖縄へ返せ」に変えて歌ったところ多くの人が共感し、全国各地の集会などに呼ばれるようになったそうです。今では自身のライブでも定番曲です。
「沖縄は今も、安全保障の捨て石にされている。女性への暴行事件があっても、
辺野古への基地建設で沖縄の豊かな自然が壊されても、本土の人は知らんぷり。これは民主主義ではない。沖縄を、沖縄の人に返してほしい」
大工さんは静かに語ります。
「でも本当は、歌わなくてもいい平和な日がくればいいと思う。叫びではなく、
ジョン・レノンの『イマジン』のように、静かに祈る。祈れば、きっとかなう」
♪沖縄を返せ 沖縄へ返せ
大工さんは祈りを込めて歌い続けます。沖縄が本当の意味で、沖縄の人々に返る日まで。