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2・26事件と 青森 地方紙記者の戦後

2・26事件と 青森 地方紙記者の戦後


戦前のクーデター、2・26事件から今月で87年がたちます。事件は、私の初任地、 青森県とも浅からぬ縁がありました。関係した地方紙記者らとその戦後、現在の同県にある核燃料サイクル施設までの流れを素描します。【オピニオングループ・鈴木英生】


1936年2月26日朝、雪深い青森市の陸軍第8師団歩兵第5連隊本部。スキーを履いて出勤した末松太平大尉が、電話でこう問われた。「野中四郎大尉を知っていますか」。野中は2・26事件の首謀者の一人だ。興奮気味の声の主は、地元紙「東奥日報」記者の竹内俊吉。末松は、以前から親しかった竹内によって同志の決起を知った。
 事件は、農村の疲弊や政治の腐敗に憤る青年将校たちが起こした。部下約1400人を引き連れて要人を殺害し、首都中枢を占拠するも4日で鎮圧された。軍部は関係者を処罰しつつ、事件が世に与えた恐怖心を利用し政治力を強める。日本は破局へ向かう。
末松のように、地方在住で決起に加われなかった青年将校もいた。末松の回想記「私の昭和史」(63年)によると、彼の事件中の「唯一の情報の糸」は、東京の通信社から東奥日報への電話だった。末松が東奥日報へ出向くと、記者たちは目を輝かせていたという。なぜ、彼らはクーデターに期待をかけたのか。
 末松は青年将校らの人間関係や社会認識などを事細かに記し、作家の三島由紀夫や昨年末に亡くなった日本近代史家の渡辺京二さんらが高く評価した。特に、31年からの満州事変へ出征した 青森の兵士の描写が印象深い。
農村出身の兵士は皆極貧だ。兵士の受け取った慰問袋の食べ物や日用品は、再び日本海を渡り凶作にあえぐ家族へ。兵士の父親からの手紙には「必ず死んで帰れ」とある。この時代の決まり文句だが、後に「死んだら国から下りる金がほしい」と本音が続く。
 現地の日本人は豊かで冷淡に見えた。こんな連中のために戦うのはうんざり。部隊が帰国のため朝鮮の港へ向かう途中、寒村の駅で子どもたちが歓迎した。ホームで日の丸の小旗を振り、朝鮮の歌に合わせて踊る児童に、兵士が客車の窓から声をかける。「お前たちのためなら、なんどでも来るよ」と。「侵略の先兵」である貧しい日本兵が共感できたのは、日本に侵略された朝鮮人だった。
 末松も竹内たちも、本当は、この貧困と悲惨を変えたかった。
 竹内は、文化記者としての功績も大きい。作家の太宰治が、初めてこのペンネームで書いた小説を東奥日報に載せた。版画家の棟方志功を世に出した。自身の手による小説や俳句、絵画なども多数残した。親友で文芸同人誌仲間の淡谷悠蔵は、左派農民運動の指導者だった。歌手、淡谷のり子の叔父でもある。
 竹内と淡谷悠蔵の対談本「 青森に生きる」(毎日 新聞青森支局編、81年)などによると、2人は、末松の同志にこんな提案をされたことがある。淡谷ら農民に青森から東京へ行進してほしい。途中で他県の農民が合流し、行進は雪だるま式に膨れ上がる。「警察の力で鎮圧は無理」との口実で軍隊が出動し、加勢する。イタリアのムソリーニが22年に政権を取った際の「ローマ進軍」を連想させられるプランだ。
 淡谷は、実現不可能な話だと思い、「心が動かなかった」という。竹内も「キミから『あれには乗らない』って聞かされた時は、ホッとしたよ」。が、これらは戦後の、すべての結果を知ったうえでの言葉だ。東北の近代史に詳しい河西英通・広島大名誉教授は「戦前に、社会改革の現実的な選択肢として軍隊内の改造運動と手を組むことが全く視野になかったとは言い切れない」とみる。
 戦後、竹内は自民党衆院議員を経て63~79年に県知事を4期、淡谷は53~69年に社会党衆院議員を6期務めた。実は、青森の共産党指導者、大沢久明も青年時代から2人の文学仲間だ。政党を超えて続く交友を、ルポライター鎌田慧さんは「青森の政治の奇妙」(「六ヶ所村の記録」)と書いたが、河西名誉教授は「3人とも青森を豊かにしたいと心底願い続けた点は同じ」。だからこそ、政治的な役割を分担したようにも思える。
知事となった竹内は、戦後の「現実的な選択肢」として原子力船「むつ」を同県むつ市に受け入れたが、放射線漏れ事故を起こした。同県六ケ所村などに巨大コンビナートや製鉄所を誘致するが頓挫。用地は、核燃料サイクル施設などに転用された。この施設の候補地の一つは今、台湾海峡問題で揺れる沖縄県先島諸島だったとの説もある。
 竹内は、淡谷にこぼすことがあった。「わかっていても、どうにもならないことがあるものだね」「仕方ないことだってあらあね」(淡谷による竹内の追悼文「想(おも)いは遠く」)
 竹内は86年に86歳、淡谷は95年に98歳で死去。 青森の県民1人あたり所得は、今も全国40番台である。


毎日新聞2023.2.8鈴木英生

 




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