船越義彰(作家)当時20歳・沖縄 米軍野戦病院に入院
アメリカの艦艇が来て、「この軍艦に泳いで来い。米軍は降伏したものは殺さない。日本の戦争はもう終わりました。あなた方はよく戦ったけれども、もう駄目だから、降伏しなさい。故郷では親兄弟が待っていますよ」という放送。目の前30メートルぐらいだから、泳いでいけるが、行かない。すると、「これからしばらく艦砲射撃を止めますから、その間に来なさい。泳いでこないと艦砲射撃します」と言う。米兵がタバコを吸うのが見えるぐらいまで近くに来ている。
それから、捕虜になった日本軍人が、自分の名を名乗り「アメリカは絶対殺しません」、「怪我をした人には病院もあります」と言うが、上官が「みんな行くな、行くな」と言う。ところが泳いで行くのがいた。そうしたら上の方から機関銃がバンバンと撃つ。降伏していく人にですよ。でも、撃ったのは日本兵。助けたのは米兵。これは卑怯者という者に対する「鉄の戒律」だったと思うんですが、そうでもないんだとも思う。
自分たちも捕虜になりたいんですよ。しかし踏ん切りがつかない。捕虜になるのは勇気のいることなんです。今までの思想、信念、心情を全部捨てて、わけのわからない連中のところに行くわけですから、勇気がいるわけです。降伏して行った連中は勇気があった、行けない連中はそれがうらやましかったんだと僕は思います。
私は重傷を負って、気を失ったが、気がつくと、アメリカ兵が銃を突きつけているので、とっさに「アイ アム ノット ジャパニーズソールジャ」とい言うと、米兵は喜んで、指笛で仲間を呼んだ。それから救急治療をしてくれて、僕は助かった。
「あの日 昭和20年の記憶」6月23日 (NHK出版)