辻久子(バイオリニスト)当時19歳・神戸 焼け出された知人宅に身を寄せる
朝6時ごろ空襲警報発令。空襲警報が鳴ってから爆撃機が来るまでにはだいぶ時間がかかる。父が「ほれ、来たぞ!」と言うと、海の方からB-29が編隊を組んでザーッと来た。防空壕に入るとすぐに音を立てて焼夷弾が落ちて来た。そら怖かったですよ。
空襲が終わり、外に出ると私の家の二階からも隣の家からも火が噴いている。庭を出て線路に行くと、線路も焼夷弾の火が飛んでいる。ふと気がつくと、妹たちはみんなバイオリンを持って出たのに、私だけが持っていない。「あー、バイオリン、バイオリン」と言うと、父がすぐに取りに行ってくれた。それを持って線路を伝いながら山の方に逃げた。
バイオリンに必要なものは弦。当時、弦はドイツ製で、楽器屋さんはもうなくなるから買い込んだ方がいいとたくさん買っていた。それをガラスの瓶に入れて持ち歩いていた。ところが父はこれから空襲が激しくなるので、なんとかしなくてはいけないと思い、油紙に厳重に包んで、身を寄せていたお宅の庭に埋めた。弦がなかったら演奏ができないし、演奏ができなければ生活ができなかったので、弦を守るためには神経質になっていたのです。
「あの日 昭和20年の記憶」6月6日 (NHK出版)