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権力の論理を呑み込む岸信介

権力の論理を呑み込む岸信介


金解禁と緊縮財政
 田中政権に代わって登場する民政党浜口内閣の直面した最大の課題は、金解禁(金輸出解禁)と緊縮財政であった。昭和二年(三—五月)の銀行取付騒ぎに始まる金融恐慌、戦後恐慌(大正九年)、関東大震災(大正十二年)等によって痛打された国会財政をさらに一層悪化させ、浜口内閣誕生のときには、歳入の不足分を膨大な公債発行をもって賄うという借金財政が、すでに深く国民経済を圧迫していた。浜口はこの経済の難局を金解禁断行によって打開しようとしたのであり、緊縮財政はその条件づくりの一環として避けては通れないものであった。
 金解禁は浜口内閣発足と同時に蔵相井上準之助によって意思表明され、翌年一月実施に移された。しかし、金解禁に伴うデフレ政策は経済不況をますます深め、しかも金解禁はそれ自体、前年(昭和四年)十月に始まった世界恐慌によってその行く手を阻まれてしまう。金融システムの崩壊、大量失業、貿易低迷を欧米諸国にもたらした世界恐慌は、当時日本経済をも直撃し浜口内閣の金解禁政策は完全に打ちのめされてしまう。
 一方、緊縮財政は、まずもって「官吏減俸」案として具体化された。昭和四年十月、政府は、月額一〇〇円以上の官吏の給与を平均一割程度差し引くことで主な内容とする減俸案を発表する。しかし同案は、軍人はもとより、検事などの司法官、それに鉄道省、拓務省、商工省その他の官庁役人から猛反発を招き、一週間後、閣議は同案の撤回を承認せざるをえなくなる。
 このとき商工省内の減俸反対運動の先頭に立ったのが、岸である。減俸反対者の全員が出すべき辞表の文案をみずから起草する一方で、これをちらつかせながら時の商工大臣俵孫一に減俸撤回を直談判したことは、たちどころに商工官僚岸信介の勇名をとどろかすことになる。
 盤石の権力機構である官僚社会において、この下剋上的な彼の行動は、それが権力主義者岸の反権力的行動規範を示しているという意味では注目に値する。なぜなら、権力に反骨をみせる岸の行動は、これが最後ではないし、それどころか後述するように、のちのち商工次官の立場から商工相小林一三に、戦時東条内閣にあっては東条に、戦後政治にあっては吉田茂に反旗をひるがえすからである。しかもその反権力は、少なくとも岸にとっては、権力の論理を完全に吞み込んだうえでの反権力なのである。つまり岸の反権力は、それがみずからの権力培養に応用されてしまうという意味では、自身の権力主義と何ら矛盾しないのである。
                       (『岸 信介』 原 彬久)

 




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