宮崎、麻原、植松
『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』 森達也 2020年 講談社現代新書
「なんだっけ。メディアの視点か。ずっと思っていることがある。宮崎が事件を起こしたあの時代がちょうど境目だったのかな。報道が加害者よりも被害者への取材にどんどん傾いていった」
そう言ってから吉岡*は、「20年以上も前に書いた本(『M/世界の、憂鬱な先端』)だから細かいことは忘れていたけれど、話しながらいろいろ思いだしてきたよ」とつぶやいた。
「あの本を書きながら、自分はとても怒っていた。本当に怒っていた。宮崎に対してじゃないよ。裁判所と社会とメディアに対して。宮崎は4人の幼女を殺害したことや匿名の犯行告白文を被害者の母親に送ったことを、一度も否定していない。つまり事実関係には争う余地はほとんどない。だから僕の関心は、なぜ彼のような人間が生まれたのか、その一点だけだった。人間って結局は器だと思うんだ。そこに盛りつける何かによって人は人になっていく。だから宮崎という器について、これは手首の障害とか祖父への過剰すぎる愛着とかいろいろあったけれど、それをまずは地元に行って徹底して調べて、次にその器に盛られたものを取材したのだけれど、やっぱり時代性をものすごく感じるわけ」
「えーと、つまり80年代」
「そう。この国の80年代。時代と社会が宮崎をつくった、というのが僕の理解。ということは、同じ時代に日本社会にいた僕たちだって加害者になっていたかもしれない。事件があるたびに僕はそう考える。でも多くの凶悪犯罪報道において、これを発信する記者やディレクターたちは、ひょっとしたら自分も加害者になっていたかもしれない、ということを考えない。多くの人は自分が被害者になるかもしれない、ということばかり考えている。でも僕は事件現場に立つとき、自分が被害者になる可能性よりも、加害者になる可能性のほうが絶対に大きいと思っている。
ならばなぜ、あの本を書きながら僕は怒っていたのか。精神鑑定書が果たしている役割は、『性格の偏りはあったけれど、理非弁別をする能力は失われておらず、従って責任能力もあった』として極刑を科すことです。つまり、普通人であったと認定すること。
でもさ、ならば次に、なぜ普通人があれほどの凶悪事件を起こしたのか、という問いに答えなければならない。でも鑑定書は答えていない。答える気が最初からない。悪いやつが悪いことをやった。それは同義反復だよ。こうして彼や彼女を世の中から切り離して処刑して、世の中はいっさい免責される、というわけ。世はなべてこともなし、めでたしめでたし。これでおしまい。
……何ていうかな、こうした現実を疑わない社会に、僕は怒っていたと思う」
「そうした状況を醸成しているのはメディアですよね」
「もちろん。なぜこんな犯罪を彼らは起こしたのか、なぜこんな集団が生まれたのか、というところに僕たちは、……それは森さんの『A』や『A2』、あと書籍なら『A3』も同じだと思うけれど、強い関心があるわけだよね。それを解明したいと思うわけ。ところが、マスコミの多くは、特に宮崎以降だと思うけれど、被害者の悲しみとか、あるいは被害者遺族が抱く加害者への怒りとか憎しみとか喪失感とか、そちらのほうに急激にシフトしていった。だから加害者への取材が薄くなる」
そこまで言ってから、吉岡は次の言葉を探すように沈黙する。僕も考える。自分のこれまでを。そして現在を。
吉岡~吉岡忍。ノンフィクション作家。1987年、日航機墜落事故を描いた『墜落の夏』で講談社ノンフィクション賞を受賞。2017年より2021年まで17代日本ペンクラブ会長。