『翔んだカップル』をめぐるうるさいおとなたちの映像美学
長谷川和彦 最後のあたりの〝モグラたたき〟な、あれは感動的だよ、この間二回目みて、二回目のほうが泣けた。一回目は余計なこと思ってみてたのかも知れない。いろいろ類推させられてな。ついに撮ったなという感慨もあったし。
相米慎二 あのシーンは俺も依怙地になって残しているだけど。
長谷川 そうだろう。文句あったらああいうふうに撮ってみろってんだ(俺が威張ることないか)。あれは、やはり日本の伝統的な悪しきメロドラマのスタイルを完全に捨ててる。悪しきメロドラマのスタイルというのは寄るんだよ、泣く人間に。だけど、相米のは、泣く人間に寄らずに、寄るよりも実は大きく見せるという、正に映画だよ、あれこそ。
相米 ツー・カットしかないからな、むこうむきと、こっちむきと。
(中略)
長谷川 だけどな、やっぱり映画しかできないものっていうのは、軽かろうが重かろうが、映画館出て角の横町曲がるまでは残るんだよ。残るものをお前は撮っちゃったからね。勇介のファイティングシーンなんか胸痛くなるしな。ケツの盛り上げ方なんてものはかなり荘厳なものだからなあ。
相米 ガキん子映画ったって色っぽい話なんですよ。四人の高校一年生の性と愛の物語だからね。四人のそれぞれの恋愛関係が入り乱れてね、セックスするかしないかの瀬戸際の話ですからね。原作のマンガもかなり情感過多だけど、映画は生身の人間がやるんだから、もっとなまなましくいきたいと思って撮ったんですけどね。
(「シナリオ」 1980年8月号)

