
デール・カーネギーの名著『人を動かす』によると、人を動かすために必要な要素の一つとして、「相手への誠実な興味」と「心からの賞賛・激励」が挙げられている。
これらは、人への興味がなければ持ち合わせないものだ。
今の時代は、自分の内面ばかりに目が向いているのかもしれない。
他人への興味関心は、その人が自分のことをどう思っているのか、そんな自分に向けられた物ばかりのように思う。
「他人に対して誠実な興味を持つこと」
それが非常に難しい時代だ。
「自意識の肥大化した時代」
私は今の時代をそのように評している。
ある意味、他人の立場に立った場合の想像力が欠如しているのだ。
だからこそ、この『人を動かす』が力を発揮する。
表面的なものではなく、心から相手に興味を持つ。
薄い繋がりばかりが増えていく時代だ。
人は目の前に次から次へと流れていく。
専門性ばかりが重視されて分業化が進み、それを統括できる人材は限られている。
そして、その立場が割を食うことばかりだから、それを目指したいと思う人自体が少なくなっている。
なんともまぁ、パーソナリティが肥大化しているものだ。
世相が人を甘やかし続けた結果なのかもしれない。
こんなことを書くと右寄りと捉えられるかもしれないが、そうではない。
自由で平等で、誰もに均等に機会が与えられても、人は個体差の大きな生き物だから、与えられた自由をどのように享受するのかは人それぞれなのだ。
だから自由であればあるほどに格差は広がっていく。
そういうものなのだ。
右向け右で、強制力を働かせた方が、社会主義国のように強烈な推進力を生み出すこともある。
どちらが良いということではない。
ただ、そういう性質を持っている、ということ。
さて、何が書きたかったのかわからなくなってきた。
そうだ。「人に興味を持つことが大事」という話だ。
そんなパーソナリティが肥大化した格差の大きな時代だからこそ、そのパーソナリティを外向きにした方が、希少価値は上がる。
手放しで自分のことを応援してくれたり、褒めてくれたりする存在は、今の時代では希少だ。
そして、そういう存在を求めている人は多い。
希少で価値があればあればあるほど、生き残れる確率は上がる。
「自分のことを認めてほしい」
そういう人が多いならば、その需要を叶える存在になればいいのだ。
しかし、打算でそうなっても、すぐに見抜かれてしまうだろう。
結局のところ、人間性を磨くことが大事なのだ。