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年度末

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なんだかバタバタしている。

環境だけでなく心もバタバタしている。

子供が保育園に通い出して1年が経とうとしている。

こんなに何度も病気にかかった一年は人生で初めてだったかもしれない。

よくもまあ、共働きでここまでやってこられたものだ。

 

2年目は1年目と比べたら少しは落ち着くのだろう。

そう信じないと体が持たない。

子供の成長は止まることを知らない。

毎日成長している。

あっという間に大きくなって独り立ちしてしまうのだろう。

 

「小さい時はあっという間」

よくそんなことを言われるが、その気持ちが少しだけわかったかもしれない。

タスクに追われながらも、時は確かに刻まれていることを実感する。

3月、そんな季節になった。

 

ブログの連続更新が途切れてはや一年。

先日2500回目の投稿を終えて、一つの区切りを迎えたと感じてしまった。

そこから更新は滞り、いつ止まってもおかしくない状況になっている。

あれだけ毎日更新していたブログが、今や全く生活から離れてしまった。

 

それは私の人生が確かに前へと進んでいる証拠なのかもしれない。

私の人生は、ブログを書くことを必要としなくなったのかもしれない。

 

3月、潮目を迎える時期だ。

そんなことを考えてしまう。

職場無作法

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あらゆる種類のハラスメントが溢れている世界。

ハラスメントには当たらないが、その予備軍ともいうべきグレーゾーンの振る舞い。

それが「職場無作法」だ。

 

例えば、「常に不機嫌で話しかけにくい」とか、「服装や身だしなみが整っておらず周りに不快感を与える」とか、「言動は適切だが見下したような態度で相手に接する」などがこれにあたる。

 

この「職場無作法」を撲滅しようという雰囲気が今の私の職場では漂っている。

きっかけは代表者の提案だ。

そこからトップダウンで全従業員を対象に講習会参加を義務付けるなど精力的に対応している。

 

確かに度を超えた迷惑行為は撲滅するべきであろう。

しかし、ハラスメントに気を使いすぎるあまり、ハラスメントに繋がりかねない行為まで撲滅するのはやりすぎではないだろうか。

 

「扱いにくい人」「関わりたくない人」

確かにそういう人は職場にいる。

だけれども、それはその人が培ってきた個性であって、会社から指示されたからといって変わるものではない。

逆にハラスメント予備軍に接した人たちは、鬼の首でも取ったかのように些細なことでも告発する。

そして、それに対して会社は真摯に向き合わなければならない。

そう法律で決められているのだ。

 

「関わりたくない人とはなるべく関わらない」

それでいいではないか。

ところが今度は対応に差をつけることもハラスメントだという。

だから、関わらなければうまくいっていたのに、そういうわけにもいかなくなり拗れる。

 

ルールで縛りつけすぎるあまり、人との触れ合い方が不自然な方向に進んでいるんじゃないかな。

今の状況を見て、私には一つの言葉が浮かんだ。

 

「バカに刃物」

 

適切な使い方をすれば便利に扱うことのできる刃物だが、愚かなものがこれを扱うと危険物に変貌する。

要は、愚か者に刃物を与えてはいけませんよ、ということだ。

 

ハラスメントを行う側に問題があるケースも確かにある。

しかし、これだけハラスメント防止を声高にさせんでいるところで意図してハラスメントを行うことは、ほとんどなくなっている。

 

逆に、被害者(だと主張する)側のモラルが適切である前提で制度設計を行なっても良いのだろうか。

ある程度のグレーゾーンは必要だと私は考える。

そのグレーゾーンの存在によってうまく行っていたということは大いにあるはずだ。

 

することに事欠いて、どんどんルールばかりを付け足していく。

ルールを付け足すことで組織が良くなると信じている人たちがいる。

だからおかしなことになる。

 

成果を報告するために成果を上げる。

現実的に組織の居心地が良くなるだとか、従業員がモチベーション高く働くことができるとかは二の次なのだ。

組織ってものは難しい。

 

2500の記事を書いて

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前回の記事で2500回目の投稿となった。

2400回目の投稿を調べてみると2025年1月6日だった。

私は100の記事を書くのに一年以上の時を重ねたことになる。

2025年3月9日で毎日のブログ更新が途切れた。

そこからは月に3つくらいのペースでブログ更新を続けてきたことになる。

 

今はとても毎日ブログを更新する余力がない。

朝のルーティンは崩壊している。娘を保育園に連れて行くための準備だけで精一杯だ。

 

ブログを毎日更新していた時期と現在を比較すると顕著に低下している欲求を感じる。

それは知的好奇心と知的生産欲求だ。

わかりやすく述べると、「生きる意味」とか「生きた証」を追い求めたり形にしたり、そうした欲求のことだろうか。

 

今の私には「目の前の生活」以上に必要なものはない。

というよりも、それ以外に時間を割くほどの余裕がない。

だからわかりやすく自己効力感を高めることができるゲーム以外に趣味らしい趣味がなくなった。

 

2024年までは、毎年50冊以上の読書を続けていた。少なくとも7,8年は続けていたはずだ。

ところが2025年に読んだ本は19冊。しかも後半の半年は2冊しか読んでいない。

Amazonや書店で小難しい本を漁っては心の赴くままに面白そうな本を買っていた私。

今はそちらに心が傾くことはない。

 

朝の時間がなくなった。風呂に娘と入るようになった。物理的に読書に使っていた時間がなくなったこともあるけれど、ブログの更新が止まったことが大きいと感じる。

Youtubeの動画も投資関連のものばかりを見ている。

 

現代社会にスポイルされてしまった」

端的に私の状況を述べるならば、そういうことなのだろう。

今の私の状況が良いのか悪いのかはわからない。

その辺りの行動規範に対して、私は私に強制力を持つことをやめた。私は私に対して過度な期待をすることをやめたのだ。

だから、ありのままの私を受け入れたい。

「今はそういう時期」なのだ。

 

自分の書く文章に面白みがあるとも思わない。

だけれども、これが私の現在地。

怪獣(娘)の襲来により、私の生活はグッと現実路線に引き寄せられたのだ。

 

モラトリアムは完全に終焉してしまった。

ある韓国ドラマのセリフ「男は父親になるまでは子供」

私は良くも悪くも大人になってしまったのだろう。

 

いつもご覧いただき、ありがとうございます。

気がつくようでしたら、お付き合いください。

一人旅

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仕事の出張で福岡に来た。

ここしばらくは妻と子供との旅行でしか遠くまで行っていなかったものだから,今回の出張は一人旅のようで気が楽だ。

 

子供が生まれてから思うこと。

何をするにしても自分主体に行動を決めることができない。

全てにおいて子供が中心なのだ。

それは当たり前のことなのだけれども、どこか自分の人生を生きていない感覚が強い。

 

子供のためにお金を稼いで、子供のために生活の世話をして、子供のために早く家に帰って、全てが子供のため。

妻は元々そうやって人のために行動するのが当たり前にできるタイプだから、時には羽を伸ばせばいいのにと思うくらいに子供の世話をしてくれている。

 

私もどちらかといえば家庭を蔑ろにするタイプではないと自負しているが、どうしても妻と子供に合わせていると疲れ切ってしまう。

 

今回の出張は久々の一人旅だ。

仕事はすでに終わっている。

今日は帰るまでの間、私が自由に使って良い時間が溢れている。

 

独り身の時は時間が有り余っていて持て余していた。

それが数年でここまで変わるとは自分でも驚きだ。

 

今は自分の時間が欲しい。

「人はいつだって無い物ねだり」だ。

何事もバランスが大事なのだ。

だけれども人生は思うように進まないことの方が多い。

だから、時折訪れる今回のような機会を思い切り楽しんでバランスを取ることしかできない。

 

時間が余っていると、心が満たされない。

心が満たされている時は、時間がない。

お金と時間の関係もまた然り。

 

人生とはそういう風に出来ているのだ。

 

1月も半分が過ぎた

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あっという間に時が流れていく。

年末年始は過去に類を見ないほど忙しく過ごしていた。

そのせいか体調を崩してしまい、今年の幸先はあまりよろしくなかった。

 

大きな変化のありそうな一年。

娘は刻一刻と成長している。

気がつくと多くの言葉を覚えており、驚くことばかりだ。

子供の成長は早いものだと痛感する。

一年後にはどれほど成長をしているのだろうか。

今は好き勝手に暴れ回って収拾がつかない。

聞き分けのつくようになってくれるといいのだけれども。

 

今年の目標は、全てに対してできるだけ寛容になること。

自らの器を大きく育てたい。

日常的に心がささくれ立つことが増えた。

余裕がないのだ。

 

そんな環境でも心に余裕を持ち続ける中で器の大きな人間になりたい。

どんなに不自由な環境だとしても、自分自身を見失わずにいたい。

イライラしてもいいことはないのだから。

 

自分で自分の時間をコントロールしている実感。

それを得ることを優先して行動しよう。

全ては浮かんでは消える一瞬の夢のようなもの。

感情の浮き沈みなんて幻に過ぎないのだ。

それに振り回されて何かを失うなんて割に合わない。

もう少し大人にならなければならない。

2025年に影響を受けた作品と今年の漢字

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今年は、毎年恒例の振り返りを怠っていました。

毎日更新が途絶えたとはいえ、今年も振り返りはしたいと思い、簡潔に表題の2件をもって振り返りとします。

 

まずは、影響を受けた作品です。

去年は下記を挙げていました。

 

映画:ルックバック

漫画:めぞん一刻

音楽:Mrs.GreenApple

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今年は記事をあまり書いていないので根拠に欠けますが、次の作品を挙げます。

 

アニメ:『ワンパンマン

 

これまで全く見ていませんでしたが、アニメ第3部放送を機に第1部から全て見ました。

webの原作は一通り読んだ記憶がありますが随分前なので、ほぼ初見での視聴。

感想としては、テーマがよくできていると感じました。

どんな強敵でもワンパンで撃破できてしまう地上最強の主人公。

 

そうなると逆にクソゲーになるんですよね。

敵に張り合いがなく虚無に悩みながら強敵を求めるも、結局はワンパンで勝負が決まってしまう。

そしてまた虚無に包まれる。

 

「自分は強くなり過ぎてしまった」

常人とは逆の意味での葛藤をテーマにしたところが面白い作品でした。

 

人生には「張り合い」が必要。

成功体験を積み上げる中で自己効力感が形成されていく。

しかし、いとも容易く手に入れる成功体験に価値はないのだなと、とても考えさせられた作品でした。

 

漫画:『ようこそ!FACT東京S区第二支部

 

過去に一巻だけアマプラ特典で無料で読んでいました。

その内容をもとに記事で触れたこともある作品。

思い立って全四巻をまとめ買いして読みました。

 

「人は"意味のある人生"を求めて生きている」

例え、その"意味"が実態など存在しない陰謀論だったとしても、それに抗うことで無価値に思える人生に価値を見出していく。

それが洗脳の始まり。

 

ある意味では、仕事も家庭も全て"意味のある人生"を生きるために存在しているのかもしれませんね。

生産性があるかないかの違いはありますが、それが人生に及ぼす影響なんて多寡が知れています。

結局は、コミュニティの中で自らの努力が報われて力を発揮する中で、コミュニティの中に居場所があることが大事。

コミュニティの目的が崇高でも無価値でも関係ない。

人が生きるためには「他人から認められること」「他人の役に立っている実感」「コミュニティの役に立っている実感」

その辺りが必要なのです。

「生きる意味」の本質に切り込んだ作品でした。

 

本:『世界の一流は「休日」に何をしているのか』

 

世界の一流と呼ばれる人たちは、休日を楽しむために仕事をしている。

仕事が基ではなく、休日を基にして生きている。

だから仕事へのモチベーションを失わずにいられるし、休日を思い切り楽しんでリフレッシュした気持ちで仕事に取り組める。

 

そのためには、自己効力感を高めるために休日に予定を詰め込みアクティブに過ごす。

休日は自己効力感を高めるために使い、仕事へのモチベーションに繋げていく。

 

今年の私はタスクに追われて余裕なく生きていました。

確かに一年を振り返ると「成長できた」と感じることができた一年ですが、自分の人生を生きていた感覚が全くありませんでした。

その「自分の人生を生きている感覚」が私には足りないのでしょうね。

この本を読んで、ある程度は自分本位で予定を詰め込んでも良いのかなと思いました。

 

音楽で思いつくのはサカナクションの『怪獣』です

メロディを繰り返し口ずさむという点では影響を受けたのかも知れませんが、何か教訓があるかというとそうでもないので、選外としました。

 

ちなみに、この曲が主題歌のアニメ『チ。』も全話見ましたが、あまり私には刺さらず。

「命よりも信念・信仰(生きる意味)が大切」という意味では、先ほど挙げた同じ原作者の『FACT』に通じるところがありますが、とにかく暗い。

 

私の視聴環境にも問題があったのかも知れませんが、画面が真っ暗で朗読劇を聞いているような時間が長く、正直見ていて飽きました。

命を懸けて「地動説」を解消してきた結果、それが当たり前に論じられる世界にたどり着いたところにカタルシスがあるのだと思いますが、私の感覚では、あまりにも命が粗末に扱われているように思えて「うーん」と感じてしまいました。

時代背景のリアルを描いているのでしょうけど、主人公クラスが軒並み亡くなりますからね。

 

続いて、今年の漢字です。

昨年は『成』を挙げていました。

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さて、今年の漢字「金」にしたいと思います。

世間ではオリンピックイヤーの定番で選ばれる感じですが、私が選んだ理由は、金メダルの栄誉という意味での金ではありません。

 

「おかね」ですね。

その意味では「円」でも「銭」でも良いのかも知れませんが、一番最初に浮かんだのが「金」でしたので、この一字にしました。

 

子供が生まれて保育園が始まると、お金について考えることが増えました。

幸い共働きなので、経済的に困窮するということはありませんでしたが、物価高に子供関係の出費が嵩み、夫婦でお金のことについて話し合うことが増えました。

 

さらに今年からはNISAの成長投資枠にも手を出して個別株をかなり買うようになりました。

そのため、毎日株の動きと睨めっこして、狙っている株を監視して底値で買いを入れる日々。

なんだか今年タスクに追われていた一因のようにも思います。

そんなわけで、お金のことばかりを考えた一年でした。

 

さて、今年は3月9日でブログの毎日更新が終わり、そこからは好きな時に記事をあげてきました。

来年もしばらくこのスタイルで行きたいと思います。

完全には途切れないように続けるつもりです。

 

1年間ありがとうございました。

みなさま、良いお年をお迎えください。

来年も気が向いたらお付き合いいただければと思います。

 

2025年 ますを

過酷な一年だった

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2025年が終わる。

特にこの年末に向けての2ヶ月間は忙しかった。

仕事で夜遅くに帰ると、妻は疲弊して子供と寝ていることがほとんど。

帰るなり残った家事を終わらせて0時を回る頃に一息ついてから眠るから睡眠時間を削られる。

 

よせば良いのに深夜に自分の時間を取ろうとするから、睡眠時間はさらに削られて日中のパフォーマンスに悪影響を及ぼす。

それでもその生活をやめられない悪循環が続いていた。

 

ブログの更新頻度が極端に少なくなったから、自らの生活を振り返る機会が減った。

毎日の強制的アウトプットは私が思っていた以上に私の生活に好影響を及ぼしていたのかもしれない。

 

ブログの毎日更新が途切れたのは今年の3月9日。

いつもならばレミオロメンの名曲をネタに記事を更新していたはずだが、気の緩みから更新が途切れた。

そこからは月に3,4回の頻度で更新を続けていたが、ブログに対する熱意は薄れる一方だった。

 

ブログのネタを探しながら生活することは無くなった。

毎朝ブログを更新することは無くなった。

そして4月から子供の保育園が始まると、ブログのことを考える余裕などなくなった。

モーニングルーティンは完全に崩壊して、毎朝子供と自分の準備に追われている。

今の生活では、少なくとも過去と同じように毎朝ブログを更新する時間を設けることはできないのだ。

 

私の生活は一変した。

それは私が望んでいた変化だ。

その渦中に身を投じてみると自分の時間が欲しいと思う。

 

「人はいつだって無い物ねだり」

手に入らないものを欲しがって、手に入れたものに対する不満を漏らして生きていく。

それは仕方のないことだ。

 

だけれども「責任」だけは果たし続けなければならない。

手に入らないものを欲しがったことに対しても、それを手に入れたことに対しても、それを手放す結果になったとしても、自分の行動に対して「責任」を取り続けなければならないのだ。

 

帰路に立たされた時はいつだって安易な方向に逃げたいという気持ちが顔を出す。

そして、時には安易な選択肢を選んで後悔することがある。

それでも、その先の未来に「責任」を取り続けなければならない。

 

その積み重ねが人生を作っていく。

その積み重ねの中で、自らの望む人生が形作られていくのだ。

「自分に嘘をつくことはできない」

如何に自分の人生を自分自身が肯定してあげられるのか。

それは、どれだけ自分の人生に「責任」を取り続けてきたかで決まる。

 

私はこの1年間、自らの人生に責任を取ることができたのだろうか。

それは誰にもわからない。

私自身にしかわからないのだ。




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