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「所属集団の準拠集団化」という洗脳メカニズム──なぜ日本社会は生きづらいのか(2)

 なぜ日本社会は生きづらいのか──。シンプルに考えてみるシリーズ第二回目。前回は「日本的生活保障システム」の問題を論じた。

 

 今回は日本社会の「共同体的メンタリティ」(所属集団の“空気”に支配される心性=同調圧力)についてとりあげる。ここで要因となっているのは「所属集団の準拠集団化」である。これも前回同様、戦後の急速な再近代化の過程と密接に関係している。

 

所属集団と準拠集団

 準拠集団とは「個人の価値観、信念、態度、行動などに強い影響を与える集団」を意味する。一方、所属集団とは「個人が実際に所属している集団」のことである。ここで重要なのは所属集団は必ずしも準拠集団を意味しないという点だ。家族・学校・会社などに所属している個人であっても準拠集団が異なる場合は往々にしてありうる。たとえば「学校は学校、仕事は仕事」とわりきってアフター5は趣味仲間(=準拠集団)とともに過ごすという生き方も可能である(メインはあくまでも準拠集団であり、所属集団はたんなるサブ的な位置づけ)。

 

共同体とアソシエーション

 また、所属集団には「共同体」と「アソシエーション」の区別がある。共同体とは「地縁や血縁などの共通の属性にもとづいて形成される自然発生的な集団」を意味し、アソシエーションとは「特定の目的や利害にもとづいて意図的に形成した機能的な集団」のことである。

 通常、近代化した社会というのは、所属集団と準拠集団の分離、あるいは共同体とアソシエーションの分化によってゲマインシャフト(共同体社会)からゲゼルシャフトに移行する。たとえば「市民社会」というのは、所属集団を超える準拠集団でなければならず、この場合の「市民」は所属集団内部の価値観や信念、利害損得よりも公共の価値(シティズンシップやパブリックマインド)を優先し、ときには家族や会社や国家に抵抗する。このようなダイナミズムによって市民革命が可能になったり、属性原理(身分制)から業績原理(メリトクラシー)の社会が生まれてきたわけである。

 

「所属集団の準拠集団化」によって急速に近代化した日本の病理

 しかし、日本ではそうはいかなかった。明治期の日本は欧米列強に比して後発的な国であったために、急速な近代化の必要性に迫られたからだ。日本社会の後発性は「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」などという悠長な時代変化を待っているわけにはいかなかった。明治政府は「天皇」という日本社会独特の歴史的資源を最大限に利用しながら「日本国民」という統一的なアイデンティティを国家主導でつくりあげなければならなかったのである。

 たとえば、明治政府が主導した「忠孝一致」という教育方針がまさにそれだった。即ち「家族形態(イエ)のなかで一番偉いのは父である家長であり、この家長への尊敬(親孝行の精神)」を、「日本という国家形態のなかで一番偉いのは天皇であり、この天皇への尊敬(忠誠心)」へとアナロジカルにつなげる「家族国家」という壮大なプロジェクトである。「家長への孝は天皇への忠」であり「天皇への忠は家長への孝」でもある。これが忠孝一致の精神となり、天皇を頂点/中心とした「家族=国家」が形成され、国民は天皇の赤子として爆誕する。(ちなみに「忠犬ハチ公」が銅像になったのはその忠孝一致の教育資源にハチ公のエピソードが利用可能だったからだ。「主人に忠実な秋田犬を見習え!」という意味で。)

 

 

 日本では「天皇制家族国家」がそうであったように、どんな組織でも容易に所属集団の準拠集団化、アソシエーションの共同体化がおこってしまう。本来ならアソシエーションであるはずの会社や学校がことごとく家族のように共同体化し、所属集団内部の価値観が一元化されて個人の自由な行為を束縛するようになる。

 家族という共同体的所属集団を天皇というイデオロギー(価値洗脳)で準拠集団化し、この「所属集団の準拠集団化」をあらゆるアソシエーション的な組織(学校や会社)にも応用展開していく(アソシエーションの共同体化)。日本社会のどんな組織でも家族的なメンバーシップが求められるのはそのためだ。ゆえに、会社がジョブ型ではなくメンバーシップ型で「社畜」になるのも、そのために労働者の生産性が低いのも、社会全体が家父長制的(性差別的)であるのも、「所属集団の準拠集団化」と「アソシエーションの共同体化」に起因していると考えられる。

 

 以上が日本の急速な近代化を可能にした洗脳メカニズムである。残念ながら日本には西洋的な意味での「市民」や「シティズンシップ」や「公共」や「パブリックマインド」が存在しない。どんな組織も所属集団が準拠集団になってしまうがゆえに ── 所属集団に抗する準拠集団が存在しないがゆえに  ── 日本人は同調圧力に弱いのである。

 では、どうすればいいのか──。 まずは所属集団を分散し、所属集団以外に準拠集団をつくること。そして、所属集団の準拠集団化という価値洗脳に対抗できるような準拠集団(空間的な居場所、あるいはオルタナティブ・ストーリー)をもつ必要があるとおもう。そのためには、ひとつの所属先に長時間にわたり束縛されることを回避しなければならないだろう。だからこそ、わたしは勤労主義を批判している。

 また、虚構も含めた複数のモノ差し(価値観や意味)、複数の時間軸、複数のスペース(ネットを含む)、浅く流動的な人間関係を複層的・分散的・多元的に装備しながら価値の一元化に抵抗する。ポストモダン哲学が「モル的な生き方から分子的な生き方へ」と言ったように、あるいは平野啓一郎ドゥルーズが「(個人ではなく)分人という生き方」を提唱したように、定住的ではないノマド的なマインドがひとつの対抗原理になりうると思われる。

 

 




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