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日本的生活保障システムの弊害──なぜ日本社会は生きづらいのか(1)

 なぜ日本社会は生きづらいのか──。

 以下では日本の絶望的なデータを示しながらごくシンプルに考えてみたい。結論からいうと、日本社会の生きづらさは家族主義的男性稼ぎ主モデル(=日本的生活保障システム)のシステム障害から生じているとおもわれる。この日本的生活保障システムは、主に勤労主義と性差別(ジェンダーギャップ=性別役割分業)によって成り立っている。このシステムが今やオワコン化しているにもかかわらず、日本社会はシステム変更できずに旧態依然の状態をつづけている。このあまりにも無茶ぶりなシステム維持(昭和のおっさん体制)をつづけるためには、さらに勤労主義を強めジェンダーギャップを大きくしなければならない。これは明らかに時代に逆行する逆機能システムである。この逆機能の軋みがわたしたちの生きづらさと関係していることを以下で示したいとおもう。

 

「生きづらさ」≒「死にたみ」

 まず「生きづらさ」という実感。「生きづらさ」という感覚は精神的には様々な要因によって生じる感情や苦悩のことである。この「生きづらさ」という漠然とした感覚は個々人によって多様であり、このままだと把握しづらい。そこで「生きづらさ」とは「死にたみ」(希死念慮)のことであるとわたしは方法論的に捉えたいとおもっている。個々人の「生きづらさ」とは実存の問題であり、実存の問題として「死にたみ」という感情が生まれてくる。そのように把握するなら「生きづらさ」のような複雑でモヤモヤした負の感情を自殺者数(未遂も含む)や自殺率という統計データでその近似を示すことができるようになる。

 

日本の自殺率は世界6位

 いまでも日本の自殺率は高い。世界で6位、先進国では韓国に次いで2位でありG7の国のなかではつねに1位である。

日本の自殺率は世界6位。予防サービスは、UIを改善すべきだ」より

 

 以下は日本社会の自殺者数の年代別推移。近年は減少傾向になっているが《2020年は前年より750人多い2万919人(速報値)となり、11年ぶりに増加》。

いのち支える自殺対策推進センター」より

 

 主要各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は、日本は一番高い。

いのち支える自殺対策推進センター」より

 

日本社会における自殺の特徴

 では、日本社会における自殺の特徴とはいったい何か。わたしがここで注目するのは以下の3つである。

 1.失業率と自殺者数の相関性
 2.若者の死因第一位は自殺
 3.男性の自殺者数は女性の2倍 

 

まずデータから示そう。

(1) 失業率と自殺者数の相関性
 この傾向はほぼ一貫しており《1978年からデータがある警察庁「自殺統計」の自殺者数と、総務省労働力調査」の完全失業率を2020年までの暦年データから相関係数を計算すると0.911になり、両者の間に強い相関があることがわかる。》(「2021年の完全失業率は前年と同じ2.8%か」より)

 

2021年の完全失業率は前年と同じ2.8%か」より


(2) 若者の死因第1位は自殺

 15歳から39歳までの死因第1位は自殺。男性にかぎるなら10歳から44歳までの死因第1位が自殺となっている。

 

 

(3) 男性の自殺者数は女性の2倍 

 この傾向は日本にのみ当てはまるわけではなく、その他の国でも男性は女性よりも自殺率が高いという結果がでている。ここでは日本社会の傾向として、いまだに男性優位社会であるがゆえのジェンダーギャップの反映が示されているデータであると思われるので、わたしはこの特徴は重要であるとおもっている。

「男は生きづらい」は本当か、自死をめぐるアンバランス◆「女性の方が深刻」の指摘も」より

 

日本は勤労主義が強くジェンダーギャップが大きい社会

 つぎに、自殺と勤労主義の強さを考えてみよう。ここではイタリアと比較してみるとわかりやすい。イタリアでは若年失業率は42.1%で若者自殺率は4.8%である。一方、日本では若年失業率は5.3%で若者自殺率は17.8%だ。日本では若者の失業率が低いのに自殺率が高い。逆にイタリアでは若者の失業率が高いのに自殺率が低い。

 さて、あなたならどちらの社会に生きたいだろうか?

日本の若者の失業率は5.3% イタリアは42.1%

日本の若者の自殺死亡率は17.8% イタリアは4.8%

 日本社会は先述したように自殺者数と失業率の高い相関性がみられた。イタリア社会とくらべたら日本の若者の失業率は圧倒的に少ない(八分の一)。にもかかわらず、自殺率はイタリアの3.7倍である。ということは、失業率1ポイントあたりの自殺係数(死にたみ度)が異様に高いのが日本社会の特徴だということがわかってくる。わたしはここに日本社会の勤労主義の強さを見いだす。賃労働しなくても自殺せずにすむイタリア社会と、ちょっとでも労働市場からはじかれたらすぐに自殺に追いこまれる日本。そこに「働かざる者食うべからず」という勤労規範が如実に反映されているのである。

 もうひとつはジェンダーギャップである。日本のジェンダーギャップ指数(2022年)は世界第116位と散々なものだった。この指数には日本の男性優位社会(性差別を前提とする家父長制社会)が反映されている。日本社会の生活保障は戦後一貫して家族主義的福祉レジーム(男性稼ぎ主モデル)によって「企業福祉」に依存してきた。男性が「正社員」になって妻や子どもを養えるだけの給料を稼ぎ、女性は「(専業)主婦」となって家事や育児に専念する。いわゆる性別役割分業であるが、このような近代家族モデル(日本の場合は「夫婦と子ども二人」を標準世帯とみなす)を企業が男性正社員を通じて支援し、国家はそのような企業を公共事業や地方交付金などによって支援する。これが俗にいう「自民党的再分配政策」(日本的福祉国家)だ。だが、これは標準の福祉国家的政策ではない。

 大沢真理さんが指摘しているとおり、そのような日本型の生活保障システムはバブル崩壊後に新自由主義化が進行して以降、むしろ逆機能として作用するようになった。なぜ、日本社会は社会保障の単位が個人ではなく世帯単位なのか、なぜ非正規雇用が増加してワーキングプアが問題になっているのに最低賃金をちゃんとしたレベル(1500円以上)まで引き上げないのか、なぜ日本政府は個人単位の現金給付に消極的なのか、なぜ日本では育児や子育て、教育への公的支出が少ないのか、なぜ日本政府は大企業ばかり配慮して庶民に冷たいのか、なぜ企業の法人税を下げてそのぶんを消費税で穴埋めしているのか、なぜ日本だけが諸外国と比べてずっと低成長で30年以上も実質賃金が下がり続けるのか……。それ以外の介護離職問題やシングルマザー問題、止まらない少子化など、こういった問題のほぼすべてが「男性稼ぎ主モデルの企業福祉」だけを中心に推し進めてきた日本的生活保障システムの逆機能(弊害)に関係していると考えられるのである。その結果、以下の図表が端的に示しているとおり、日本の「税による再分配効果」は世界的にみても低水準である。

日本の再分配効果は著しく低い

 2009年に民主党政権が誕生したときに打ちだした「コンクリートから人へ」という理念はそのような旧来型の日本的生活保障システムがもはや逆機能しか生みださないということを知ってのうえでのことだった。しかし、そのチャンスを逃してしまった今、日本社会はいまだにシステム変更することなく崩壊に向かって突き進んでいる。

 日本という国は戦後一貫して「福祉国家」ではなかった。国は個人ではなく企業を支援し、国に支援された企業が世帯単位で家族を支援し、この世帯単位の家族が家庭内個人を支援する。このような日本的生活保障システムは性差別を前提とする家父長制社会でなければ維持できない。となれば、そのシステムを維持するために性差別は強化され、女性は著しく差別と搾取をされつづけなければならない。そして、男性は家父長制社会から男性稼ぎ主モデルのプレイヤーとして期待されつづけ、企業のなかで「社畜」として過労死するまで長時間労働をせざるをえないのである。いまだに日本社会はそのシステムのままで新自由主義グローバル資本主義に適応しようとしている。なんとあまりにも時代錯誤な後進性であろう。

 

 まとめると以下のようになる。
 (1)失業率と自殺者数の相関性は、個人を対象としない日本の福祉制度に由来している。日本社会では税による再分配効果の低さが示していたとおり「公助」が事実上、ほとんどない。だから、企業福祉に依存せねば生きていけないようになっている。これによって恐るべき勤労主義(失業率1ポイントあたりの自殺係数の異様な高さ)が強化され維持されているのだ。

 (2) 若者の死因第一位が自殺になるのは、日本的生活保障システムの新規参入障壁の高さに由来している。これから社会に参入する若者にとっては、企業に属して「社畜」になるルートか結婚して妻になるというルートの2つしか正規ルートがない。この正規ルートに乗れなかった若者や乗れたとしても途中で脱落した若者はその後の人生で希望を見いだせず、何の生活保証も得られずに家族形成もできない。貧困生活まっしぐらである。だったら若者の「死にたみ」が増すのは必定だろう。また、日本では全体的に各国に比して再分配効果が著しく低かったが、これを年齢別に見た場合、若年層の再分配効果は高齢層に比してさらに低くなっている。

若年層の再分配効果の低さ

 (3) 男性の自殺者数が女性の2倍になるのは、それだけ社会が男性優位社会になっているからだ。日本の家父長制的な生活保障システムを維持しつづけるためには性差別が必要になり、この性差別構造から生みだされ維持されている価値観がマスキュリニティ(「男らしさ」のアイデンティティ)である。そのような男性優位社会の反作用として男性自身にそのツケが「弱音を吐けない男性性」となって跳ね返ってくる。このマスキュリニティの強さの反作用こそが男性自殺者数2倍を生みだす要因である。だから、弱者男性論で取りあげられる「男性特有の生きづらさ」は性差別を前提としている男性優位社会の変革によってしか改善されないだろう。男性特有の生きづらさを減らすためにも、まずは女性特有の生きづらさ(性差別)を改善しなければならないのである。このへんの繋がりと優先順位をまちがってはいけないとおもう。

 

 さいごに、もうひとつの重要なファクターとして「居場所」機能の問題がある。人間関係のつながり(ソーシャルキャピタル)の強弱によって「生きづらさ」や「死にたみ」の度合いは変わってくるからだ。この点も日本の戦後福祉レジーム(日本的生活保障システム)で説明がつけられる。福祉国家ジーム論では「国家」「市場」「市民社会」「家族・地域社会」という各セクターが社会全体として支え合うことを念頭に福祉国家を構想する。国家は行政府による公助(再分配政策など)をおこない、市場では賃労働によって所得を獲得して生活必需品を購入し、市民社会では第三セクター(非政府組織やボランティア活動)が市民のニーズをまかない、家族や地域社会のつながりが相互扶助を担当する。

 戦前期には前近代的ムラ社会の共同体が残っていたために、ことさら「居場所」など考える必要もなかった。しかし、戦後復興期の急速な再近代化の過程で、日本社会はそのような地域社会の共同体を犠牲にしながら学校共同体と企業共同体に居場所機能を集約させていった。結果、日本社会は地域社会のつながりや市民セクターの活動がほとんどないスカスカの社会になってしまった。男性は企業に所属して長時間労働をし、女性は家庭内で家事や育児をする。この性別役割分業体制を国が企業を通じて支援するだけなのだから、地域社会で活動している時間や余裕などなかったのである(例外としては学校のPTAなどがあげられる)。日本社会では最後の砦が「家族」になっており、学校にも企業にも居場所が見つからず家族からも切り離されて孤立化すると、一気に関係性の貧困に陥る。

 社会的排除(孤立化)の問題は再分配政策(個人単位の生活保障)だけでは改善されない。たとえば、生活保護利用者の自殺率は日本全体の2倍以上であり、高リスク層は「男性」(6割)、「単身世帯」(8割)、「精神疾患を有する者」(7割)になる。ひきこもり状態のひとや精神疾患によって働けなくなったひとが生活保護を利用して一人暮らしをしたとしても、社会から孤立していればメンタルが悪化して自殺リスクは逆に高まる傾向にある。全国的に最も分かりやすい事例が釜ヶ崎(あいりん地区=大阪市西成区)である。「男性、単身者、生活保護利用者」の多い西成区の自殺リスクは全国平均の2倍以上になっている。したがって、再分配政策は社会的包摂としての居場所問題(人間関係の貧困)とセットで論じなければならないだろう。

 以上、日本社会の生きづらさは日本的生活保障システムを支えている2大要因である勤労主義とジェンダーギャップがいまだに強化され維持されつづけていることから生じていると考えられる。戦前‐戦後復興期に導入された旧来型のシステムをなんら変更せず、そのままグローバル経済に適応しようとしているためにさらなる勤労主義とジェンダーギャップの強化が要請され、その「システム障害の軋み」がわたしたちを生きづらくさせているのである。

 




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