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「じゃない方」の呪縛に捕われたくない

私が正解を探しがちということを何度か書いたのですが、もう少し掘り下げてみます。

ネットでよくありがちですが「~はよくない」「~はダメ」などアンチパターンがしばしば提示されることがあります。
自分はそれを見るたびに「自分はそうじゃない」と「じゃない方」あることを確認してしまいます。
自分が「じゃない方」であることで「自分は間違えていないよな」と確認するとき、その自分の思考が悲しくなります。

何故悲しくなるか。
そう考えるということは、生き方の根拠を他人の視点に委ねていることを示しているから。私はそれが嫌なのだと思います。私はある側面から見た時に誤りであったとしても、自分で考えて結論を出せる人間になりたいです。

というか、単純に私は「じゃない方」の例示に対して、選民的な印象を感じているのだと思います。
おそらく言っている側は「こういうのは良くないから、こうなってほしい」という意図を込めて言っているのだろうと思うので
自分の受け止め方が未熟なだけかもしれないです。
意図を正しく受け止めるための関係性が欠落しているというのはあるかもしれません。

上記掘り下げたの初めてかと思ったら、もう3年前くらいにnoteに自分で書いてて笑っちゃいました。
認識割れを生むために学ぶわけじゃない|しーちき
なので、自分が過去に考えてたことを思い出すために、公開に戻します。




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