映画『ポールマッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』

ビートルズ解散直後の1970年4月から10年間に焦点を当てた、ポール・マッカートニーのドキュメンタリー。
ザ・ビートルズの解散後、妻リンダとともにロックバンド「ウイングス」を結成したポール・マッカートニーが、数々の困難や葛藤に直面しながらも、新たな音楽人生を拓した激動の10年間を振り返る。(映画.comより抜粋)
「ウイングス」中心に描かれていたけれど、ビートルズの映像もたくさん登場していた。smokyさんのブログで、世界同時での、19日一日限りの劇場公開情報を知った。
80年ウイングス幻の来日公演に終わったチケットを持っていた自分としては、この時のことも語っていると知りより観たいな~と、当日夜、浦和のシネコンにて鑑賞。
このシネコンには、数年前の『ビートルズGet Back』でも、やはり夜観に来たんだった。
久しぶりに観た、ポール自身のドキュメンタリー映画。
スクリーンも大きく、映像・内容ともに没入感もすごく、あっという間の2時間だった。
当時のビートルズ解散を巡っての真相なども、ポール自身の語りから知ることができた。
ポール自身はビートルズを失うのが怖かったし、どうしたらいいか分からず、世間から姿をくらます。当時、ポール死亡説が流れたり、解散を巡って色々な憶測が飛び交っていたのは私も後から見聞きし、覚えている。
そのときポールは、スコットランドの農場を買い、リンダや家族と共に過ごしていた。
当時のポールの心境やその頃のたくさんのプライベート映像は、とても興味深かった。
緑多きスコットランドの農場での家族水入らずの生活は、当時のポールにとってはなくてはならないものだったのが伝わって来た。
世間から誤解されたり批判にさらされたりで、不安定な精神状態に陥っていたそのとき、妻のリンダの支えが大きな救いになったのがわかった。
ビートルズ初期?の頃での、ジョンの「バンドは10年はおろか、3か月もてばいい方だ。」という発言も心に残った。
今回のドキュメンタリーを観て、ジョンとポールは色々喧嘩もしてきたけれど、それは少年時代からの硬い絆があってこそで、お互いへの愛情やリスペクトはずっと変わらなかったというところにグッと来た。
ポールと言い合争うと、ジョンが眼鏡を外して、「僕は僕だ」と、出会った頃の僕と変わらないという意味でそう言ったというのも心に残った。
昔観た映画『レット・イット・ビー』では、メンバー間での険悪な場面が嫌だったけど、数年前公開された『ビートルズGet Back』では、メンバー間の仲睦まじい姿も色々映し出されていて嬉しかったっけ。
かなり前に読んだ、メイ・パンの自伝でも、ポールがアメリカのジョンを訪ねて来て、楽しく語らっていたと書かれていた。
なので80年に、ジョンを失ったときのポールの、呆然自失のようなインタビュー姿にも心が痛んだ。
「千年に一度出るかどうかの最強のコンビだった」というインタビューの言葉にも納得。
ポールの妻リンダは、改めて、独創的なファッションが素敵でお洒落だったなと感じた。あの頃のリンダの髪型は、「スターマン」の頃のデヴィッド・ボウイにも似ていたな~と思った。
そのリンダも、ウイングスメンバーとしての活動当初は、酷いバッシングを受けたりその時の心労も大変だったのも伺えた。
「ウイングス」はメンバー交代が度々あったことについて、その辺の事情も詳しく語られていた。
「ウイングス」80年来日公演が、ポールの大麻所持で中止になってしまったときのことについては、自分もショックだったけれど、そのときの日本のテレビニュース映像も観た記憶があり懐かしかった。
いつもはリハーサルはちゃんとやってからツアーに出発するのに、この日本公演に向けては、念入りにやらなかったと、ポールが語っていた映像は初めて観たと思う。
そしてポールが来日直前に見た悪夢は、正夢のようになってしまったのだなぁ。
逮捕され、刑務所内でのことも語られていて、懲役7年になるかもと自身は恐れていたけれど、数日収監された後、国外退去になったのだった。
この80年日本公演が実現してたら、「ウイングス」のライブが1979年で終わってしまうことはなかったのにと思ったり、今回ウイングスの様々な映像を観ながら、これらの曲を聴けたんだなぁとしみじみとした気分になった。
『バンド・オン・ザ・ラン』のジャケットの撮影シーンも懐かしかったけれど、このLPアルバムと、3枚組の『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』は、当時好んで聴いていたので。
以前もブログに書い覚えがあるけれど、80年のとき、私は武道館1階スタンド席をゲットしていた。ウイングス来日情報を急遽知って、日曜の寒い朝、読売新聞本社前に並んで。
その当時、日曜の朝はラジオで歌謡ベストテンや洋楽ベストテン番組を毎週聴いていて、並んでいるとき、久保田早紀の「異邦人」が1位で、その曲が流れてきたのを覚えている。きっと同じく並んでいた人のラジオから聞こえてきたんだろうけれど。
と、つい遠い目になってしまった。
もし、80年の来日公演が実現していたら、アルバム『オーヴァー・アメリカ』での最初の、「ビーナス&マース~ロック・ショウ~ジェット 」の曲の流れも聴けるかなぁとワクワクしていたのを覚えている。
劇場公開版では、エンドクレジットの後に、ポールとモーガン・ネヴィル監督による、
特別対談映像もあり、その映像もとても感慨深いものがあった。
82歳の現在のポールが、ピアノで「Maybe I’m Amazed」などを弾く姿が、ウイングス時代の若かりしポール映像と交互に映り、切なく目頭が熱くなった。
どうか一日でも長生きして、リンゴとともに元気な姿を見せて欲しい。
82歳のポールも、真面目な表情で、お茶目な面を見せてくれるのも昔と変わらずで嬉しかったけど。
それから、ミック・ジャガーやショーン・レノンなどのインタビューも興味深かった。音声のみだったけど。
これも以前ブログに書いた話だけれど…
思えば、80年の来日公演が幻となってしまった後、私がポールを初めて観ることが出来たのは、2002年の来日公演だった。
このときは、ファミマのチケットサイトと、ビートルズファンクラブにも入会して、満を持して臨んだのだった。
どちらも、チケットをゲットできて、ファミマの方は、大学生だった長男と、当時長男と一緒にビートルズバンドをやっていた友達が観に行き、ファンクラブでゲットした方は、高校生だった次男を誘って観に行ったのだった。
その後、何度か観に行ったけれど、その都度ポールと同じ空間にいること自体が夢のようだった。
この映画でもかかったけれど、「幸せのノック」も最初観た公演でもやってくれて、目頭が熱くなったのも思い出した。
私は後追いながら、中3から高校時代にかけては、ビートルズ熱に浮かされていたけれど、20代以降もずっと夢中になっていたわけでもなく、もちろん様々なアーティストが好きだった。
でもこの2002年の公演を初めて観てから、その後一か月以上、ポールロスに陥ってしまい、ポールのロック曲「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」などを聴くと自然に涙が出てしまって。
その初ポールを観てから、私のビートルズ熱がまた再燃したのだった。
だから、ポールの来日公演を観なかったら、私はその後、ドラムもバンドもやっていなかったんじゃないかと思う。
「プリーズ・プリーズ・ミー」を演奏してみたくてドラムを始めた私ではあるけど、ビートルズだけでなく、この初めて観たポールの影響大だったんだな。昨年、夢のような体験が出来たのもまた然りで。
ということにも気づき、このドキュメンタリーを観て、思わず自分の来し方を振り返ってしまい感慨深かった。
そういえば、映画冒頭で流れた『心のラブソング』も、私のライブ初体験での曲に入っていて。十年以上前だけど、6月ポール誕生月でのポール曲縛りイベントに、即席女子バンドで出ない?と誘われたのだった。
なので、自分がライブで初めて演奏したのは、ビートルズ時代を含め、ポールの曲だったのも、今回の映画で気づかされた。
「ウイングス」時代、私は主にロック曲が好きだったのだけど、ロックじゃないけど、この映画でも何度か登場した、いかにもスコットランドを感じられる一曲、「Mull of Kintyre(夢の旅人)」。
昨年11月に、ポールがスコットランドのハミルトンで公演したときの模様を、昨年末にYouTubeで偶然見つけて、感涙してしまった映像。
40秒くらいから、バグパイプ楽団が登場し、郷愁に駆られ感動的だった。
スコットランドで家族とともに暮らしていたことがあるポールにとっても、とても大切な曲の一つだと思う。この曲の、海辺で撮影されたMV制作場面も、バグパイプ少年団が出てきて良かったけれど。
と、以上、取り留めもない感想でしたが、この映画は、22日にも劇場でアンコール上映され、「アマゾンプライム」からも、27日から配信されるとのことでした♪
あ、しまった!22日は今日だったので、いつもは夜ブログ更新する私ですが、午前中更新します^^;
このブログを観て直ぐ劇場に行かれる方もいないとは思うけれど(^^ゞ

(入場特典のポストカード)
☆
ここからは、先週筑波に行ったときに寄った「筑波山梅まつり」の写真です🌸










上り坂や階段はきつかったですが、上からの眺めは広々と見渡せて綺麗でした。




(蝋梅と筑波山山頂)
梅はまだ三部咲きでしたが、蝋梅とかも綺麗でした。この三連休はきっと満開ではないでしょうか。
筑波に行ったときのことは、一気に書く予定でしたが、急きょ映画を観に行ったので、また次回に続きます(^^)/