
昨年1月にご逝去された、経済評論家の森永卓郎さん。
亡くなるわずか3週間前まで、命を削りながら書き続けた、日本人のための究極の幸福論。
参考になることが多々あったので、自分が覚えておきたい幾つかの事がらを抜粋しておきます。
・死んだら全てなくなるのに、今幸福を求めないでどうする。
・他者がそれをどう評価するのかを気にするのではなく、自分自身のために行動する人のことを自分は「アーティスト」と呼ぶ。「1億総アーティスト」こそ目指すべき社会の在り方。
・チャンスがきたら、ためらわずに掴もう。
とりあえずやってみて、だめだったら別のチャンスに挑戦すればいい。
・運気を上げるため「つらい」「苦しい」「疲れた」は絶対に口にしない。
・「年金だけでは老後資金は足りない」は、人生を縛る大きな勘違いである。
欲を捨て、身の丈に合った生活を設計をすれば大丈夫。そのためにも、トカイナカ(都会+田舎)暮らしを考えてみる。
・いますぐベランダにプランターを置き、農業を始めよう。
生活費の節減、有事の際の食糧難危機、食の安全農薬対策などのために。自分の畑で作ったものは大地の匂いがする。
・必要以上に自分を大きく見せようと思っている人は、中身の無い人。
(高級車に乗って、高級スーツを身にまとい、大勢の部下を連れてテレビ局に現れるような人など。)
・仕事で大事なのは、いい加減さと手抜き。
融通が利く人は上手く手抜きしている。
・幸福な人生とは、自由に生きられること。
自分がやりたい表現が思いつかない人は、それを追求することから始めよう。
因みに森永さん自身、「歌手」「童話作家」「落語家」「カメラマン」など、多趣味なので驚いた。そして、自身の多大なコレクションを集めた私設博物館である「B宝館」をつくり運営していたそう。
また、森永さんは、亡くなるまで、獨協大学・経済学部で約20年間に渡り教鞭をとっていて、自身のユニークなゼミの内容も面白く興味深かった。
「吉本興業」での授業内容と被っていることも多いとか。
それは、徹底したプレゼンテーションの訓練。
ディベートなど普通のトレーニング以外に、川柳や、ものボケなどあらゆる表現手段を学んでいくものだったそう。
「黙るより滑れ。滑りまくると、鋼の精神が身に着く。」
こういう訓練をすると、確かに強力な精神が身に着くだろうなと感じた。
「自分は癌で余命いくばくもないので、怖いものが無く本当のことを言いたい放題。
なので、残された時間を本当のことをいうことに費やしている。」
と、日本が抱える借金ほかについて触れた部分では、やはり財務省とか裕福層を敵に回すと、怖いことがたくさんあるんだなということが伝わってきた。
本当のことを公言すると、大手メディアから干されたり、さまざまな嫌がらせを受けたり。以前、映画『新聞記者』を観たときも、権力の闇とか怖いなぁと感じたけれど。
この本は、昨年末に図書館で借りて読んだのだけど、感想を下書きに保存したままでUPするのが遅くなってしまった。

裏表紙のイラストからは、「サラバ!」との声が聞こえてきそう…。
森永さんが言われるように、命には限りがあるのだから、1分1秒でも無駄にしないようにしよう!と改めて思った。
☆
『兄の終い』(村井理子・著)

「一刻もはやく、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう。憎かった兄が死んだ。残された元妻、息子、私(いもうと)――怒り、泣き、ちょっと笑った5日間。」
というように、兄が突然病死した知らせを受けてから、兄の死後処理に向かった妹のバタバタした5日間を描いた話。
わずか200頁足らずだし、話のテンポも良く読みやすく一気に読んでしまった。
普通の小説かと思っていたら、最後の「エピローグ」や「あとがき」を読んで、この話が著者の実体験だったんだと、初めて気づいた。
ほぼ絶縁状態だった兄の死の一報を、突然、宮城県警塩釜警察署から受けた妹であり主人公の理子。
「いつかこんな日が来るとは思っていたけれど、予想より早かった。」と冷静にいう自分に対して驚いた次男が、「悲しいとかないの?たった一人のお兄さんやろ?」との問いに、答えることが出来なかった理子。
身につまされるリアルな内容ではあるけれど、コミカルな場面も多々あった。
兄の元妻と、兄のアパートで出た大量の処分品を、ゴミ処理施設の巨大な穴に向かって、二人で投げ込む箇所では笑ってしまった。
「おりゃぁ!」「行けぇ!」「成仏しろぉ!」と威勢よい掛け声で。
いつも妹の自分や周囲に迷惑ばかりかけてきた兄。
母が溺愛していた兄。
それなのに、母親の末期がんが分かった途端、東北の多賀城市へ引っ越してしまった兄。
自分の息子を愛し、一生懸命育てようと思っていた兄。
その兄が育てていた、小学生の息子である良一君と、学校の先生やクラスメートたちとの別れのシーンなども心揺さぶられた。担任の先生ほか、周囲の人たちの温かさがとても伝わってきて。良一君もとてもいい子なのだ。
また、憎き兄が亡くなってから初めて、兄の良さや、兄を慕っていた自分の気持ちに気づき、「文庫版あとがき」で書かれていた、著者の兄への気持ちが心に染みた。
この単行本が出てから5年以上経過し、思いがけず、『兄を持ち運べるサイズに』という映画が作られることになったそうで、昨年である25年秋に公開されたとのことも書かれていた。
兄が最後に過ごした多賀城市内でもロケが行われ、多くの市民がエキストラとして参加したんだそう。
調べてみたら、亡くなった兄役はオダギリ・ジョー。とぼけた味わいがあるオダギリ・ジョーなら、ひょうひょうとした兄を演じそうで、暗くならずぴったりのような気がした。この作品、映画ブロガーさんの記事でも見かけたような。
主人公の妹役は柴咲コウで、兄の元妻に満島ひかりなのもぴったりの配役だと思った。
同じ中野量太監督作品では、もうかなり前テレビで観た、『湯を沸かすほどの熱い愛』も良かったなぁ。
この話を読んで、何年も前だけれど、その頃ビートルズバンドをやっていた友人が、友だちの息子さんが自死してしまい、そのアパートの片付けを、一緒に手伝ってきたんだということを、ポツリと話していたことを思い出した。
その時、「偉いなぁ、友達と言ってもなかなか出来ないことだよな」と感じたのを覚えているけれど、この本での、臭気漂うアパート片付けの大変な部分を読んで、改めてその友人の優しい人柄が思い起こされた。
それから、この本にも出てきた「塩釜市」というと、もう10年以上前に、友人と仙台や松島を旅行したことがあり、最後に観光したのが「塩釜神社」で、とても立派な神社だったのを思い出す。
前回記事での「来宮神社」などの神社繋がりで、また写真をUPしたいところだけれど、その頃はデジカメで撮った写真で、今のPCに保存してなくて残念。
その旅行では、一緒に行った友達から旅行の前、手作りの「旅のしおり」が送られてきたのがびっくりだった。
旅行のスケジュールが詳細に記されていて、学校の遠足みたいと思ったんだった(^^ゞ
【おまけの写真】

たまには、ライブの宣伝もしてしまおう♪

それでは、また(^^)/