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『やなせたかしの生涯~アンパンマンとぼく』(梯久美子・著)

今、NHK朝ドラ「あんぱん」を放送していることもあって、新刊案内にあったこちらの本を借りて読んでみた。

やなせ氏が編集長を務めていた『詩とメルヘン』で、編集者として一緒に仕事をしていた著者は、元々やなせたかし氏の大ファンだったとのこと。

やなせ氏の両親の生い立ちから始まり、94歳までの生涯がとても分かりやすく書かれていて、最後まで引き込まれた。

子供時代を送った高知でのこと。家族との死別や寂しさに耐えた幼少期。

戦争体験や、戦後「高知新聞」に就職し、その後妻になる「暢(のぶ)」に出会ったこと。下積み生活の苦しさ、晩年になってからの漫画家としての成功、等など。

「さびしさ、挫折、愛する人たちの死。それでも光の方へ向かって歩き続けた先生の人生から生まれた哲学が、アンパンマンの世界を成立させた。」(著者あとがきにて)

(写真はこのほか、弟や母親など色々載っていました。)

著者が一緒に仕事をしてきたやなせ氏の言葉の中で、特に忘れられないというこの言葉もいいなと思った。

『天才であるより、いい人であるほうがずっといい。』

「誰もが認めるすばらしい作品を世に出すことよりも、身近な人に親身に接し、地道に仕事をして、与えられた命を誠実に生き切るほうが大切だと、それが先生の考えであり生き方でした。」ということからも、やなせ氏は常に周囲に優しく、温かい人柄だったのがわかる。妻の暢とも一度も喧嘩をしたことがなかったそう。

 

アンパンマン」誕生のエピソードも色々興味深かった。

今も大人気のアンパンマン。最初出した絵本は全然人気がなく、自分の顔をかじらせるところで非難されたとのこと。

キャラクターの個性を際立たせるために、「ばいきんまん」には「はひふへほー」と言わせた。他の言葉も試したけれど、ミュージカル版でこの言葉のみ、客が笑い転げたそう。

ドキンちゃんの外見は、最愛の母・登喜子に似せて描いたとのこと。

アンパンマンがブレイクし、テレビ放送が始まったのは、やなせ氏69歳のときからというのも驚きだった。

 

弟のことが書かれている箇所も、その弟の言葉とともに心揺さぶられた。

実の親とは縁が薄かった兄弟二人、弟との絆は相当強いものだったのが本書からも伺われた。

幼少時は、「兄ちゃんと一緒でなければ嫌」とどこでもくっついてきた弟。

「兄さんはきっと偉くなる」

「僕はもうすぐ死んでしまうが、兄貴は生きて絵を描いてくれ」

(弟が戦地に赴くとき、兄・崇に会いにきたときの言葉。)

本書には、詩が度々はさみこまれているけれど、23歳で戦死した弟に向けたものや、

同じく戦死した友人に向けたものは、特に胸に迫るものがあった。

 

高知新聞社を退職後、上京してからは、三越・宣伝部でも働き、今でも同じ三越の白地に赤の、抽象形の包装紙に関わっていたのも初めて知った。

デザインはやなせ氏ではないけれど、文字はご本人が書いたものだそう。

当時このモダンで斬新な包装紙「華ひらく」は評判を呼び、ほかのデパートもあいついで包装紙を新しくしたそうだ。

 

そうそう、高知新聞時代、仕事仲間の暢らとともに東京へ取材に行った場面、ドラマでもあったけれど、戦後、旅行などでの移動時、自分用のお米は持参しなければならず、その列車内は、人やお米でぎゅうぎゅう詰めだったそう。お米は靴下に入れて持ち運んだので、靴下もパンパンに膨れていたそうだ。

 

他にも、不遇な時代に生まれた詩「てのひらを太陽に」(作曲・いずみたく)のことや、転機の時代となった1960年は、その、いずみたく立川談志永六輔宮城まり子、丹羽進、向田邦子氏たちと出会えたこと。

永六輔が初めて演出したミュージカル「見上げてごらん夜空の星を」の舞台装置を、それまで面識がなかった永六輔氏から直接頼まれ、やなせ氏が担当したこと。

この時代最も大きな影響を与えた天才漫画家・手塚治虫とのアニメーション作り。など、興味深いエピソードばかりだった。

 

後に知り合い、やなせ氏の詩集出版に協力してくれた「山梨シルクセンター」の社長・辻信太郎とのことも心に残った。

山梨シルクセンター」はやがて、「サンリオ」と名を変えたそうで、キティちゃんのあの「サンリオ」と繋がっていたのもびっくりだった。

社長の辻氏は、やはり悲惨な戦争体験者であり、その原点にあったのは、虫けらのように人が殺されていった甲府空襲の夜の体験だったそう。

殺し殺されることを「しかたがない」とあきらめるのはどうしても納得できない。

人と人が争わずに生きるには、コミュニケーションが必要だ。

心のこもったメッセージカードや小さなプレゼントを贈り合う。という発想で商品を開発していったとのこと。

そういった、若い日に経験した戦争への疑問が、その後の人生の原点になっていて、人を喜ばせる良質の大衆性を目指していたこと。それが二人の共通点であり、出会うべくして出会った二人。その志に頭が下がる思いがした。

 

やなせ氏が絵本「あんぱんまん」の中で一番描きたかったのは、お腹を空かした人に食べさせて、顔が無くなってしまったアンパンマンが失速していくところだったそう。

「自分の食べ物をあげてしまったら、自分が飢えるかも知れない。

権力に対して声をあげれば、自分の立場が不利になるかも知れない。

子供なら、いじめられている子をかばったら、自分がいじめの標的にされるかもしれない。

それでも誰かを助けたい、信念を貫きたいと思ったとき、勇気は湧いてくると崇は考えたのだ。」

戦争を体験し、戦後「正義とは簡単にひっくり返る。」ことを身をもって体験し、「もしひっくり返らない正義はあるとすれば、それはお腹が空いている人に食べ物を分けることではないか」という考えに至り、それも「アンパンマン」の原点になっているのがわかった。

 

やなせ氏は徴兵されて、中国大陸に出兵するのだけど、そのときのことも詳しく書かれていた。

その戦争体験を含め、若い頃から漫画を描く趣味があったとか、自分の父親と共通していた点もいくつかあった。

なので次回のブログでは、生前、父親から聞いた中国での戦争体験も絡め、この続きを書けたらと思います。

毎年夏が巡ってくるたび、書いておこうかなとは思っていたのだけど。

戦争が起きないようにするためには、世代に渡り、戦争体験を長く語り継いでいくことも大切だと、以前テレビで、ノンフィクション作家の保阪正康氏も言われていたし、今月は実家のお盆でもあったので。

今月初旬、地元での夏祭りでした。対岸から見る夜店などのライトアップが幻想的でした。

 




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