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絵画のような映画『天国の日々』&『ミロ展』

映画『天国の日々

絵画のような映像美との前宣伝を読み、観に行ってきた。

1978年製作・アメリカ映画のリバイバル上映。

20世紀初頭のテキサスの壮大な農場を舞台に、人間の弱さともろさを美しい映像で描く。第32回カンヌ国際映画祭で監督賞、さらに第51回アカデミー賞🄬では撮影賞を受賞するなど、公開当初から世界中で高く評価され続けている珠玉の名作。日本では、約5年後の1983年に劇場公開された。

今回、テレンス・マリック監督監修のもと4Kレストア化された。

【簡単なあらすじ】

20世紀初頭のテキサス。青年ビルリチャード・ギアは、シカゴでトラブルを起こし、妹のリンダ(リンダ・マンズ、ビルの恋人アビーブルック・アダムスと共に、広大な麦畑に流れ着き、3人はそこで働き始める。裕福な地主のチャックサム・シェパードは、ビルが妹と偽っていたアビーに心惹かれる…。

 

こちらの映画チラシにあるように、岩井俊二監督も多大な影響を受けたそう。

「マジックアワー」と呼ばれる日没間近の柔らかい光の中で撮影するために、一日の撮影時間は日没前のわずかたったの20分間というのが凄い。

監督は撮影監督と、「グリフィスやチャップリンの時代を思わせるような」「屋内はフェルメールの絵画のような」と映像のイメージを共有しあったそうだ。

ストーリーは、普通といっては失礼だけど、私にはあまりピンと来なかった。(^▽^;)

でも、最初から最後まで評判通りの映像美で、観て良かったと思える作品だった。

広大な麦畑を刈るシーンは、ミレーの絵画「落穂拾い」のようだったし。

室内台所での妹リンダのシーンなどは、確かに、フェルメールの絵画のようであり。

妹リンダのちょっとハスキーで淡々とした語り口も耳に心地よくて、郷愁を感じるような、この映像の世界観にもぴったりだった。

テキサスの荒涼たる原野での昼夜の風景は、以前観た映画ノマドランド』が脳裏に浮かんだ。

夜の原野に大きな列車が到着する場面もとても幻想的で、『銀河鉄道の夜』を連想したり。

美しい自然美や、可愛い小動物たちのアップ。

それとは対照的に、恐慌下、この地に流れ着いたたくさんの人々の過酷な小麦収穫作業の場面も心に残った。

後半、イナゴの大襲来で、始末に追われる人々。

映像的にはそれもとても美しく、鉄橋を渡る列車の撮り方も、まるで童話の世界を見ているようだった。

登場人物の男女を見ていて感じたことは、男性達は嫉妬によって足元をすくわれ、女性達はどこでも生きていける逞しさがあるんだなぁと。

若き日のリチャードギアも素敵だったけれど、裕福だけれど孤独な地主を演じたサム・シェパードが、かっこよかった。


オープニングの曲では、監督の希望で、サン・サーンス『動物の謝肉祭』が使用され、音楽を担当した巨匠エンニオ・モリコーネがこの曲に合うように、劇中の曲を作曲したとのこと。

youtu.be

(サン・サーンス『動物の謝肉祭』からの『水族館』の曲が使われています。)

恵比寿ガーデンシネマ」にて観賞。

そして同じくGW中、こちらは、本物の絵画を観に東京都美術館へ。

『ミロ展』

夜空に描かれた希望―「星座」が織りなす詩

チケットが二枚あるからと、友人が誘ってくれて、久しぶりに美術展へ行ってきた。

GW期間中でも意外に混みあってはいなかった。

miro2025.exhibit.jp

上野の東京都美術館も昨年観に行った『デ・キリコ展』以来。

初期から晩年までの大回顧展。90歳で亡くなるまで、新たな表現に挑戦し続けたのだとか。

1893年スペイン、カタルーニャ州に生まれたジュアン・ミロ(1893-1983)は、同じスペイン出身のピカソと並び20世紀を代表する巨匠に数えられている。

詩情あふれる独特な画風は日本でも高い人気を誇っているそう。

第二次世界大戦の戦火を逃れながら、夜や音楽、星に着想を得て描かれた「星座」シリーズ前23作品のうち、3作品が集結。

この3作品は、薄暗い部屋に展示され、絵の後ろから光を当てて、絵が輝いているような素敵な仕掛けになっていた。

そのうちの一つ「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」(ミロ展チラシから)

 

太陽や星、月などの自然の中にある形を、抽象的な記号に変えて描かれている点も独特で面白い。

またミロは大の親日家で、日本に強い憧れをもっていたそう。二度来日していて、2回目(1969年)のときは、大阪万博の絵を描いたことも解説にあった。

俳句など日本の文化にも多大な影響を受けていて、絵画のタイトルが長いのも、俳句に通じているからとのこと。

「物語を語るのではなく、自然と人間を結びつける出来事への反応を表現する短い詩となっている。月、星、鳥などは、俳句にもミロの作品にも共通するモチーフとなっている。」のだそう。

その中でも特に心に残った絵画のタイトルはこちら。

「ダイヤモンドで飾られた草原に眠るヒナゲシの雌しべへと舞い戻った、金色の青に包まれたヒバリの翼」

とても鮮やかな色使いだ。

(この2階の展示室内のみ、全て撮影OKでした。)

「ふたつの惑星に追われる髪」

 

「夜の風景」

 

「涙の微笑」

 

「FCバルセロナのポスター作品。

 

「太陽の前の人物」

 

「月明りで飛ぶ鳥」

 

「逃避する少女」

 

「女と鳥」

 

とても大きくまるで墨絵のような、「花火Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」

 

観終わって、友達と二階のカフェでランチ。窓際にはカウンター席が設けられているので、一人で来ても、新緑を眺めながら良い時間が過ごせそうだ。

初期のミロの作品を展示する部屋での、ミロのこの言葉も印象的だった。

誰もが木々や山々の大きな塊ばかりを求め、それを描こうとしますが、

草野の葉や小さな花の音楽を聞くこともなく、

渓谷の小さな石に注意を払うこともありません。

それはとても魅力的なのに。

この言葉からも、ミロは自然を深く愛し、だから作品にも自然のモチーフが多く使われていたのがわかった。

戦時中、大変な状況下で戦火を逃れ、「星空」シリーズなどの制作に没頭していたときだけは、心の安らぎを感じられたとの解説も心に残った。

 




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